第13話 森の中へ
それはまるで木の壁だった。そこは閉じられた空間だと主張するように隙間なく木々が密集している。ここから先は別世界だと強制的に思わされてしまう。木で作られた境界線だ。
門戸を押し開くように木々をかき分け、森の中へ入る。たったそれだけで、夜に片足を踏み込んだように暗闇に覆われた。鬱蒼と茂る木々が光を遮っているのだ。森の境界線に比べれば木と木の間隔が広いがそれでも予想以上に見通しが悪い。さらに薄暗い森にところどころ差す光が目を眩ませ、曲がりくねった木々が視界を塞ぐので遠くを見通せない。
慣れない空間に、うすら怖いものを感じて、つい体の向きを変え平原に戻りたくなってしまう。「戻るなら今のうちだよ」とささやく声が聞こえてくるようだ。
......見えない何かに監視されてるようで居心地が悪い。
「マル、近くに魔物の気配は感じるか?」
マルはフルフルと揺れて否定の意を表す。
......不安は拭えないが。
「とりあえず進んでみよう。なにか気配を感じたら教えてくれ」
草や落ちた枝木を踏み越え歩みを進めていく。踏みしめる毎になる足音が大きく聞こえる。森の中は、木々がこすれ合う音、風が吹き抜ける音、時折聞こえる何かの鳴き声で溢れかえっているのだが、僕の足音が一番響いてしまっているかのように思えてくる。
こんなに大きな足音を立ててしまっては、僕の位置を特定され魔物がすぐに襲ってくるのではないかとヒヤヒヤする。
しかし、そんな僕の心配とは裏腹に、生き物の姿を見ることはない。逆にそれが恐ろしくも感じる。ここが草原であれば、魔物がいれば接近される前に確認して迎撃準備ができるが、森は隠れる場所が多すぎて油断できない。
視界の端で動く気配を感じるとそれがすべて魔物のように思えて、心臓が跳ね上がる。咄嗟に身構えて注目すると、ただ木の葉が落ちただけだったりする。
この様に、いつ魔物と遭遇してもすぐに対応できるように慎重に進んでいる事と、それに加え足場の悪さにも神経を使い、30分ほどしか歩いてないのに、体感時間で何時間も歩いた様にひどく疲れてしまった。全く安心できないので、ずっと緊張状態が続いてしまっているのだ。この状態がマズいと分かるが、対処の仕方がわからないのが辛い。
「マル、ごめん。少し、休もう」
マルがプルンと揺れる。念入りに周囲を確認してから、木の陰になるところに体を下して休憩する。風で揺れる木の枝の音すら今は恐ろしい。僕の考えが甘かった。魔物の倒し方だけに焦点をあてて、マルとの連携がスムーズにできるようになって、漠然とした根拠のない自信があった。僕なら大丈夫だとそう思っていた。
ハントギルドの受付の人、見張りに立つ門兵があそこまで心配した理由が今になってわかる。あの人たちは正しく森の恐ろしさを知っていたのだ。
僕は一方的に魔物を見つけて、相手が油断しているところに奇襲をかけるつもりでいた。でも今はどうだ。奇襲を受けるのは僕の方じゃないのか。視覚、聴覚どれも情報が多すぎて処理ができていない。視界が悪く影の濃いところが魔物に見えてしまうし、聞こえない音が聞こえてくる気さえする。
体は不調だらけだ。息がうまく吸えないし、全身が冷えてしまっている。......腰を落としてしまったのは不味かったかもしれない。身体が重く上手く力が入らない。くそ!こんなはずじゃなかった。今日はもう引き返そう。森の様子を下見することはできた。初日の成果としては十分だ。僕の弱気な心は町への帰還を想像してわずかに安堵する。
僕は魔物を探し、半日は森の中を探索することを予定としていた。その為に朝早くから出発したし、干し肉など簡単に摘まめる携帯食料も持参していた。今は、胃がキリキリと痛んでこの先お腹が空いても食事を取ろうという気持ちにはならないだろう。
まだ収穫物はひとつもない。森の中を歩くだけで精一杯だった。魔物を警戒するだけで、ハントギルドで教えてもらった収集物を探す余裕はない。今帰ったら何のために森へ入ったのかわからないと笑われてしまうかもしれない。
だけど、それがどうした。僕にとっては初めての経験だったんだ。初めからなんでもうまくいくわけがない。経験を繰り返して、森になれることがまずは重要なんだ。危険を顧みず、欲張って進むなどバカのすることだ。そうだ、一番大事なのは命だ。無事に帰る事が一番重要なんだ。今日はここまでだ。森に入った。下見はできた。そうだ。十分なんだ。僕の判断は正しい。町へ、帰ろう。
