偽薬でお役に立てますか。
須永 葉
一錠目 女学生たちは学問を服用する。
偽薬、プラセボというものがある。
薬なのだが、単純に薬ではない。定義や評価の振り幅が大きい言葉なので、出来れば自分で調べてああこんなもんかと掴んでいただけると有り難い。
あたしは説明が苦手で、説明すると余計わからなくなると評判なのだ。
そんなあたしは女学生だから、同窓の女の子たちとよくお喋りをする。お喋りに花を咲かせている女の子たちは絵になるなあと、自分のことはさておいて、思う。
「ああもう辛くて死にてえ」
「明美さん、も少し花が咲くようなお話を」
「なんだよそれ。そんな明るい気持ちになるわけ無いだろ。もうじき試験だぜ」
「勉強しなくてはいけませんな」
「あああもう、もう憂鬱。ああ辛い。暗澹たる」
「明美さん、花を」
「花も桜もあるか。典は成績良さそうだからいいよな。学校が楽しくてしょうがないだろ」
「あたしか。あたしの成績は中の下、くらいだ。平均点なら六十点ってとこだ」
「わたしはその半分くらいだ。私の社会的な価値は典の半分くらいだ」
「そんなわけはないから」
学校の成績、試験の点数に社会的な価値がどの程度あるか。おそらく学校の先生はそんなことを意識して教師をやっているのではあるまい。なるべく多くの生徒が沢山点数を取れるようにと努力するのが学校教師、とあたしは考える。
だから、受け持ちの生徒の点数が悪ければ、周囲の目が辛いということはあるだろう。が、それだって数年に一回シャッフルしてしまうんだから切実じゃないのかも知れない。
むしろ点数に対してより切実にならざるを得ないのは塾の講師などか。生徒の成績と自身の実績が直結しているように見える。
「あたしの人生は点数で決まっちまうんだ」
決まる部分もあるんだろうけど、当たり前だけどそればかりじゃないだろう。
「親にはこんな酷い成績取ったことないなんて言われてさ」
「言い方は良くないけど子供の成績に関心を持っているなら、いい親御さんじゃないかと思う」
あたしの親は、あたしに無関心である。まあこれは、どちらにもいい面悪い面あるだろう。
言い方に気をつけなければならないが、点数が上がらないひとは努力をしていないか、努力の方向が間違っているか、のどちらかだ。
「ってのを、中の下のあたしが言ってはいけないんだが」
「下の下の私が聞くんだからいいじゃん」
「難しいなあ」
試験の結果というのは、オフィシャルなものだ。公立の学校は公式な場であり、そこで行われる試験も公式と言えよう。あたしが通う学校ではやらないが、ところにより全員の試験結果が張り出されるところもあるらしい。
「きついことするなあ」
「それはあたしもそう思う」
なんでそんな事を思うかと言うと、公式に行われているものであるにも関わらず、試験の結果というものは、自分の頭の中身を公開しているような気持ちになるからだ。もっと言えば、あなたの頭は三十点、そっちは八十点、と並べられて比べられて、平気でいられるほうがおかしい。
「そもそもプライバシーの侵害だろ」
「そんな気もするね」
「私のテストの結果は私の問題だ。拒否できない行事に無理やり参加させて結果を公表するとは何事だ」
「この学校じゃやらないんだからいいじゃんか」
逆に、公式行事なんだから、試験の結果は全てネットで公開すればいい、とも思う。それが出来ないのは、そこまで広げてしまうと学校側も都合が悪くなったりするからだろう。あからさまに結果が悪いとあれば、そんなところに行かせたくないと思う親御さんが増えるだろうから。
「試験ってのは勉強した結果を知るためのもんだろ」
「そうとも言えるかも」
「勉強ってのはそもそも試験のためにやるわけじゃないだろ」
「うお。えらいこと言い始めましたなあ」
「そもそも私達が幸福に暮らせるようになるために勉強はあるはずだ」
「ふむ」
「だってそうだろ。でなきゃ義務教育だなんて国民全員にさせるわけないじゃんか。国のために学べってんならそれでもいいよ。国が良くなりゃ私達だって幸せになれるんだろ」
「まあ落ち着いて」
「勉強ができない私はこの国にはいらないんだ」
「結論を急がないで」
さっきも言ったとおり、試験の点数は取り方がある。まず覚えること。覚えるために反復すること。
