第9話 野宿と共通の話題

 日が沈んだ森の中で、蒼真が心底残念そうに大きな溜息をつく。


「あーあ、今日はここで野宿かぁ……」

「近くに泊まれる場所がなかったんだから仕方ないよ」


 不満たっぷりにぼやく蒼真に、弘祈は自分にも言い聞かせるかのようにそう答えた。


 スライムを倒してオリジンの卵に音楽を聴かせた後、さらに草原を進んだ二人の前に立ちはだかったのは大きな森である。


 地図で確認すると、ここを通らなければならないようだったので素直に入ってみたまではよかったのだが、森を抜ける前に夜になってしまったのだ。


 少なくとも森の半分程度までは進んでいると、二人は信じたかった。

 ただ、取扱説明書についている地図と方位磁石だけでは、現在地まではわからない。周りの風景から、まだ森が続いていることくらいしか把握できないのだ。


「まあ、食べ物があるのはありがたいけどさ。自分たちで探さなくていいし」


 草の上にあぐらをかいた蒼真が、弘祈から固そうなパンなどを受け取る。


 弘祈の持っているかばんには少しの食料が入っていた。そこから適当に引っ張り出したものを二人で食べる。

 簡素な食事はかなり薄味で、正直あまり美味しいとは言えなかった。


「じゃあ僕が起きてるから、蒼真は先に寝てていいよ。適当なところで交代すればいいよね」


 最初に焚き火の番をすると言った弘祈に、蒼真は「わかった」とだけ答え、そばで横になる。

 しかし、大きく変わった環境下でそう簡単に寝つけるはずもない。枕が変わると寝つきの悪くなる蒼真にとってはなおさらだ。


 そこで、蒼真は仕方なく眠気が襲ってくるまで焚き火にあたることにして、のそのそと起き上がる。


「……?」


 そんな蒼真の様子に弘祈は無言でわずかに首を傾げたが、すぐに理由を察したらしく、顔を焚き火の方へと戻した。


 特にすることのない蒼真は黙って焚き火を見つめる。

 弘祈もオリジンの卵を手に持って、焚き火を眺めていた。


 夜の静寂のなか、焚き火の小さくぜる音だけが聞こえる。ゆっくり流れる時間はとても長く感じられた。


 普段から仲が良いわけではなく、むしろ知り合い程度のレベルだ。

 そんな二人では自然と会話が始まるはずもない。


(何となく気まずい……)


 ずっと続く沈黙に耐えられなくなってきた蒼真は、懸命に話題を探そうとし始める。


 休みの日は何をして過ごしているのか。

 家族は何人で、どんな人たちなのか。

 大学での共通の話題はあるだろうか。


 あれこれと考えてはみるが、どれも会話が弾みそうには思えない。


(うーん、どうしたものか……)


 腕を組んで唸っていると、不意に弘祈が口を開いた。


「こういうのって、キャンプとはちょっと違うよね」

「あ、ああ。さすがに野宿とキャンプでは気分が違うもんなぁ。ジャンルも何か違う気がするし。こんな体験初めてだな」

「そうだね」


 蒼真の答えに弘祈が頷くと、二人の会話はこれだけで終わってしまう。


 またも沈黙が襲ってきて、蒼真は仕方がなく、弘祈の手に乗ったオリジンの卵を一緒になって見つめることにした。


 その間も話題を探す。


 しばらくの間、ああでもないこうでもないと色々考えた蒼真だが、ようやく一番良さそうな話題を思いついた。


(お、この話題ならいいんじゃねーの)


 蒼真は弘祈の機嫌をうかがうようにして、おもむろに口を開く。


「……弘祈はさ、ヴァイオリンめちゃくちゃ上手いよな。それなのにどうしてプロを目指さなかったんだ?」


 そうして振ったのは、音楽の話だった。どうして真っ先に思いつかなかったのかはわからないが、これなら共通の話題として最適だろう。


 突然発せられた声とその内容に驚いたのか、弘祈は蒼真の方を向いてほんの一瞬だけ目を見張る。


「そう言ってもらえるのは嬉しいけど、ヴァイオリンを始めた時期が遅すぎたからね」


 それから静かに言葉を紡ぎ、微苦笑を浮かべた。


 てっきり小さな頃から英才教育でも受けていたのではないかと思っていた蒼真が、不思議そうに首を捻る。


「いつから始めたんだ?」

「中学に入ってからだよ」

「え、マジで!? それなのにあれだけのレベルなのかよ!?」


 すげーな、と呟きながら感心する蒼真に、弘祈は照れくさそうに頬を掻いて続けた。


「僕はただ楽しく、ずっと音楽を続けていければいいと思ってるからさ。後はもう少しだけオーケストラのレベルを上げられたらいいな、って」


 まっすぐに焚き火を見据えて正直に思ったことを語る様子は、普段大学で見かける穏やかな弘祈に見えた。


(何だ、思ったよりずっとしっかり考えてるんじゃねーか。ただ俺に反抗したいってわけでもなさそうだな)


 これまで自分がほとんど見たことのない弘祈の姿に、蒼真は何だか不思議な気持ちになる。

 ただ、それがどういうものなのか、今はさっぱりわからない。


「そっか。俺も楽しくできたらいいなーって思ってる。オケのレベルも高くなるに越したことはないもんな」


 上手くなればもっと色んな曲できるし、と蒼真が同意して白い歯を見せると、弘祈も微笑んでしっかりと頷いてみせた。


(初めて真面目に、穏やかに話したような気がする……。いつもは喧嘩ばっかりだもんなぁ)


 蒼真は心の中でそんなことを考えて苦笑する。


 弘祈が考えていること、その一部がわかって、蒼真はほんの少しだけ嬉しいと思う。


 けれど、ちょっとした部分がわかったところですぐに友人になれるかと問われれば、正直まだ難しいような気がした。


(いやいや、そんな簡単に友達になれるようなやつじゃねーし)


 今自分が知ったのは氷山の一角にすぎない。


 それを知ったくらいで、これまでの対立をすべて水に流せるはずもなく、蒼真は『もしかしたら友達になれるかも』という考えをすぐに打ち消したのだった。


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