僕の意思が完全に町へ傾いた時に、マルがぴくっと何かに反応した。とても小さな反応だったが僕が見逃す事はなかった。もしかしてという予想が脳裏をかすめ、一瞬にして肌が泡立ち、緊張が走る。大木に背中を預けながらゆっくりと立つ。木を隠れ蓑にマルが意識を向けている方向を覗く。魔物の姿は見つけることができない。
......見つけることができないのに、音がする。確実に何かいる。
土、木の枝、草を踏みしめる音がザッ......ザッ......ザッ......、ザッ......ザッ......ザッと聞こえる。
マルの触手が一点を指す。『いた』緑色の乾燥した皮膚を持つ魔物、ゴブゥーだ。距離は離れているが、2体いるのが確認できる。
ゴブゥーは成人男性より頭一つ高いぐらいの身長の魔物だ。僕より高いのは確かだが、やけに大きく見える。その姿は上半身が異様に発達していて、下半身が細く短い。移動する際は右腕、左腕と腕で体を動かして、最後に両足で着地というようにして動く。なので、ザッザッザと駆けては止まり、周囲を見渡してまたザッザッザと駆けるを繰り返している。
ゴブゥーはランクDの魔物。それも2体......勝てるわけがない。
コンディションは最悪だ。まだ距離はある。気づかれずに逃げることはできるか?それともここで息を殺し、隠れてやり過ごすのが正解か?どっちだ。
気付かれてはいけないのに、さっきから心臓が痛いほど脈打ってうるさい。全身がドクドクと沸騰しているようだ。
運悪く進路方向を変えて、僕のところに向かって来る。段々とゴブゥーが近づいてくる。ザッザッザという音がより鮮明に聞こえるようになってきた。くそ!なんでこっちに向かって来るんだ!あっちへ行け!来るな。来るな!来るな!!
--僕の......願いは届かない。......接敵は間近だ。
マルが這うように木を登っていく。マルの意思が伝わって来る。そうか、もう逃げられないか......。
覚悟を決めろ。剣を静かに鞘から抜き強く握りしめる。
ッフ、ッフと浅く息を繰り返し、剣先を見つめて自分に言い聞かせる。相手が身構える前に一撃で殺せ。戦闘になる前に仕留めろ。大丈夫。できる。大丈夫......。
マルから攻撃の意思を受け取る。反射的に僕は地面を踏みしめ身構えた。
マルが気配を消して木の枝に陣取り、上空から奇襲を仕掛ける。最大出力の粘着弾をゴブゥーに落とした!ゴブゥーが突然降りかかった液体に驚愕し視線が上を向くのと、僕が懐に入り込むのは同時だった。走り駆けの大振りの一撃がゴブゥーの伸び切った首を斬り飛ばす!残ったもう一体が奇襲に気付き、驚愕に目を見開いた。次の瞬間には牙をむき出し憤怒の表情を浮かべ、〈ごあああああぁぁぁあ〉と奇声をあげて覆いかぶさるように襲い掛かってくる。
僕は、剣を振り切った勢いを利用して地面に転がり、攻撃を避ける。ゴブゥーも攻撃態勢からバランスを崩し転がるように倒れた。僕は回避から跳ね起きるように態勢を整えるが、ゴブゥーは身じろぎするが、起き上がる事ができない。ゴブゥーは僕を鋭い眼光で睨みつけフシュー!フシュー!と牙をむき出しにして威嚇するが、ゴブゥーの体は粘着液を浴びて自由を失っていた。
僕は無心で駆け寄り、満足に動けないゴブゥーの背中を目掛けてジャンプした。それから体重を乗せて剣を突き刺し、着地すると同時に体を回転させて、力任せにゴブゥーの半身を断ち斬った。ギチギチ、ザシュという感触が剣を通して伝わってきたと思ったら、ゴブゥーから力が抜けて完全に動かなくなった。
「っは、っは、っは、っはぁ、はぁ、はあ、はあ、はあ」
僕は空気が上手く吸えず、よろけるように後ずさり尻もちをついた。その衝撃で肺から空気が押し出され、それでやっと肩を上下して呼吸ができるようになった。
視線を下に落とし、痙攣する手を他人事のように眺めている。
木の上からマルが飛び降りてくる。その姿を確認して、僕は思考力を取り戻した。そうか、上手くいったのか。僕たちは生きてる。震える手を胸の前で抱え込むように握りしめ小さくガッツポーズをした。
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