第四十話 楽しい昼食


 ソファで昼食の完成を大人しく待ち始めてから十五分ほど。

 時折キッチンの方が騒がしくなっているのを遠くに聞きながら待っていれば、料理も完成したようで呼びかけられる。


「ご、ご飯できたよ……。これ、持ってってもらってもいい…?」

「あぁ……唯、なんかすごい疲れてるみたいだけど、どうした?」


 お盆に乗せられた親子丼の丼を受け取りながら、作ってくれた彼女の顔を見ればひどく疲弊したようにぐったりとした様子だ。

 …原因なんて一つしか思い当たらないが。


「母さん。唯に何言ったんだよ……」

「べっつにー? ただ少しお話ししただけよー?」


 絶対に嘘だ。態度からそれはすぐに分かった。

 おそらくさっきキッチンで話していた時に何か吹き込まれたのだろうが、それを聞き返したところで教えてくれることなど無いだろうし、聞くだけ無駄だ。


「母さんがなんかごめんな…?」

「ううん。た、確かにちょっと驚いたりはしたけど……私も楽しかったから全然大丈夫だよ!」

「そうか……。ならいいんだけど」

「そうよ! そんな疑うなんて失礼な子ね!」

「母さんはもっと落ち着きってものを覚えてくれ。あと唯を困らせるな」


 母を庇おうとしてくれていた唯に便乗してきた美穂子を軽く受け流しながら、机に昼食を並べていく。

 まだ湯気を立ち昇らせている親子丼の熱気からは美味であることを予感させる香気が漂ってきており、食欲を直接刺激してくるようだ。


 卵でとじられている鶏肉や玉ねぎも味が芯にまで染み込んでいることが手に取るようにわかるくらいに美しい見た目をしており、それだけで味の良さが伝わってくる。

 空腹も限界に近いので、早く食べてしまおうと二人を呼び寄せて昼食へと移行していく。


「それじゃ、いただきます」

「はい。召し上がれ!」

「唯ちゃんの料理っていうのも楽しみね! お味の方も期待しちゃうわ!」


 食事の挨拶を済ませて箸を手に取り、親子丼を口に運んでいく。

 言うまでもないが、料理のクオリティがやはり非常に高い。


 この親子丼も、まず真っ先に感じられたのは卵の柔らかさが絶妙なバランスで整えられている。

 トロトロとした食感を残したまま、されど全体の形を崩すことなくつかめてしまうこれは、丼のイメージとも完全にかみ合っており濃厚なインパクトを演出してくれている。


 そして何よりも、鶏肉と玉ねぎの味わいが素晴らしい。

 親子丼の肉というのは若干ぱさぱさとした食感になりがちであり、今まで食べてきたものも大半はそういったものだった。


 だが唯のお手製のこれは、それが一切ない。

 長時間煮込まれたことによって肉全体にしっとりとした柔らかさが生まれ、玉ねぎも噛み締めるごとに濃厚な甘みが染み出てきている。


 米と共に咀嚼することでその風味がより強調されており、気づけば箸を動かす手も夢中になって口に運んでしまっている。


「うん。美味いな。肉も柔らかくって食べやすいよ」

「お料理が上手だろうとは思ってたけど、まさかここまでとはねぇ…! とっても美味しいわ!」

「うふふ。ありがとうございます」


 出来上がりを絶賛する美穂子に微笑を浮かべて礼を言う唯。

 それだけの完成度があることは間違いないし、拓也も思わず言葉を忘れてがっついてしまうくらいなので、その称賛にも納得できる。


「拓也ったら、こんな美味しいものを毎日食べさせてもらってたのね。ちょっとずるいんじゃない?」

「恵まれることは自覚してる。いつもありがとな」

「そんな凄いものでもないんだけどね。どういたしまして」


 唯はそう言うが、やはり彼女の作る料理にとてつもない価値があることは事実だ。

 それをほとんど毎日のように食べさせてもらっているというのは、感謝してもし足りない。


「…そういえば気になってたんだけど、今日って父さんは来れなかったのか?」

「お父さんは仕事が忙しくって都合がつけられなかったのよ。せっかくなら来たいとは言ってたんだけど、こればっかりはね」

「……拓也くんのお父さん?」


 うちの両親は共働きであり、母さんの方は仕事に空きができたから来れたようだが、父さんの方は違ったようだ。

