第6話 アルビノと『彼』

 を初めて認識したのは、はるか遠い昔だった——と、アルビノは記憶している。



 まだ世界に『生命』という存在がまばらだった時代、アルビノは自然の中に生まれ落ちた。彼が物心ついた頃、まだで、彼の世界に映る景色は青々と輝いていた。そよぐ風につたない枝の葉が、時間に縛られずに自由に揺れている。何も考えることもなく、ゆったりとした時がそこには流れていた。そんな穏やかな時が過ぎる世界で、ある日アルビノの目の前に『彼』が現れる。


「……ああ、いたいた、やっと見つけたよ。でもまだ小さいね。聞いていたよりも随分と可愛らしいじゃないか」

「…………」

「言葉はまだ話せないか。それもそうか、まだ実も生っていない個体のようだし……」

「誰だ、あんた」

「おや。話せたんだね」


 ふっと柔らかく微笑んだ『彼』は、アルビノの知る世界では見たことのない姿をしていた。アルビノの自分の意識している姿・形とは異なる大きさで、本体である『木』とも違う材質でできているのか、『彼』に触れてしまえばすぐに傷がついてしまいそうだと思った。アルビノの枝になんて触れようものなら、なおさら。

 この時のアルビノは、この不測の事態に無意識の内に動揺しており心の調整が効かなくなっていた。そのため彼が抱いた警戒心に呼応するように、彼の本体から棘のような枝が伸びる。『彼』は虚弱そうな見た目をしているが、その目の奥には深い『黒』を飼っているような印象を受けた。見えない闇に見られているという感覚に、アルビノの背筋にぞくりと悪寒が走った。


「……面白いなあ。感情次第で、成長の形が変わるのか」


『彼』はそう呟くと、アルビノに向かって手を伸ばした。何を考えているんだこいつは! とアルビノは制御し切れない自分の気持ちを無理矢理抑え込むも、その一瞬の迷いが仇となった。


 ぐさり……と、どこかで鈍く重たい音がした。同時にぽたりぽたりという液体が地に落ちるような軽い音がアルビノの聴覚を刺激した。アルビノは咄嗟に瞑った目をゆっくりと開き、目の前にいるであろう『彼』を視界に映す。『彼』は、赤い水を手から肘辺りまで染めて不思議そうな表情でそれを見つめていた。


「あー……。これは、」


『彼』が何かを言いかけた瞬間、周囲からあり得ない数の殺気に囲まれた。ざっと二十人くらいだろうか。それらは『彼』を守るようにして現れ、そしてアルビノの体を一瞬にして拘束した。思ってもみなかった急な衝撃に、痛みよりも先に呆然となる。


! お下がりください!」「危のうございます!」「こいつ、よくも我が王を傷つけたな!」「我が王に触れるとはなんと怖れ多い!」「この恩知らずめ」


 顔の見えないそれらは矢継ぎ早に言の葉を並べていく。何を言っているのかアルビノには理解がしがたく、それよりも相手の顔が見えないことが彼にとっては重要であり恐怖であった。アルビノの枝がわずかに震える。何も、できなくなってしまった。


「…………ねぇお前たち」


 それまで沈黙していた『彼』——モズ? と言われていた——が突然口を開いた。その声色は目の奥の『黒』に似ており、アルビノは再び恐怖を抱く。何を話すのだろうと息を殺して様子を窺っていると、返ってきた言葉は意外なものだった。


「僕は大丈夫だから、お前たち下がってくれない?」

「し、しかし……!」

「僕の、言葉が、聞けないの? 下がれって言ってるんだよ」


 アルビノに向けられていないはずのその音階たちは、優しい色を帯びているはずなのにどこか鋭利さを孕んでおり、その場にいる誰もを硬直させた。少しして、アルビノの拘束は解かれた。顔なしたちは鵙がアルビノに近づくので、彼の言葉に従い大人しく身を引いていた。アルビノの前に、深い黒が、立ちはだかる。息が詰まり、その場からすぐにでも離れようとも考えたが、それは到底無理な話であると気づいてしまった。


(——だって、俺は……だ)


 心が動けたって、からだは一瞬だって自分の意思で動きやしない。その場に生息するほかない生き物。己の無能さに、アルビノは呆れさえ覚えた。

 深い黒がアルビノの意識を支配する。アルビノは無意識に目を瞑った。

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