第26話 孵る卵と二人の帰還
その後、蒼真と弘祈はソフィーに連れられて、神殿の奥へと来ていた。
右に行ったと思ったら今度は左に曲がったり、そしてまたすぐ右に、などと複雑な通路を、ソフィーは迷うことなくまっすぐに進んでいく。二人は迷わないよう、その後を懸命についていった。
奥に進むにつれて、だんだんと空気が神聖な、澄んだものへと変わっていくのを感じる。と同時に、蒼真の中にある緊張がだんだんと大きくなってきた。
これから何をするのかも、まだ聞かされていないのだから当然だ。
(何だか、演奏会で指揮する時よりも緊張するな……。弘祈は緊張とかしてねーのかな)
隣を歩く弘祈にちらりと視線をやるが、その顔はいつもと変わっていないように見える。内心では緊張しているのかもしれないが、そこまではわからない。今は真面目な表情で前を向いていた。
弘祈がオリジンの卵の親なのだから、この後に何かをするとすればそれは弘祈の役目のはずだ。
だが、もしかしたら騎士の自分にもまだやることがあるのかもしれない。そう考えながら、蒼真は気を引き締める。
神殿の突き当たり、最奥にはひときわ大きな扉があった。この扉も、神殿の入り口と同じか、それ以上に繊細な装飾が施されている。
「こちらです」
扉の前でソフィーが立ち止まると、蒼真と弘祈も
止まった途端に、蒼真の心臓が大きな音を立てて跳ね上がった。
「少しお待ちください」
さらにソフィーはそう告げる。それから、ずっと手に持っていた鍵を鍵穴に静かに差し込んだ。
その様子を、蒼真は緊張した面持ちで黙って見つめる。弘祈も同じように眺めているようだった。
少しして鍵の開く大きな音が響くと、ソフィーがゆっくりと振り返る。
「どうぞ、お入りください」
そう言って扉を開け放ち、二人を中へと招き入れた。
ソフィーに促されて、二人は恐る恐る足を踏み入れる。
円形の広間は扉の大きさのわりにはあまり広くなく、そのバランスはやや不釣り合いにも思える。
そんな広間の一番奥には、
「ここは精霊の間と呼ばれています」
二人の後ろで内側から鍵をかけ直したソフィーが教えてくれる。
「精霊の間?」
蒼真と弘祈は一緒になって、同じ方向に首を傾げた。
「はい、あそこに台座がありますよね」
「ああ、確かにあるけど」
「うん」
ソフィーに言われ、改めて二人は台座へと顔を向ける。
ここに入ってすぐに目に入ったものが、あの台座だった。あまり大きいものではないが、ここからでもはっきりとわかるくらいに装飾が凝っていて、存在感がある。
「あの台座にオリジンの卵を置くんです」
「へぇー」
またソフィーが先頭になって、台座の方へと歩いていく。その後に二人が続いた。まるでツアーガイドとツアー客のようだ。
少し歩いて台座の前までやってくると、ソフィーは弘祈を振り返る。
「それではヒロキ様、台座に卵を置いてくださいね」
「わかった」
ソフィーの優しいけれど
ここまで来ればさすがにもう自分の出番はないだろう。そう思って、蒼真は心の中でわずかばかり緊張を解く。黙って弘祈の行動を見守ることにした。
弘祈は一歩前に出て台座の前に立つと、持っていた
ソフィーは柔らかく微笑んで、感嘆する。
「とても綺麗な色です。ここに来るまで、オリジンの卵はお二人に大事にされてきたんですね」
「僕たちはティアナに言われた通りにしてきただけだよ」
「ああ。特に何も変わったことはしてないはずなんだけどな」
弘祈の言葉に、蒼真も同意して首を縦に振った。
そんな二人に向けて、ソフィーはやや強めの口調できっぱりと否定する。
「私はそうは思いません。だって、オリジンの卵を見ただけでとても幸せな気持ちになれるんですから」
「そっか、それならいいんだけどさ。ほら弘祈、早く台座に置いてやれよ。親として、きっとこれが最後の役目だろ」
蒼真はそう答えて目を細めると、次には弘祈の背中を軽く叩いて促した。
「……うん、そうだね」
少し名残惜しげに卵に視線を落とした弘祈が、大きく深呼吸をする。それから、慎重に卵を台座の上に置いた。
卵はまだ綺麗なピンク色をしている。しかし、わずかに寂しさのような感情が伝わってくるような気がした。
「ありがとうございます。それでは少し下がってお待ちください」
ソフィーに言われ、蒼真と弘祈は台座から離れる。
それを見届けて、ソフィーは台座の前に膝をついた。胸の前で両手を組んで、目を閉じる。
小さくてよく聞こえないが、何かを唱えているようだ。唇から紡がれているのは、おそらく呪文の類ではないかと想像する。
しばらくして、変化は起こった。
台座に置かれた卵の殻に、ひびが入ったのである。
(殻が割れる……!)
