モズの国

KaoLi

第1話 アルビの箱庭

 ——この箱庭くにには、秘密がある。



 ❀



 まだ白雪が残る春先の朝。少年は鼻頭を赤く染めてやしきの庭園を素足で駆けていた。庭園には寒色の花々が咲き、冬の残り香を思わせる。呼吸をするたびに白い吐息が出て、それらは小さな白い綿飴たちを空に作りながら、気がつけば晴れた青空に溶けてなくなる。

 駆けるほどに肺に凍てつくような冷気が満ちて体が悲鳴を上げている気がした。だが少年はそんなことは構わずに庭園を無我夢中で駆け抜けていく。細く白い肢体には今着ている薄着が嫌でも映えてしまうので、その上に少し厚めの鳥の羽で織られた毛布を被りながら人の目を気にして走る。素足で雪の中を入れば地面が冷たくてつい跳ねてしまう。それが面白くて、少年は小鳥の踊りの真似をした。少年が向かう先は、彼の名前が付けられた『アルビの箱庭』と呼ばれるこの庭園の中枢部。そこには世にも珍しい白い柘榴ざくろる大木があり、この時期から白柘榴は旬を迎えるというが、少年の目的はこの熟れた食べ頃の白柘榴ではない。


「はぁ、はぁ……」


 ようやくたどり着いた白柘榴の木の下で上がった息を整えていると、頭上から柔らかくて丸く重みのあるものが落ちてきた。落ちてきたのは、今まさに食べ頃であろう白柘榴だ。思わず少年は「いてっ」と声を零して、降ってきた頭上に目を向ける。そこには少年の目的である探し人が、本を片手に少年を見つめていた。


「やっぱりここにいた! 今日も会えて嬉しいよ、!」


 少年に声をかけられた『アルビノ』なる青年は溜め息をつくと、読んでいた本を閉じてもう一度少年に視線を向ける。その表情は、少し呆れていた。


「……前にも話したと思うが、あまりここには来ない方がいいぞ、


 アルビノは静かに座っていた大木からアルビの横に降りる。木の下には雪が積もっており、それらが緩衝材になったようで、彼の降りた場所から「トサッ」と軽い音が鳴る。アルビノは足が地面まで届かなかったことが不思議なようで、少し首を傾げていた。


「……」

「? どうかしたの、アルビノ」

「いや……。結構積もったんだな、と思って」

「そりゃあ、昨夜からずぅっと降ってたからね~」

「……そうか」


 その後は何を思うでもなく、間もなくして普段通りの彼に戻ったのでアルビは内心ほっとした。


 整った青年だなとアルビは彼に対して思う。年の頃はおそらく十八から二十歳。「キリリ」と音がしそうなはっきりとした双眸は赤黒く、爽やかに吹く冬の風になびく髪は庭園を染める雪のように白い。すらりとした体躯は男らしさも備わっており、アルビは彼に男性としての憧れの念を抱いていた。


「……ねえ、アルビノ」

「何?」

、寒くないの?」

「……奇遇だな。俺もたった今、そっくりそのまま、お前にその言葉を返そうと思っていたところだ」


 アルビはアルビノの言葉を聞いて、どういう意味なのかと目を数回瞬いた。少ししてからアルビノの言いたいことを理解する。確かにアルビは薄着である。持ってきた厚手の毛布もこの雪の空では気持ち程度の暖しか取れないだろう。対してアルビノは白い素肌が映える袖丈の衣装を身にまとっている。アルビといい勝負であるが、心なしかアルビノの方が寒そうだ。


「でもアルビノの方が寒そう。……だから、はい!」

「? うおっ」


 アルビはアルビノの手をくいっと引く。あまりに自然に、彼の体が簡単に揺らいだため、アルビノは珍しく油断していたようだ。手を引いたその反動でアルビノは体勢を崩しアルビと軽くぶつかった。「あ、悪い」という小さな謝罪声がアルビの耳に届いたが、アルビはぶつかったことに関して特に何も思っていなかった。それよりも意識が別のことに向いていたのだ。アルビは持っていた毛布にそのままアルビノを巻き込むようにしてくるまった。


「ふふ、あったかいね~」

「……またあいつらに怒られるぞ。風邪を引くって」

「その時はその時~」


 能天気なアルビの声が、彼らの小さな箱庭せかいに響く。上を見上げれば、空は青く澄んでいた。吐息は白く濁り、そして互いの体温だけが彼らの拠り所。何者も、『アルビの箱庭』に近づくことは許されない。ただ一人、アルビノという青年を除いては。

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