第6話 ヴァイオリンとオリジンの卵
弘祈が右手のひらをじっと見つめる。
ヴァイオリンが現れるように、と懸命に念じているのだろう。
少しして、蒼真の時と同じようにその手にヴァイオリンが現れた。
「ヴァイオリンも出てくるのか! で、これは何に変化するんだ?」
「わざわざ覗き込まなくてもいいでしょ」
蒼真がすぐさま弘祈の手にしたヴァイオリンに視線を落とすと、弘祈はうっとおしそうな表情を浮かべる。
しかし、蒼真はそれに気づくことなく、楽しそうにヴァイオリンを眺めていた。
指揮棒が剣に変化したのだから、ヴァイオリンもきっとすごい武器になるのだろうとワクワクし始めていたのだ。
色々な想像を膨らませる蒼真に対して、ティアナは真顔で首を横に振る。
「これは変化しません」
「え? じゃあ、ヴァイオリンで殴って攻撃するとか……?」
「蒼真はバカなの? そんなことしたら一撃でヴァイオリンが壊れるよ」
少々拍子抜けしてしまった蒼真がさらに問うと、弘祈は心底呆れた様子で溜息をついた。
「バカとは何だよ!」
「本当のことを言ったまでだからね」
弘祈が冷徹に突き放すような口調でそう返すと、蒼真は途端に目を吊り上げて声を荒げる。
「何だって!? じゃあその戦えないヴァイオリンは役立たずってことだよな!」
「ティアナ、ここでヴァイオリンが出てくるってことは、何か理由があるんだよね?」
だが、弘祈はまだ噛みついてくる蒼真を華麗にスルーして、ティアナの方に顔を向けた。
「はい。ヒロキ様の楽器には特別な役割があります。オリジンの卵に、その楽器で音楽を聴かせてみていただけますか?」
「曲は何でもいいの?」
「お任せします」
ティアナに一任された弘祈が、「そうだなぁ……」と顎に手を当ててうつむく。
弘祈には弾ける曲がきっとたくさんあるはずだ。好きに選んでいいとなるとそれなりに悩みもするだろう。
「じゃあ、この曲にしようかな」
ややあって曲を決めたらしい弘祈は、これまでとは違う穏やかな口調でそう言って目を細めると、ティアナに卵を預けた。
すっかり
弘祈がヴァイオリンを構えると、時すらも止まったような静寂が訪れた。そのまま、真剣な表情でゆっくり弓を引く。
静かに紡がれたのは、『G線上のアリア』だった。曲名だけでなく、曲自体、誰もが一度は耳にしたことがあるだろう。
『G線上のアリア』は、かの有名なバッハによって作曲されたものである。ヴァイオリンの最低音域の弦、G線だけで弾くことができるためそう呼ばれている。
だが、この名前はソロヴァイオリン用に編曲された時に名付けられたものだ。もともとの正式名称は長いため、蒼真でもいまだに覚えられていない。
ゆったりと綺麗に流れるような旋律は、いつ聴いても心を穏やかにしてくれる。
(これ、いい曲だよな……。何だか癒される)
蒼真はふとティアナの方に視線を向けた。
オリジンの卵を持ったティアナは、どうやら弘祈のヴァイオリンに聴き入っているらしい。ただ黙って目を閉じているが、その顔にも笑みが浮かんでいた。
蒼真も改めてヴァイオリンの音色に耳を傾ける。
弾いている相手がたとえ苦手な人間であっても、音楽に罪はないのだ。
(うん、やっぱいい曲)
先ほどまで苛立っていた心が柔らかく解きほぐされて、全身が浄化されたような気さえする。
しばらくして演奏が終わると、蒼真は無意識に手を叩いていた。
その姿を見た弘祈が、驚いたような表情をみせながらも小さく一礼する。
「……どうも」
「とても素敵な演奏でした。ありがとうございます」
卵を目の前に差し出され、弘祈は素直に手を伸ばそうとするが、
「色が、変わってる……」
途中でそう呟くなり、そのまま硬直した。
「色って?」
今度は蒼真が不思議そうに首を傾げながら、弘祈の肩越しに卵を覗き込む。
すると、これまで真っ白だったはずのオリジンの卵が淡い黄色に変化していた。
弘祈は珍しく蒼真に
「卵の色が変わってるよね……!?」
「ホントに色が変わってんな! 何か黄色い!」
思わず声を上げた蒼真に、ティアナはすぐさま説明を始めた。
「その時の状態によって殻の色が変わるようになっていて、音楽を聴いたりすると変化します。詳しくは後で取扱説明書を読んでくださいね。今は落ち着いた状態のようですので、ご安心ください」
「へー、気分で変わる感じなのかね」
「僕が何か悪いことでもしたかな、ってびっくりしたよ……。つまりヴァイオリンを聴かせて、卵の状態を安定させるのが僕の役目ってところかな?」
「そういうことになります」
蒼真と弘祈がそれぞれそんなことを言うと、ティアナは大きく頷く。
二人は改めてオリジンの卵に視線を落とし、じっくり眺めた。
優しい黄色に染まっている様子は、確かに落ち着いているように見える。
「これを運ぶのか」
「そういうことだよね」
蒼真と弘祈が緊張した面持ちで顔を見合わせると、
「それでは、よろしくお願いしますね」
ティアナは嬉しそうに顔を綻ばせ、改めてオリジンの卵を二人に差し出したのだった。
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