銀角黒衣のバッファロー

高梨蒼

第1話

 荒野!かつて大宮と呼ばれていた大地にごろつきの叫びが響く!


「非バッファローの雑草め!俺様に盾突いてどうなるかわかっているのかーッ!」

「グウーッ!し……しかし……!」


 悲鳴!破砕音!料理店店主が吹き飛ぶ!丹念に鍛え上げたとは到底評価できぬ野蛮で荒々しい棍棒めいた腕の裏拳が振るわれ、不可視の暴威が空間に響く!再び振って破壊、三度みたび振って破壊!その度に床に罅が入り、机が砕け、既に割れているグラスがさらに粉微塵になる!暴風の中心で荒ぶる大男の頭部、乱れた頭髪の間から半透明の角が一対、露わになって輝いている!破壊能力バッファビリティの行使の象徴だ!


「わかったら売り上げを寄越せーッ!」

「ぐっ……こんなご時世に金なんて奪って何になる!」

「そうよ!ここらじゃ食後の口拭きにもならないのよ!」

「ならお前たちも尚更金庫に溜め込む意味がないだろうが!俺は東京に行くんだ!わかったらさっさと金を寄越せーッ!」


 大男の大上段、巨大な拳に力が入る!今度は正面だ!大きく振りかぶり――


「グオオオオーッ!?」


 ――その拳が頂点に達した瞬間、破壊された。

 出血もない。轟音もない。余波もない。前兆もない。純粋に拳だけが圧縮されるように破壊された。不自然としか言いようのない破壊であった。大男の荒々しい破壊とは一線を画す洗練された破壊であった。


「な……なんだ!なんなんだ!」

「……なんだはこちらの台詞だ。俺は飯を食いに来たんだ」


 声は定食屋の出入り口から硬く響いた。男が、いつの間にか訪れていた。黒く角ばった帽子と煤けたマントを身に付けた青年が、鋭い眼光と銀色の角で蹲る大男を威圧している。

 大男は一瞬、視線を上げて反攻の意志をぶつけたが、その瞳の色はすぐに怯えに変わった。すでにバッファローたちの縄張り争いは決着していた。


「お……覚えていやがれ!」

「断る。俺は飯を食いに来たんだ」


 半透明紫の角も消え去った大男は破壊された右拳を庇いながら、どたどたと無様に男の横をすり抜けるように退店し、逃走した。半ば廃墟のアーケードの間から向けられる野次馬住民の視線に悪態をつくことすらできなかった。

 男の足音が消えたころ、ようやく店主は気を取り直して、青年を唯一無事だった席に案内した。男は律儀に、立ったままそれをずっと待っていた。


「あぁ、ありがとうよ、お兄さん……。お代は要らねぇ、好きに食ってくんな」

「いいや。きちんと払わせてもらう。……俺は、ヒトだからな」


 そう呟くと、青年はマントと帽子を席に引っ掛け、リュックを降ろして、娘の持ってきた水を軽く口に含んだ。


 全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れが現れて三年。そして、全てを破壊しながら突き進むバッファローが『自他の境界』を破壊してから二年が経った。

 虚空から突如現れた全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れは、一年のうちに山を破壊し、森を破壊し、波を破壊し、渦を破壊し、雲を破壊し、風を破壊し、国境を破壊し、司法を破壊し、機械を破壊し、倫理を破壊し、人類文明の半分を破壊した果てに自身を破壊した。

 光の粒、影の塊、有と無の中間となったバッファローたちは人間と溶け合った。その結果生まれたのが、欲望と破壊を司る、全てを破壊しながら突き進むバッファローの如き異能者――それが今の『バッファロー』である。もはやこの事態の元凶になった『神霊バッファローの群れ』はいないのだからと、彼らが破壊者の称号を継承した形だ。