 無理をしてまで来てほしいとは思っていないので、来れないのなら来れないでいい。

 そう思って納得するが、唯がうちの父さんに関して興味を抱いたようだ。


「あぁ、父さんは何て言うか……物静かだけど、しっかりしてる感じだな。…母さんとは違って」

「こら、聞こえてるわよ。でもそうね。うちのお父さんは本当に格好いいのよ! 今でも一緒に過ごしてると惚れ直しちゃうくらいにね!」

「……とまぁこんな感じで、仲は良いんだ。…良すぎるくらいだけど」


 両親の仲がいい。それは息子としても誇らしい。

 険悪であるよりは全然いいし、それは拓也も望んでいないことだからいいのだが……若干仲が良すぎるのだ。


 結婚から十数年が経った今でも当たり前のように二人で出かけてデートだってしているし、近所ではおしどり夫婦としても有名なもんだ。

 そしてそれは嬉しいことのはずなのだが、同時に複雑でもある。


 家の中でも外であろうと構わずくっついている両親の姿を見て育ってきたが、こればかりはいつまで経っても慣れなかった。

 あれを見てどんな感情を抱けばいいのか分からないし、最終的に出した結論は二人の時間は邪魔しないようにするというものだった。

 対処法としては間違っていないと思っている。


「そ、そうなんだ。……………いいなぁ」


 ぽつり、とつぶやかれた一言。

 無意識の間に漏れ出たのであろうその言葉には、万感の羨望と、ほんの少しの寂しさが込められていた。


 何かを諦めたかのように肩を落としている唯の姿を見て、声をかけようとする前に美穂子が口を開いた。


「それなら今度、唯ちゃんもこっちに遊びに来たらどーう? 私は歓迎するし、お父さんも嫌だとは言わないと思うわよ!」

「…へっ?」

「こっちにって…実家の方にか?」

「そう! もちろん唯ちゃんの無理のない範囲で、かつ了承してくれたらの話だけどね」


 美穂子の提案に疑問符を浮かべていた唯だったが、それと同じくして疑問を覚えていた拓也も徐々にその内容を理解してきた。

 実家か……。一度はどこかのタイミングで帰省しようと思っていたが、その時期を逃してしまっていたので見送っていた。

 それに唯を一人にしたくはないと思ってもいたので、なおさら帰りづらさが増してしまっていたのだ。

 だがもし唯が一緒に来るというのなら、それも解決する。当然、彼女の気持ちが最優先であることに変わりはないが………。


「遊びに行くって言っても、いきなりは難しいだろうし、夏休み中は無理だろ?」

「ええ。だから来るとしたら今度の休み……年末あたりになるかしらね」

「年末か……」


 冬休みとも重なる年越しの季節。

 彼女にも考える時間は必要だろうし、いざ行くとなっても準備は必須だ。

 それを考慮すれば、そのあたりの期間が妥当なのかもしれない。


「今の段階じゃ、あくまでお誘いってだけだから、気長に考えておいて。もし来てくれるってなったら教えてくれればいいから!」

「えっ、えぇと……はい! その時はお返事させていただきます!」

「うんうん。よろしい。あ、その時は拓也もついでに帰ってきなさいよ?」

「俺はついでかよ……。ってか、唯を誘ったのって単純に母さんが連れまわしたかったからとかじゃないよな?」

「うふふー。もちろんそのつもりよ! こんなに可愛い子がいるんだから、おしゃれさせてあげないとかわいそうよ!」

「やっぱりか……」

「ど、どういうこと……?」

「…すまんが、母さんに補足されたら逃げることは不可能だ。実家に遊びに行ったら、あちこちに出かけることは覚悟してくれ」

「あ、あっはは……すごいことになりそうだね……」


 一連のやり取りを経て美穂子の性格を把握してきた唯も、その光景が容易に想像できたのだろう。

 苦笑しながら何とも言えない表情になっているが、そこに本気で嫌がっている感情は垣間見えず、少し楽しみにしているように思えた。


 その後も普段よりも賑やかな昼食は続いていき、それと同じくらいに和やかな雰囲気が流れた食卓には、笑い声が響いているのだった。

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