第4話 品川の宿にて

 静かにタバコをくわえると、器用に右手の中指なかゆびで親指を弾く小太郎。その仕草はライターの火をつけるようであり、弾いた親指から火花が飛び、タバコの先端に火が灯る。

「ふう・・・」

 小太郎の口からプアっと白い煙が出た。煙は宙で白いリングとなり、静かに消える。


 タバコで暇を持て余す小太郎。そっと左腕にした銀の腕時計に目をやる。時刻は20時前。

『まだ、少し早いか・・・』

 そんなことを考えつつ、今一度いまいちどタバコをくわえる。ご自慢の金髪は擬宝珠ぎぼしのように頭の上でまとめ、白いドレスで着飾る。そして、彼女のエルフ耳は器用に動き、駆逐艦に搭載されたレーダーのように索敵していた。


 小太郎の現在地は、品川駅近くのバーのカウンター。人とならぬ、『魔法使い』との待ち合わせをしている小太郎。待ち合わせの店はハイクラスで、その高級感と落ち着いた雰囲気は静かに夜を楽しむには最適だった。店内を優しくも、しっかりと照らすオレンジの照明。それがあわほのおのように美しい。


 この店の雰囲気に合わせてか、客も富裕層の若い男女や、どこぞの大企業の幹部を思わせる中高年男性しかいない。皆、なりも羽振はぶりも良い者しかおらず、スーツやドレスで着飾っている。登山帰りの旅行客姿では、小太郎も入店は叶わなかっただろう。


 不意に店の奥から二人の男が現れた。シルバーのスーツを着た小柄な男と、白いスーツを着た大柄の男。二人ともとしは四十代くらいで、彫りの深い顔つきと鋭い眼光は只者ではない雰囲気を醸し出す。

 二人は真っ直ぐにカンター席の小太郎へ近づく。静かに、だが威圧感のある所作しょさは店内の客に僅かながら緊張感を与えた。


 小太郎の耳がほんの一瞬、ピクリと動いた。彼女が顔を向けると、その男二人が目の前にいた。

 小柄のシルバースーツ男が会釈すると、それに続いて大柄の白いスーツの男も会釈する。

「お客様、失礼致します―」と、低い声を発したシルバースーツ男。

 間近で見ると、この二人組は普段から体を鍛えていることがわかる。理由は荒くれごとも含めた仕事もやってのけるからだろう。


「何だ?」

 そう答える小太郎に怯える様子は微塵もない。しかし、自分に話しかけてくるのだ。普通の人間ではないことは確かだろう。

「小田原は風魔党ふうまとうのご隠居とお見受けします」

 シルバースーツ男は小太郎へ畏怖の念を抱いているのか、低姿勢。しかし、決して彼女にビクビクするさまはない。

「いかにも―」と、シルバースーツ男の問いかけに答えた小太郎。くわえていたタバコを左手へ持つ。


「何者だ?」

「わたくし、この店を預かる麦野むぎのと申します」

 シルバースーツの男が自己紹介すると、それに続いて白いスーツの男も自己紹介をする。

「同じく、この店の者で米田よねだと申します」

麦野むぎのに、米田よねだか」

 名字みょうじを聞いて、この二人が幕臣派の忍者だと気づく小太郎。確か服部党はっとりとうの忍者で、そんな奴がいたなと思い出す。

 『服部党』はその名の通り、かの服部半蔵を開祖とする忍者魔法使い集団。今は神奈川県の東半分と都心を牙城とする幕臣派に属している。


 麦野は再び頭を下げると、こう続ける。

「ご連絡をいただければ、別に部屋を用意いたしましたが―」

 例え幕臣派の忍者であっても小田原派のレジェンド級・忍者魔法使いの小太郎を無碍むげにはできないらしい。しかし、その言葉とは裏腹に、麦野の視線は小太郎への警戒を一切怠らない。

