第十話(2,127文字)

緑の服を着た清掃業者たちがいつも通り、血まみれの死体が転がるホテルの部屋を清掃している。

アカネはその外、ホテルの廊下を進んだ先にある自販機の隣のベンチに、一人でうずくまって座っていた。

そこには大きな窓があって、相変あいかわらず暗い曇り空が窓越しにアカネを見下げている。

天井のスピーカーからは落ち着きのあるピアノ音楽が鳴っていて、うずくまるアカネの包帯を巻いた頭に、嫌でもその音が流し込まれている。

アカネのまぶたの裏に、自分を向いたあの真っ黒い銃口が、焼きついて離れなかった。

あれが光っていたら、自分は死んでいた。

あの部屋に転がる死体みたいに、ただの物体になる。

そう頭に浮かぶたび、アカネの身体中に寒気が走り抜けていた。

死ねば、永遠の暗闇なのか。

震えるアカネはその目をギュッとつぶり、考えないようにつとめた。


するとそこへ、返り血を身体から洗い流した後のナオが、いつもの黒いスーツの首にタオルをかけてやってきた。

気づいたアカネはそれに顔を上げ、ベンチから立ち上がるとナオへ

「すいませんでした。自分が役立たずなために、先輩に苦労かけてしまいました。」

と言い、頭を下げた。

それを見たナオはタオルを手に握ってからアカネに顔を上げさせると

あやまるのは私の方だよ。危ない目に合わせてしまって、ごめん。」

と言って、アカネへ頭を下げた。

アカネはそれに困りながら

「いえ、そんな、顔を上げてください。私なんてそんな、なんですから、死んだって構いませんし、だから、謝らないでください。」

と、羽織っている黒いコートのすそを手で握って言った。


中田なかたが『だとウチの上層部でも言われてるような、使だが──』と言っていたのを思い出した。


すると、ナオの手からタオルが落ちた。

アカネが「あぁ」と呟いてそれを、床に落ちる前に拾おうとする。

が、アカネのその手はナオにつかまれ、タオルは床へと落ちた。

アカネは「ひゃっ」と驚いた声を出して、怒ったナオに殴られると思い、その目を力いっぱいにつぶった。

ナオはその手を掴んだまま、そのアカネの頭へもう片手をやり、そして、優しく撫でた。

アカネの髪がナオの白い手に撫でられ、あたたかさが伝わり、思わず、その顔から力が抜ける。

「死んでいいわけ、ないよ。」

目を開けたアカネを、ナオのその隈のある目が、まっすぐ見つめている。

撫でられながら、アカネの目が揺れる。

「いえっ、そんな、私なんて、どうせ──」

するとナオは、アカネを優しく抱きしめた。

ナオの身体が触れ、あたたかい熱がアカネへ伝わる。

アカネの背に回ったナオの両手が、優しく力を込める。

「さっきは、怖かったよね。」

ナオが、アカネの顔の近くで話す。

「座ってた時から手、震えてたもん。」

気づいたアカネは咄嗟とっさに手を固く握るも、その握った手をナオに撫でられ、思わず、握る力が緩んだ。

その緩んだ手が、ナオに優しく握られる。

アカネは、その手を握り返した。

その手はまだ、震えている。

「もう大丈夫。大丈夫だよ。」

背に回ったナオの手が、アカネの背をさすり、うなじを伝って後頭部を撫で、頭を優しく包むように撫でる。

「もう怖くないよ。大丈夫。」

ナオはアカネを見上げ、その目を見ている。

アカネも、ナオの背へ腕を回し、ナオを抱きしめ返した。

少し痛いほどに、力強い。

「怖かったです。死ぬ時って、こんな感じなんだ、って、思って、それで、」

アカネの震えた声がぐずる。

「それで、怖くて、死んじゃう、って、」

アカネの身体が震え出し、息が荒くなる。

「怖くて、で、怖かったのぉ、うぅ」

アカネは震える手で、ナオのスーツの背を掴んだ。

「ごめん、なさ、スーツ、濡らしちゃ、」

「いいよ。濡らして。」

「ごめ、ぅぁ、ありがとう、ぅ」

ナオはまた、アカネの頭を優しく撫でた。


帰り、駐車場に停まった車。

そのドアの開いた後部座席に、アカネは座っていた。

するとそこへ、後ろの荷台から救急箱を持ってきたナオがやってきて、後部座席の隣に座り、箱から包帯の束を取り出すとそこへ置き、アカネへ「包帯、外せる?」と聞いた。

アカネは、その涙でぐしゃぐしゃになってふやけた、右目の包帯を手で触ると、「外せます」と、少しかすれた声でナオへ言い、その包帯を外し出した。

どうにもまだ痛むようで、アカネはたまに「いてっ」と小さい声を上げる。

ナオも少し手伝うと包帯が取れ、新しく巻き直すために、ナオはアカネの顔へ寄った。

白く透き通ったその顔に、見れば見るほどに引き込まれるようなその目は、近づくとまつ毛が長く、同性のナオにさえ魅力的に見えるほどに、美しい。

だが、そんな綺麗な右目の上は青くなっており、とても痛々しい。

ナオはその美しい目に少し恥じらいながらも、その顔に包帯を巻き始めた。

こんな綺麗な顔が隠れるのはもったいないとナオは思いながらも、ゆっくりと、アカネに痛みがないようにして優しく、包帯を巻く。

その間、アカネはそのナオの表情を眺め、時より二人の目が合うと、恥ずかしがって目を逸らしあった。


「できたよ、包帯。」

「あ、ありがとう。変じゃないです?」

アカネは顔をいろんな方向へ向けて、ナオへ確認させる。

ナオは「うん。かわいいよ。」と微笑んで言った。

「ん」と声が出たアカネの顔は、ちょっと赤くなった。

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