実はこれだけでいいのかも知れない。試験の問題というのはあらかた決まっているし、従って回答も驚愕の新事実を求められているのではない。既出のものばかりだから、実はどれだけ覚えていられるかという話にしてしまってもいい。たくさん覚えることは試験攻略には重要な要素だ。
「嫌なものを覚えられっか」
「まさにそこ。仰るとおり」
勉強が嫌いというのは前提ではない、はずだ。数学や化学、いや、地図の記号でもいいや。ああいった記号の頭の中に入り難さってのは根源的な感触がある。
「そう言われればそんな気がするなあ。典は上手いこと言うなあ」
「いや、刷り込まれては困るから今のは忘れて忘れて」
嫌だ嫌だと思っていると嫌になる。このあたりプラセボ効果に似ているようなところがある。数学を極めようと思ったら才能が必要だ、というような意見を目にしたことがあるが、あたしたちが関わる程度の数学には、多分そんなものは必要ないか、必要ない程度の点数を取ればいいのだろう。数学者になれるようなひとは、あたしたちが関わる程度の数学は児戯、という感じじゃなかろうか。
想像がつかんが。
かく言うあたしも数学が苦手、抽象的なものを含む学習はあまり好きじゃないから、愚痴ばかりになる。
なぜ勉強が嫌いになるのかを考えたいところなのだった。
誰でもとっかかれるように組まれているのが義務教育のカリキュラムだ。これならいけんじゃねえのと頭のいいひとたちが考えたに違いないのだが、あたしや明美みたいに落ちこぼれたと感じるひとがそれなりの数いるということは、いや、いるよな、あたしと明美だけじゃないよな。
「典、だいじょぶだよそれは。他にも何人かいるよ」
「よかった。ほんとよかった」
落ちこぼれるということは、システムとして破綻している可能性がある。いや、はなから落ちこぼれさせることが前提である可能性も捨てきれない。淘汰するとか選択するとかは自然界の常とも言えるから、社会制度に有益か無益かという選別を、義務教育課程九年間できっちり行っているのだ。
「決めつけていいのかよ、流石に怖くなってきたぜ」
「そうしようと思ってなくても、そうなっちゃったかも知らんじゃろ」
勉強が好きになるか嫌いになるか、ご意見ご要望はいろいろと拝見させて頂く。いやまあ流布しているものを眺めるだけだが、個性というものがあると前置きされた上で、環境、親、教師、学校、国、人類、それら全てがひっくるめられて優秀な学生とあたしたちのような落ちこぼれとかが生じる。それは個性だと言われず、落ちこぼれと言われるのだ。
「絶望的だなあ」
「かわいそうだよねあたしたち」
「救われたい」
「救いがあるのかという話になるわけだけど、救われたいかね」
さて、広げた風呂敷はそのままにする。
落ちこぼれは救われないのだ。
頑張らないからだ、努力しないからだという半ば暴力みたいな指摘が存在する。が、あたしが聞いたところによると、努力が出来るのも才能らしい。
「これもあんま言いたくないんだけど、明美は努力して勉強する、という才能が欠けてるんだと思う」
「私、私だけ。典は、典にはあんの」
「あからさまに動揺すな。まずその水筒の水を飲んで落ち着き給え」
「ぐすん。ごきゅごきゅ。ぷは」
あたしには、面白いと思えないものでも多少頑張れるだけの才能があったんだと思う。あたしからすれば明美は全く努力していないように見える。と言って誤解して欲しくないのは、他のことは出来ても勉強だけは受け付けないという時があるからだ。
「まあでも実際に勉強、全くしてないからな」
明美はぽそりと言う。
「そこに座っているってことは、それでいいとは思ってないってことだね」
「ん、まあね」
「それはね、すごいと思うよ。あたしは現状で仕方ないとしか思ってないもん。今よりも良くなりたいなんて、すげえことだよ」
「そうかな。でも、思うだけで、努力ってのはやっぱりしたくない。典の言う通り、私には勉強を頑張る才能はないんだ」
「あたしが言ってるわけじゃないけどさ」
言ってるわけじゃないし、それが正解かどうかはわからん。
が、それが出来るひと、出来ないひと、多様であるというのはそうでなきゃいけない。多様であるべきだと言いながら、あたしたちは学校で肩身の狭い思いをする。
