環境音楽(アンビエント)

ノーネーム

第1話 桜流し

三月初旬、夕方。公園には、何本か、早咲きの桜が咲いている。

「あーあ、今年も桜が咲いてきちまったな。」

男はそう、独り言ちる。片手にはビールのカン。

まさか、これが人生最後の桜になるとは。

ここの所、体があまりにもだるいんで病院に行ったらば、

「末期ガンで余命一年」…いきなり医師にそう伝えられた。

「どうしろってんだ。…ったく。」

やるせない、と頭を掻く。

ま、これも仕方なし、と、男はひとり缶を傾ける。

あー、ほろ苦い。

公園には、帰宅間近の遊ぶ子供、だべる高校生。

そして、ホームレスが各々の時間を過ごしていた。

夕空を見上げると、淡く星が瞬いていた。

「ここは平和でいいいな。」

…俺としては、別にこの人生に悔いはない。やり残したことも特にはないと思う。

あと一年、いつ命が終わるんだかわからないが、

気ままに過ごしていこう。そんで、その時が来たらゆっくり眠ろうか。

と、俺は考えていた。

「移り変わる季節を眺める犬にでもなるかね。」

ひとり呟く。そうだ、今日は夜までここにいよう。

日付が変わるまでいて、それまでこの公園にどんな人間が来るか…

どうせ暇だ。今までやらなかった、バカげたことをするんだ。

「よし、夜に花見酒。いいね。」

そうと決まれば、ちょっくらコンビニに買い出しだ。

────買い出しを終え、公園に戻ってくる。

桜の下のベンチに腰掛け、ぼーっとする。

子供たちは帰った。向こうでは、高校生カップルが桜を見ながら談笑している。

目を閉じて、周囲の風に耳を傾ける。

するといつの間にか月が…俺を照らしていた。どうやら俺は眠っていたようだ。

「う~ん…」

月はちょうど俺の正面にある。ちょっくら寒いが、いいコンディションだ。

「花見で一杯、ってね。」

日本酒、ポン酒を盃に流す。くい、と飲む。

ふいに、桜の花びらが盃に舞い降りた。花弁は、日本酒の海に波紋を広げる。

「きれいだな。」

ゆっくりと、去来する記憶…

幼き日に、家族で遊んだ神社の祭り。

ちょうど同じように、飲もうとした水筒のカップに舞い降りた桜。

持ち帰って、部屋の窓に貼り付けたな。ぴったりくっついた。

────俺は、思い出して、静かに泣いた。

「ずいぶん遠くに来ちまったな…」

みんな、家族は遠くに行っちまった。それは死。永遠の別れ。

たった一人、俺ひとりだけ、ここにいて。ぼーっと桜を眺めてる。

────────どこか遠くから、呼び声がする。

俺は再び、微睡む。みんなの笑い声がする。

とても穏やかな風が、どこか遠くからなびいてくる。

俺をそっちに誘っている…のか?

みんな、もう、会えないと思ってたよ。

どこか知らない都市の、鐘の音がする。

都(みやこ)が────来る。


時間は逆行した。時間にして3.3秒の帰帆。

記憶の中で、彼女らの笑い声がする。

主が創造せしこの世界に、現れる稲妻。


壮大な世界への旅が始まる。

2024年3月3日、午後10時07分。

竹内第二公園から、男の姿は消えていた。

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