蒼真は思わず
少しずつ大きくなるひびから目を離せない。隣の弘祈もきっと同じだろう。
そうして完全に殻が割れ、三人の前に姿を現したのは小さなヒヨコにも見える鳥だった。ただ、ヒヨコと違っていたのはその色である。
「虹色……?」
弘祈の口からようやく声が出た。
そう、卵から
「こんなに小さくても、ちゃんとした精霊なんですよ」
立ち上がったソフィーがそう言って、二人を振り返る。その額には汗が薄く浮かんでいた。
「そっかぁ。こいつ、こんなに綺麗な鳥だったんだな」
「蒼真、鳥じゃなくて精霊だよ」
「あ、そうだったな」
蒼真と弘祈が笑ってそんなことを話していると、オリジンの卵――精霊は小さな羽を一生懸命に広げる。
すると、どこからともなく激しい風が吹き荒れた。
「うわっ!」
突然のことに、蒼真が
ややあって風が止みかけた時、
『ここまで連れてきてくれてありがとう』
ふと、どこからか美しいテノールが聞こえたような気がした。それはこれまでに聞いたことのない声だった。
きっとオリジンの卵、いや精霊の声なのだろう。蒼真は漠然とそう思った。おそらく、弘祈にも聞こえていたはずだ。
「すごい風だったな」
「うん」
風が完全に止んでから、蒼真は弘祈の方に顔を向ける。弘祈もほぼ同時に蒼真を見た。
どちらからともなく、笑みが零れる。
それから、台座に乗った精霊に揃って目をやると、精霊は虹色の大きな光に包まれていた。まるで虹色の宝玉のようである。
あまりの美しさに息を呑んでいると、不意にソフィーの声が聞こえてきた。
「これでオリジンの結界の準備は整いました。あとは数日のうちにこの大陸が結界で覆われるはずです」
「じゃあ、俺たちの役目は終わったってことか?」
「はい、ありがとうございました」
蒼真が訊くと、ソフィーは潤んだ瞳で蒼真と弘祈をしっかり見つめてから、
こうして、二人の旅はようやく終わりを迎えることになった。
※※※
オリジンの卵が無事に孵ったのを見届けた後。
蒼真と弘祈はソフィーの案内で、帰還の魔法陣があるという広間まで来ていた。
そこでは
「じゃあ、今度は観光に来てくださいね!」
眩しさに耐えながら光の立ち昇る魔法陣に入った二人に、ソフィーが明るく声を掛ける。
ソフィーの先ほどまでの厳かな雰囲気は一体どこへ消えたのか。こちらの
「それはマジで勘弁してくれよ……」
「戦いと野宿がなければいいんじゃなかったの?」
蒼真がうんざりしたように肩を落とすと、弘祈はいたずらっぽくそう言って笑った。
眩しくて顔は見えないが、きっと心底
「うっせーよ」
蒼真は何だか悔しくなって思わず吐き捨てるが、弘祈の笑い声は止まらない。
「それでは、この度は本当にありがとうございました!」
ひときわ大きいソフィーの声が聞こえると、身体を包み込む光の渦が激しさを増した。
(これでやっと地球に帰れるのか……)
ほっとしたような、でも少し寂しいような、複雑な気持ちで蒼真は静かに目を閉じたのだった。
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