 破壊能力『バッファビリティBuffa-Ability』を用い、自身の障害をあらゆる意味で破壊するバッファローたちは、半壊状態だった社会を牛耳っている。暴力で非バッファロー市民を襲撃し、組織力で敵対バッファローと抗争し、ある者は縄張りを占拠し、またある者はそれを拡張し、またある者は……。


「『始まりの縄張り』?」

「あぁ……どこかにあるらしい。神霊バッファローたちが現れ、還るはずだった場所……」

「ふぅん……どこで聴いたのよ、そんなの?」

「クロゲに」

「クロゲ?お友達か誰か?」

「友達というか、相棒か……」


 青年はふと、こめかみを掻く。そこは多くのバッファローたちが能力を行使する際に霊的な角が生える場所だ。転じて、神霊バッファローが宿る場所と言われている。彼の銀の角も、そこから生えて輝いていた。

 そのわずかな仕草に少女は勘付いて、思わず問い質す。青年は、口ごもって視線を逃がした。


「あなた、もしかして神霊と喋れるの……? あなた一体……?」

「……話しすぎたな。お会計を」

「えっ……いや、あなた」

「お会計を」

「……はぁ、タダでいいってお父ちゃんも言ってるのに……」

「いや。俺は破壊するだけの獣や神ではない。俺はヒトだから、代金を払う」

「わかったわかった。えぇと、1000円ね」

「あぁ。1500円だったな」


 定食屋の娘は、やたらと厳格な青年に呆れながら代金を伝え、青年は少女の嘘を看破し実際の値段を支払った。不器用で、実直で、しかし一歩間違えば失礼な男だ、と少女は内心で思いつつ、ぴったり1500円を受け取った。

 青年がリュックを背負い、マントを羽織り、帽子を被り終えたところで、店の奥からどたばたと店主が現れる。手当ての後は目立つが、痛みはそれほどでもないと笑い飛ばし、よく動く男だった。


「待った、兄ちゃん待った!」

「ム、親父さん。怪我をしているところ、失礼した。美味かった」

「あぁ、そりゃどうも……って、そうじゃねぇ。兄ちゃん、茶と弁当持ってけ」

「あぁ。いくらだ?」

「礼だ。個人的な礼だから、お代は要らない」

「……ム」

「ほれ。弁当箱は……アー、もう要らん。好きに使ってくれ」

「……すまない。感謝する」


 強引な店主に根負けする形で青年は弁当箱を受け取り、一礼の後に去っていった。彼が向かったのは、東京方面――貨幣が使用でき、交通インフラが残り、人間が多く集う場所。あの辺りは破壊の被害も大きかったが、復興も早かった。おそらくは、そこで情報を集め『始まりの縄張り』とやらを目指すのだろう。

 彼の最終目的は分からないが……道中、今日のように狼藉者のバッファローと出逢うたびに神霊との結合を『破壊』していくのならば、少しはこの世はマシになるのだろう。定食屋の娘は、食事中の会話を思い出し、少しばかり未来に希望を抱いた。

 ビフォア・バッファロカリプスの線路跡を、黒い影が歩いていく。何も破壊せず、ただ真っ直ぐに歩いていく。


 ――名前 :不明

 ――能力 :一点破壊、破壊エネルギー破壊、神霊結合破壊、etc.

 ――目的地:『始まりの縄張り』


 △====△


「で、これはお前の弁当」

「……いいの?」

「お前は昔から、好奇心ばっかり強かったからなぁ……どうせ大学に行く歳だ、旅に出ても大して変わらん」

「ありがとう……」

「気を付けろよ、ミツ。いつでも帰ってこい」

「お父ちゃん……行ってきます!」


 その日、少女は異邦人に出逢い、夢を抱いた。

 そして自分には能力もないのだからと諦めた。

 それでも、抱いたんだから仕方ないのだ、と腹を括り、少女は走り出した。全てを破壊しながら突き進むバッファローの如く。


 ――名前 :光乃

 ――能力 :なし

 ――目的地:青年の隣

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銀角黒衣のバッファロー 高梨蒼 @A01_Takanash1

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