なりたい自分になり損なった!

怪人X

プロローグ・なりたかった私の最後の一日



 太陽が眩しい。青い絵の具をそのままバシャッと倒したような空がとても綺麗だ。照りつける日差しはじりじりと肌を焼くような温度。じっとりと汗が体を伝う感覚さえリアルで、ここがゲームの世界だとはとても思えないほど。


「あっつ……」


 はあ、と息を吐いて一旦作業を止める。体に訪れる疲労も熱もしんどいのに、同時にとても楽しくて仕方がない。

 それにどんなに鮮明に様々なことを感じても結局はゲームだから、現実の私が熱中症になることもなければ、ものすごく疲れることもない。

 目の前の瑞々しい、鮮やかな緑色の葉に触れる。色も形も本物そっくり。感触だってそう。


「最近のゲームって、すごいんだなあ」


 友人の勧めで始めたVRMMO。日本語だと仮想現実大規模多人数同時参加型オンラインゲームっていうらしいけど、まさかここまで現実そっくりだとは思いもしなかった。

 『Rainbow World』、略して『にじせか』。

 何にでもなれる虹色の世界っていう意味のこのゲームの名前だけは知っていた。普段ゲームをしない私が知っているほど有名で、とても多くの人がやっているものだ。実際やってみて、確かにと納得する。


 現実の季節は春だけれど、にじせかの季節は現在夏。ゲーム内世界は一ヶ月単位で春夏秋冬が切り替わっていく。めまぐるしいけれど充実しているなあ、と思う。

 夏である今は空の青と植物の緑が本当に綺麗だ。それにこの育ったトマトの見事な赤。

 生産者の特権で、食べ頃のトマトを一つもぎ取る。トマトのおしりを見てみると見事な星形。思わず頬が緩んでしまう。

 そのままぱくりと一口齧ると、瑞々しいトマトからはすぐに中身が飛び出してくる。程良く甘いトマト。糖度を突き詰めると皮が硬くなってしまうから、丁度良いところを探して交配し、育てたものだ。それに個人的にも甘すぎるものより、程良い方が野菜感があって好きだし。

「うーん、おいしい!流石私!」

 作業で疲れた体に染み渡るトマトの水分とほんわりした甘み。端的に申し上げて最高だ。

 もぎたてのトマトなんて、現実で食べる機会はそう多くはない。ゲームの中であっても新鮮なものはおいしいという概念は変わりなくて、基本的には収穫してからじわじわと品質は落ちていく仕様になっているから、これは本当に生産者の特権だ。


 私はこのにじせかで、農家をやっている。

 生まれも育ちも東京でふるさとなんていうものも感じられない都会で。まあ買い物とかが便利なのは確かなんだけど、農家にものすごい憧れを幼少期から持っていた。

 自分で育てた野菜たち。土から作って手を掛けて育てて、大変なこともたくさんある……というかほぼ大変なことだらけでも、収穫の喜びはひとしお。それがみんなの口の中に入って、おいしいと言って食べられる。すごいことだよね。尊敬する。

 ただある理由から現実世界の私に農家はどうしても出来なかった。精々、プランターでの家庭菜園がいいところ。

 けれどこのゲームの世界では、私は憧れだった農家になれた。

 時間を見つけては畑を耕し野菜たちに手を掛けて、調べて育てて試行錯誤をして雑草も抜いて。何にもなかった土地が今では多くの野菜を育てている一大農家となった。

 今回作ったこのトマトも最高品質。ここまでのトマトを作り上げるのにも随分と苦労をした。季節の巡りが早いだけあって何度もトライ出来たのが、より良かったのだと思う。現実だとこんなに早く野菜は育たないしね。


「よし。張り切ってトマトを収穫するぞ!私の野菜を待ってくれているお客さんもいるしね」


 手を掛けて育てているおかげか、私の野菜の評価は高い。トマトもそうだけれど、品質の高いものが多いからだ。現状出回っている中では最高品質の野菜も多い。

 野菜の育成も収穫も、時間のない時は雇ったNPCに任せたり、アイテムを使って簡略化したり完遂することも出来る。けれど私は始めた当初からほぼ自分だけで手を掛けて育ててきた。それで私の所有する畑のレベルや、私自身の農家としてのレベルも高い。レベルが高いと品質も良くなる。そしてどんどん楽しくなる無限ループの末、私はにじせかでわりと名の知れた農家となったのだ。


 トマトを食べ小休止を終えた頃、私の畑にフレンドが来たという通知が来る。

 ここの畑や休憩用の小さな小屋は、私のプライベートスペースになっている。敷地を買い取って所有しているから。だから人の出入りを制限することが出来て、私は『フレンドは入室可』という設定にしている。誰にでも許可してしまうと全然プレイベート感がないし、というか普通に人見知りとかすると思うから拒否だ。

 プライベートスペースでなら外から姿も見えないし、会話を聞かれることもない。便利な機能だよね。

 にじせかの中で私とフレンド登録をしている人はとても少ない。何せ私はほとんど出歩くこともなく、ほぼすべての時間を農作業に費やしていたから。それでなかなかの大規模農家に今はなっているわけだけれど。


ほまれくん!」

 見知った姿を見つけて、私は大きく手を振る。

 誉くんは私の数少ないフレンドのうちの一人だ。しかも現実世界ではまったくの見知らぬ他人という、ゲーム世界での友達。

 すらっと背が高く細身で、柔和で整った顔立ちをしている。色彩はファンタジーっぽく銀髪碧眼になっていて、左目の下にある泣きぼくろがやたらと色気を醸し出しているイケメンさんだ。