 忍者はそうでなくては。隙の無い麦野に対し、素直に感心した小太郎。

「そんな気遣いは無用。こっちも急用だったから。むしろ、余計な世話を掛けたくなくて」

「とんでもございません。どうぞ、ごゆるりと―」

 三度みたび頭を下げた麦野。


 小太郎は麦野の視線と、僅かな無言のに気づく。

「要件はそれだけじゃないようだな?」

「はっ!失礼ながら、おタバコですが―」

「んっ?人間と違って、エルフはタバコくらいじゃあ簡単に死なんよ?」

 機嫌を悪くするでもなく、またもプワッと口から煙を吐く小太郎。


「申し訳ございません。カウンター席は禁煙でして―」

 そう付け加えたのは大柄の男・米田だった。

 それを聞いた小太郎の動きが止まる。彼女はくわえていたタバコを手にして、こう言う。

「それはすまなかったな」

 線香のように細く高く煙を上げるタバコ。それを見つめながら小太郎は素直に詫びた。

「いえ、とんでもございません」

 麦野と米田は申し訳なさそうに頭を下げる。

世知辛せちがらいな。喫煙者にとって、今の世の中は」

 小太郎はそう言って微笑むと、手にしていたタバコをパチっと弾き飛ばす。

 タバコは天高く、真っ直ぐ飛び上がると、小太郎目掛けて落ちてくる。


『ジュッ!!』


 落ちて来たタバコを右手で掴んだ小太郎。それを目にした麦野と米田は息を呑む。

 タバコの火が小太郎の掌を焦がす音を二人の忍者は聞き逃さなかった。彼女は素手で火のともったままのタバコをキャッチした。

 タバコの炎は非常に高温で危険なことは周知の事実。歩きタバコが危険視されるのも、誤って第三者に危害が及ぶのが理由なのは説明するまでもない。


 驚いた表情の二人をよそに、小太郎は涼しい顔でパッと右手の掌を開いてみせた。そこには火傷どころか、タバコの姿すら無かった。

 思わず顔を見合わせた麦野と米田。それを目にしてカラカラと笑う小太郎。

「つまらん子ども騙しだった。スマンな」

 そう言ってタバコの箱をポーチへと片付けた小太郎。


 唖然としていた二人の男は我に返る。

「と、ところで、今日ははいないのですか?」

 麦野は小太郎に尋ねた。


「いますよ、ここにね」

 不意に麦野と米田の背後から声がした。ギョッとした表情で振り返る二人。

 そこには、いつの間にか一人の男がカウンター席に腰掛けていた。背は高めで、ごくありふれたサラリーマンと変わらないスーツ姿。そして、気の抜けたような笑顔でウィスキー入りのグラスを手にしている。

「こんばんは。お邪魔しています」

 男はそう言って手を振ると、グラスに入ったウィスキーを口へ運んだ。


 一方で表情が強ばる麦野と米田。服部党に属する忍者であり、魔法使いの二人だが、の存在に全く気づけなかった。少なくとも小太郎へ接近するときに目視も、気配も感知できなかった。

 これは一大事である。忍者たる者が二人揃って背後を取られたのだ。ときと場合によっては命取りになりかねない事態だ。


「くっ!いつの間に・・・!」

 くだんの男を睨む麦野。

「あら?そんな怖い顔をしないでよ、麦野さん。僕、この店気に入っているんですよ?」

 麦野とは対照的に笑顔を見せる男。機嫌良さそうにウィスキーを楽しむ。

 一方で、その気の抜けたような笑顔が好かない様子の麦野と米田。怒りの感情を抑え込むようにプルプルと震える。


時衛門ときえもん、舐めた真似を・・・!」

 麦野が怒りの視線を向けるのは、小田原派の魔法使いにして、風魔忍者ふうまにんじゃである警察官・曲輪くるわ時衛門ときえもんである。


 幕臣派の服部党。そして、小田原派の風魔忍者軍団(風魔党とも)。両者の関係は複雑だ。

 服部党のルーツは徳川家康に仕えた服部半蔵と、その一派。方や、風魔忍者軍団は小田原・後北条氏に仕えた風魔小太郎と、その配下の者たち。

 この両勢力は戦国の世にて戦火を交えた間柄。しかし、豊臣秀吉の天下統一。その先の関ヶ原、大阪の陣を経て、日本史は元和偃武を迎える。

 時代の流れの中で、風魔忍者軍団は徳川将軍家に仕える身になった。その辺の事情は麦野、米田、そして時衛門の三人以上に・風魔小太郎が理解している。


 形式上では服部党が格上扱いという暗黙のルールが存在した。しかし、生きるレジェンド、初代・風魔小太郎の存在は大きく、服部党は風魔忍者軍団への配慮が必要だった。それに江戸幕府も存在しない。

 時代の流れで神奈川県下の忍者関係は再び難しいタイミングを迎えていた。


「いやはや、服部党の忍者さんも腕が落ちたのかな?後ろを取られるようでは」

 時衛門は暢気に笑ってウィスキーを飲み干す。さして酔ってもいない時衛門が軽口を叩いていることに麦野も米田も気づいている。怒りで二人の表情はまるで熱した岩のようで、今にも弾け飛びそうだった。


「美味しいですね、これ。お代わりもらえます?」

 一方、麦野と米田にお構いなしの時衛門。

「はぁ・・・」

 時衛門に話しかけられた若い男性バーテンダーは困惑する。店の支配人や偉い者が怒りを向ける相手に酒を出せないのか、動きが鈍い。


「つまらん真似をするな、時衛門」

 ピシャッと言い放つ小太郎。彼女はいつの間にか軍扇を手にして、それを時衛門に向ける。その一言に気の抜けたような笑顔もスッと消える時衛門。

「他に忍者に恥をかかせるような真似は、私の顔に泥を塗る真似と心得よ」

 場の空気がピンと張り詰めた。この緊張感は服部党忍者の二人だけでなく、時衛門にもしっかり伝わっていた。


「初代・小太郎に恥をかかせれば、他の風魔忍者にも申し訳が立たない―」

 グラスをカウンターへ置くと、静かに頭を下げる時衛門。彼の頭の先には、麦野と米田がいる。

 時衛門の態度に困惑した表情をする二人。恐らく、時衛門があっさり頭を下げるとは思っていなかったのだろう。


「ご覧の通りだ。配下の躾がなっとらんのは私の落ち度。許せよ―」

 閉じた軍扇をとさせながら麦野と米田へ話しかける小太郎。

「ははっ!滅相もないことで!だな、米田?」

「そうだな、我らも大人気おとなげなかった。ハハハッ・・・」

 ここにきて動じたような態度になる二人。時衛門がさっさと頭を下げたのは小太郎への忠義心から。そして、小太郎も自らの落ち度を認めた。これを蹴れば、時衛門の背後にいる小太郎を蹴ることになる。そうすれば、『どうなるのか、わかっているか?』と、小太郎から釘を刺されたも同然だった。もっとも、麦野と米田からすれば、釘ではなく太刀を刺されたような気分だったろう。


「いらっしゃいませ─」

 他の店員が来客に挨拶した。その声は小太郎たちにも届いている。


「どうやら、お出ましだな」

 小太郎は待人に気づく。








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