あたしたちの国の学校教育制度が始まってまだ百年も経っていない。未熟なところがあって当たり前なのかも知れない。
「私達みたいに苦しむ子がいなくなるかねえ」
そうか。やはり苦しむだけ明美はあたしの上にいると思う。
「いなくなるといいねえ、あたしたちの犠牲の上に。とはいえ、明美の現状もなんとかしなくちゃならない」
「なんとかなるのかねえ」
「処方させて頂きましょう。教科書に名前、書いてありますか」
「え、書いてあるよ。いや、いくつか書いてないのもあるか知らん。すいません」
「結構。お家に帰ったら、書いてある名前を全部消して、きれいに消して、書き直してください」
「それでどうなるの」
「知らんよあたしにも。ただそうしたほうがいいですよって、なんとなく思うからだ。なにしろプラセボだから効果の程はわからん」
「むう」
「強いて理由をつけてみれば、名前を書き直すことによって擬似的な生まれ変わりをしてみようじゃないかと」
「そんなもんでか」
「容易さを考えれば見どころがあるじゃろ。全然努力をしない明美から、ちょっと努力する明美に生まれ変わるのだ。悪くあるまい」
これはこじつけであって、わかってもらうためにお話を拵えただけだ。なんらかの行為をするように勧める、というのがぽっと浮かんでくるが理由はない。
「そうだ。そうだね。ありがとう」
明美はそれでも不審そうな、だけどわかったような、そんな雰囲気で立ち上がる。
「ただいま」
「おかえり。ご飯出来てるよ」
「ん」
ご飯は美味しかった。風呂は気持ちよかった。友達とチャットも楽しかった。気がかりなのは近々の試験だけだ。
教科書の名前を書き直せって。なんだってそんなことしなくちゃなんないんだ。生まれ変わるって、子供だましにも程がある。私は子供だが、だまされるのは気に入らない。言う通りにしたけど駄目だったよ。典にそう言うためだけに教科書を取り出した。
雑なひらがなであけみとだけ書いてある。我ながら呆れて消しゴムをかける。油性のペンで書いたのだが、樹脂でコートしてある教科書の裏表紙の、名前を書く欄は綺麗になった。
ここに私の名前を書くのか。
数学の教科書に名前を書くという、当たり前の行為が重かった。以前ふざけて名前を書いているのも、教科書を自分のものとして所有するのが気に入らなかったのかも知れない。私の人生になんの役にも立たず楽しみにもならんものを、名前を書いてまで責任を持たなきゃいけないのが辛かったのだ。
辛いのなら楽しくしなければなるまい。私は名前を書くところに、
スマイル明美
と、丁寧に丁寧に書き込んで、ひとしきり阿呆みたいに笑った。生まれ変わるどころではない。西洋人とのハーフである。ハーフなら、帰国子女ということにでもなろうか。
なんだか勉強が出来そうな、出来なければならないような気がしてきた。
ま、ばかばかしい妄想であるのだが。
試験の勉強をするためには範囲を知らなければならないのに、この帰国子女は言語の問題でもあったのか、範囲を知らないようだ。フレンドに電話すると丁寧に教えてくれた。珍しいな、雨が降るんじゃないのと言われたが、帰国子女だから日本のスラングなどわからんのだからははんと受け流し範囲の勉強を始める。とは言え慣れないことをするのだからどこをどうしたものかすらわからない。試験対策でネットを活用したのも初めてだ。
「典、点数上がったよ。ママンも喜んでた」
「そいつはなにより」
ママンに違和感があったが、明美が笑顔ならいいではないか。
「中の下の中くらいだけどな」
「わかりにくいがうんまあなによりだ」
「頑張ったんだ。だからほっぺにちゅ、ってしてくれ。きっすみぃきっすみぃ」
「わ、わかったわぁった」
実はこのプラセボの欠点、副作用がこれだ。なんだか、ちゅ、を求められる。まあ出鱈目な話で相談に乗ったような顔をしているのだから多少の手間は仕方ない。が、周囲の目がどうも気になる。あら典さんまた別の女の子にちゅ、ってしてるの、あらあらあら、みたいに見られているように感じられる。そのあたりはどうにも心外だ。
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