 でも誉くんというかっこいい名前な上かっこいい姿かたちをしていても、リアルな誉くんはどうやら女の子らしい。というかこのにじせかでも女の子設定でキャラクター作りをしたのに、こんなイケメンが誕生したみたい。今は胸甲を装備しているからわかりにくいけど、薄着になるとうっすらと胸があるのを見たことがある。

 誉くんは私を見るとにこっと笑ってひらりと軽く手を振る。いちいち仕草がイケメンさんだ。ちなみに、ファンもとても多いらしい。

「サイさん、こんにちは」

「こんにちは!」

 サイ、というのは私のプレイヤーネームだ。

 本名が天宮あまみやまつりだから、まつりを漢字の祭にして、それの音読みでサイ。単純だけど、結構気に入っている。

 というか当初は名前が本名じゃない方が良いことを知らずに普通にまつりで登録していたんだけど、初心者だった私にその辺りも誉くんが教えてくれて、後から変更したという経緯がある。

 それ以外にも誉くんは私にゲームの色々なことを教えてくれる、心強い先輩だ。


「これからお出掛け?」

「うん。ちょっとレベル上げしてこようかなって。その前にサイさんがログインしているみたいだったから、寄り道」

「会えて嬉しい!何か食べていく?」

「うん」

 すごく嬉しそうに誉くんが笑う。

 誉くんは私の作る野菜たちのファンでもある。おいしい、と言っていつも食べてくれるから、私もやる気が出るというもの。

「その辺のトマトもいでつまみ食いしていいよ」

「トマト!前回より品質上がった?すごく綺麗な赤だ」

「ふふふ、ついに最高品質のランク十になったのよ」

「ランク十のトマト?はじめて見た!」

 野菜の品質のランクは一から十まであって、現状十が最高品質だ。五で農家としては一人前、上出来という部類で、そこから先は突き詰めた猛者の行く先である。

 市場を見た限り私が見つけたのは自分の野菜以外ではランク七が最高。それでさえ、稀に見掛けるくらいで、購入出来たことはない。良いものはすぐに売れてしまうのだ。

 噂ではランク八の野菜を作っている人もいるらしい。ただ、九や十となると都市伝説レベルだ。

「前回のランク九でも驚きだったのに、サイさんはすごいな」

「農家の極みを目指しているからね」

「トマトうまっ」

「そうでしょう、そうでしょう」

 惜しみなく褒めちぎってくれる誉くん。褒め上手な良い子だ。

 食べることによって体力が回復したり、ものによってはバフが掛かったりもするから、にじせかにおいて食べものは結構重要だ。回復もバフも他の手段でも出来るけど、おいしい食べものの方がテンションが上がるよね。

 それにここではいくら食べても現実では太らない。ならばいくらでもおいしいものを食べたくなるのが、性というもの。


「他には何が採れたの?」

「夏野菜だからね。キュウリとナス。メロンはどうかな、まだ収穫も味見もしてない」

「メロン。良いね」

「すぐに出せるのはキュウリとナスだよ?」

「キュウリはともかく、ナスか……」

 誉くんの反応が明らかに段違いだ。確かにメロンはおいしいよね。でもおいしく育てるのがちょっと難しい。

「誉くん、ナス嫌いなの?」

「あの食感がどうも苦手なんだよね。味もだけど」

「子供みたいなこと言うよね」

 くすくすと笑うと誉くんはちょっとばつが悪そうだ。そういう反応も見た目に反して何だか子供っぽくて愛らしい。

「おいしいよ、ナスの揚げ浸し。作ってたのあるから、小屋で食べてみない?」

「うーん……」

「食べれたらパンケーキも焼いてあげよう」

「それならチャレンジしてみようかなぁ……ゲームだし、リアルよりおいしく感じ……るかなあ」

 誉くんは乗り気ではないけれど、この様子だと試しに食べてみるだろう。同じような感じでピーマンも食べていたし。


 畑のそばにある小屋に誉くんと入る。

 小さな小屋だけれど機能性は問題ない、というか大満足といっていいくらいだ。私の小さな城である。

 テーブルと椅子とキッチン、それに高かったけれど冷蔵庫もお金を貯めて購入した。お客さんが来た時はこの一部屋で完結するけれど、他にも仮眠用の部屋や浴室がある。農作業は疲れるし、汚れるからね。


「明日だね、にじせかのアップデート」

「えっ明日だっけ?」

「うん。サイさん、本当マイペースにやってるよね」

「まあ、大体のアップデートは私に関係ないしね。あっ、新しい植物の種とか、増えたら嬉しいかな」

「そしてブレない」

 情報に疎い私に、誉くんはこうしてよく教えてくれる。いつも優しいなあ。


 まったりとお茶をした後、レベル上げに出掛ける誉くんを見送る。

「よし、続きの収穫、やりますか!」

 気合いを入れ直し、トマトの収穫に勤しむ。

 つやつやと健康に育ったたくさんの野菜たち。最高品質の私の作った野菜が出されるといつも市場は大盛り上がりで、それを見るのもまた収穫後の密かな楽しみだ。

「次は何育てようかなぁ。秋になったらシャインマスカットが収穫出来るし……あっ、冬至カボチャ育てたいな。種蒔きは秋だっけか」

 手を動かしながら色々考える。こんな時間もとても楽しい。

「それにしても、アップデートか……何が来るんだろう」


 気にはなる。けれど何にせよ、私の生活は変わらない。

 なりたかった私。こうして存分に土に触れて耕して、大切に育てた畑。疲れても、同じ作業の繰り返しでも、私にとってはずっとずっと楽しい。夢の時間。


 そしてこの日がなりかった私の、穏やかな最後の一日だった。


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