第29話 護櫻

俺は速る気持ちの片隅で、密かに

ワクワクしていた。

 まさに今、合法的に『護摩御堂』の

馬鹿デカい屋敷に足を踏み入れる事が

出来るのだから。


岸田には申し訳ねぇけど。




小田桐支店長から例の『三浦さん』が

消えた顛末を聞かされてピンと来た。


 ヤツはこの『護摩御堂屋敷』の

      中にいる。絶対に、だ。


だから俺は急遽『法照寺』の麻川住職に

事情を話し中に入る許可を取り付けた。

 麻川住職も同行してくれたが、怪異の

検証というよりも、どちらかと言うと、

岸田の事を本気で心配してくれている

様子だった。さすがは御住職。




「では、開けますよ。」麻川住職が、

海鼠壁に続く立派な門の鍵を出した。

見た目、想像以上にデカい。

 鍵は黒塗りの重厚な關に連動して、

日頃よく手入れがされているせいか

重そうな扉はスムーズに開いた。


「何だか、寺の門扉みたいですね。」

「ウチの化け物寺よりも余程に寺らしく

見えますな。ははは。」「…。」そんな

自虐をしなくても。口には出さずに俺は

いち個人宅にしては余りにも広過ぎる

『護摩御堂』家の敷地 を眺める。




あの日、俺は『頭領』の墓に参った後で

奥方に依頼された 相続関係書類 の

整理をした。元々ソレが目的の一つでは

あったものの 実際に目にした 時の

衝撃は、俺をして震え上がらせるに充分

過ぎる程だった。


 小淵沢家の『養子』と記された頭領の

戸籍謄本には 実母 の名前が記されて

いた。但し、父親の欄は空白。

 


まさか此処が頭領の生まれた家だとは。

マジで驚きというか、何というか。

 そこら辺は何となく 因縁 めいた

ものも感じずにはいられない。

…てことは俺。初っ端から『祖母』的

存在と邂逅したって訳か。クソウケる。


小淵沢芳邦の『実母』は

        護摩御堂雪江だ。


確かに、年齢的にも齟齬はねぇわな。

それなら自分の財産を生き別れた息子に

託すのも道理だろう。

 尤も、養子に出しても『護摩御堂』の

血 は許してくれず、頭領は実の子を

残す事なく志半ばで

     三途の河を渡っちまった。




「藤崎さん、屋敷の鍵も開けますよ。」

住職はそう言うと母家の鍵を手際良く

回すと、ガラガラと音を立てて硝子の

引き戸が開いた。


     と、中から線香の匂いが。


「…急ぎましょうか。」麻川住職にも

ソレが感じられたのか、心なしか表情が

引き締まる。

 雨戸が閉じられているから、室内は

闇に閉ざされている。しん、とした

空間。それに加えての、絶対あり得ない

線香の匂いだ。「匂いますか?住職。」

「藤崎さんにも?」「ええ。」

「あり得ませんよ、誰も居ない御屋敷で

線香を炊くなんて。それも閉ざされた

屋敷の中で…。」


俺は半信半疑ではありながらも、匂いの

元 を辿った。岸田がいるのは、既に

自分の中では 確信 だった。




小田桐支店長の話によると、例の

『三浦さん』が失踪した際に。方々を

手分けして探したにも関わらず、結局は

この『護摩御堂』屋敷の門扉の辺りで

伸びていたらしい。但し、失踪してから

三日目の事だ。



麻川住職は、閉ざされた雨戸を一枚ずつ

開けて、外の光を引き込んで行く。


それにしても、この母家の座敷の数と

いったら半端ねぇ。基本、八畳敷の

和室が次から次へと続いている。これを

定期的に風を入れたり掃除をしたりでは

相当に骨が折れる事だろう。

 濡れ縁に沿って廊下が続く。線香の

纏わりつく匂いと、八畳敷の和室の

薄闇がり。まるでそれは螺旋を描いて

誘うように。

「……。」俺は次第に厭な焦燥感に

苛まれながら自ずと速足になって行く。


「おい、岸田ァ!」だが、返事はない。

「藤崎さん、線香の匂いは奥の方から。

もしや、そっちにいるのでは?」


と、突然。屋敷の中を突風が。


「うぉっ。」何だよこれ。どういう

趣旨なのか知らねぇが、風と共に何か

細かい白っぽいモンが渦を巻く。

「仏説摩訶般若波羅蜜多心経 観自在

菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊

皆空 度一切苦厄 舎利子 色不異空 

空不異色 色即是空…」

 麻川住職が経を唱える。白っぽいのは

櫻の花弁だ。


「…ったく!どういう事だよ。岸田ァ!

てめぇサッサと出て来いよ!無断で欠勤

マジでヤバいからな!」俺は櫻吹雪を

総身に受けながら、奥の間の前に立つ。

 そして、襖を開けようと手を伸ばした

瞬間。すぱん、とイイ音がして襖が

全開になった。


    線香の匂いは消えている。



「えっ、藤崎さん?」中から如何にも

間抜けヅラした岸田が。


「……岸田ァ。」いや、マジで。

本当に、マジでよ…。





俺は心底『何か』に感謝していた。








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