第8話 初めての魔物と卵の怯え

 草原をしばらく進んだ頃である。


「うお、何か出てきた!」


 突然草むらから飛び出してきたものに、蒼真は目を見開いた。

 咄嗟に身構えて、それをしっかりと見る。


「魔物……だよね。スライムかな」


 蒼真の斜め後ろにいた弘祈が冷静に言った通り、ぷよぷよとした弾力が気持ちよさそうな、小さなスライムだった。


 一体だけで出てきた半透明のスライムは特別強そうには見えなかったが、こちらに敵意を向けていることははっきりとわかる。


「無視するわけにもいかねーか」


 蒼真はうんざりしたようにそう言って、右手に剣を出現させた。念じるだけで出てきてくれるのはかなりありがたい。


 剣が出てきたのを合図にするかのように、スライムが蒼真目がけて飛びかかってくる。


 しかし、蒼真はその単調な攻撃を簡単に避けると、まるで指揮をする時のような流れる動きで剣を振り上げ、そのままスライムを真っ二つにした。


 二つに分かれたスライムは、すぐさま蒸発するようにその場から消え去る。後には何も残らなかった。


「何か余裕で倒したね……」


 弘祈が驚いた様子で、これまでスライムのいた場所を見つめる。


「ああ、余裕だったな……」


 蒼真も呆然とそう答え、自身の手にある剣に目を落とした。


 さすがにレイピアとまではいかないが、細身の剣。

 それは重さをまったく感じさせず、指揮棒を振っている時のように自由自在に軽々と動く。


 蒼真は自身を『運動神経は良い方』だと自負しているが、正直なところ、最初からここまで簡単に使いこなせるとは思っていなかったので、軽く拍子抜けしてしまった。


「後ろから見てたけど、指揮してるみたいだったね」


 弘祈が感心したように言うと、蒼真も素直に頷く。


「ああ、俺もそんな気分だった。そうだ、卵は無事か?」

「確認してみようか」


 蒼真に訊かれた弘祈がすぐさまかばんに手を突っ込んで、布に包まれたオリジンの卵を取り出した。


 しかし、二人は出てきた卵を見て、揃って自身の目を疑う。


 ネスーリ神殿を出る時、卵は淡い黄色だったはず。それなのに、今はその色が変わっていたのである。


「真っ青になってんじゃねーか……!」


 思わず声を上げる蒼真の顔も、卵同様に蒼白になりそうだった。


 これは何となくまずいような気がする。

 そう考えて、蒼真は真剣な表情で弘祈を見た。


「僕は戦ってないから持ってた卵も無事だったけど、状態によって卵の色が変わるってことは、今は怯えてたりするんじゃないかな」


 だが、弘祈は卵に目を落としたままそう分析するだけで、蒼真の視線に気づかないようだ。


「てことは、説明書に何か書いてあるんじゃねーのか?」

「うん、多分書いてるんじゃないかな。ちょっと待って」


 すぐに鞄から取扱説明書を取り出した弘祈が、その表紙を開く。

 まずは目次を確認して、それからパラパラとページをめくり始めた。


 蒼真が固唾かたずを呑んで弘祈の手を見つめていると、あるページでその手が止まる。

 開かれたページに、二人は揃って集中した。


「何なに……」

「えっと、『戦闘はオリジンの卵を不安定な状態にさせます。ずっとそのままの状態にはせず、すぐに音楽を聞かせてください』だって」


 弘祈がページの一部分を読み上げると、蒼真は少しだけ緊張を解いて「ふむふむ」と頷く。


 確かに、不安定な状態が続くと卵に悪い影響が出るのかもしれない。それなら納得だ。

 現在の状況がわかって、蒼真はほっとする。


「じゃあ、やっぱり怯えてるってことか? で、音楽を聴かせれば元に戻る、と。そっか、それならよかった」

「うん、そんな感じなんだろうね。あ、他にも何か書いてある」

「何て?」


 蒼真は身を乗り出すと、改めて取扱説明書を覗き込んだ。


「『また、魔物はオリジンの卵をむべきものとして、破壊または奪おうとする可能性が高いので、十分に気をつけてください』らしいよ」

「ちょ、待て! そんな大事なこと今頃言うなよ! 神殿追い出す前に教えとけよ!」


 最初にきちんと取扱説明書を読んでおかなかったのが悪いのだが、蒼真は思わず「ティアナめ」と恨めしげにツッコミを入れてしまう。


「こればかりは今言ってももう遅いしね……」


 そんな蒼真の姿に、弘祈はただ苦笑を漏らすだけだった。


「でもそうか。だから、さっきのスライムはあんなに敵意むき出しだったんだな。俺たちが卵を持ってるってわかるのか」

「きっとそういうことなんだろうね。卵の気配に敏感なのかも」


 蒼真が顎に手を当ててさらに納得すると、弘祈も同意して頷く。

 そこで蒼真はあることに気づき、弘祈に向けて口を開いた。


「ところで、今思ったんだけどさ」

「何?」


 両手で大事そうに卵を持った弘祈が、首を捻りながら答える。


「騎士ってオリジンの卵だけじゃなくて、弘祈のことも守る役目もあったんだよな」


 何で俺がお前まで守らなきゃいけねーの、と蒼真はがっかりした様子で肩を落とした。


「ああ、ティアナはそんなことも言ってたね。てことで、ちゃんと守ってよね『騎士様』」


 意地の悪い笑みを浮かべる弘祈に、蒼真が睨むような視線を投げる。


「卵だけならまだしも……!」


 奥歯を噛み締めながら悔しげに言うが、弘祈はそれを気にすることなく、いつの間にかヴァイオリンを手にしていた。


「とりあえずは説明書の通りにしよう」

「お前は戦ってないから楽なもんだよな」


 わざとらしく嫌味を言う蒼真にも動じることなく、弘祈はまたもさらりと返す。


「『騎士様』は黙ってて」

「くっそー!」


 蒼真がその場で地団駄じだんだを踏みそうになるのを懸命にこらえていると、ヴァイオリンを構えた弘祈が静かに演奏を始めた。


 紡がれたのは『タイスの瞑想曲めいそうきょく』である。

 これもまた有名な曲だ。


 蒼真は美しく流れる旋律を聴きながらその場に座り込み、オリジンの卵の方へと顔を向ける。


(あ、ちょっと青みが薄くなったかな)


 鞄の上に置かれている卵の色は、ゆっくりではあるが確実に変わっていた。


 演奏を終え、最終的に青からピンク色へと劇的に変化した卵の様子に、二人は胸を撫で下ろす。


「何だか嬉しそうに見えるな」

「そうだね」


 揃って頷くと、また卵を布で包み、取扱説明書と一緒に鞄の中に戻したのだった。


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