第1話② はじまり

 目を閉じていても回っている感覚に襲われる。俺は這い蹲ったまま、歯を食いしばって堪えた。今まで感じていたカビの匂いは消えている。


 一分ぐらい経つと回るような感覚が和らいできたので、片目だけを開けた。

 今まで廃ビルの一室にいたのに、見慣れない場所にいる。ぶらんこや砂場が目に入る。どうやら人気のない公園のようだ。太陽は真上にある。つまり、一瞬のうちに移動している。

 

「なんでまた……」

 声の先には、先程まで剣を振り回していた女が地面に胡座を組んでいた。同情するような目を向けてくる。


「ここはどこ? どういうこと」上体を起こした。


 見知らぬ風景に切り替わって戸惑う俺に、女は「別の世界にジャンプした、もう戻れないかもな」と語りかけた。「しかもループさせた」


 何を言っているのか理解できず、首を傾げた。


「わかりやく言うと、別の世界に移動しながら24時間前に戻った」

 更に深く首を傾げた。別の世界に、というのは日本からアメリカやフランスにでも瞬間移動したというのだろうか。

 

 先ほどの喧嘩といい、夢でも見ているのかも知れない。頬を叩いて抓ってみる。夢ではなさそうだ。

 

「君は……」とそんな俺を女は軽蔑した表情で見詰めてくる。


「俺は津奈木渉(つなぎしょう)」


「津奈木渉、君はこれからどう生きていくのだ」

 

 俺は反対側に首を傾げた。何がいいたいのかさっぱりわからない。人生論でも説くつもりなのか。


「どう生きる、と問われても状況が飲み込めていない。ジャンプとか、24時間前に戻ったとか、別の世界に来たとか――だいたいさっきの喧嘩は何?」


「喧嘩?」キョトンとした後、女は笑い出した。

 

 怒った顔より笑顔のほうがかわいいじゃん。女に少しだけ親近感を覚えた。


「すごいな。先ほどの戦いを覚えているのか」


「5分ぐらい前のことぐらい覚えていて当然だ」

 その嘲笑うような表情、馬鹿にされているのだろうか。

 

「少しはセンスがあるのかもな。もしくはジャンプしながらループ体験をしたから記憶が定着しているのかもしれない」


 お前如きがというような上から目線だ。そういう表情も魅力的なんだけど、なんか、むかつく。


「ループというのは時間が戻ることだ。我々は24時間前に戻っている。しかも、ここは君のいた世界ではない。別の世界だ。パラレルワールドといえば理解して貰えるかな。つまり、この世界には、君の両親はいない。家族だけでなく親戚も友人も知人もいない。君を知るものは誰一人といない。役所に君の記録はない。家もない。環境や生活様式も違う。言葉も通じない。貨幣も違う。要は、君は全てを失ったのだ」


「すまない。半分だけ理解できた。俺だけが不幸になったような言い方だけど、君も同じ状況なんだよね」


「私は、どの世界でも存在できるジャンパーだからね。不幸になったのは君だけ」


 ジャンパーという言葉に首を傾げる。


「異世界間を好き勝手に跳躍できる者のことだよ」女は睨むように目を細くさせる。「私はアルマ・アイ。アルマ家は特殊な力を持つ家系だ。たとえば、別の世界に跳躍する力を持っている。ループさせることもできる。アルマ家って聞いたことないかい」


「知らない」と首を左右に振る。


「そうだね、知らないほうが幸せだ」

 

 無知でおめでたい男と思われているに違いない。ただ、かなりやばい状況だということがわかってきた。というのは、外灯の支柱に看板が括り付けられており、見たこともない記号のような文字が書かれている。少なくとも英語でも中国語でもアラビア語でもない。地球上に存在しない言語にみえる。確かに、俺の知らない土地ならば、これからどうしたらよいか、見当もつかない。言葉が通じない世界でどうやって生きていけばよいのだろうか。

 

「となると、この世界で俺のことを知っているのは、君だけということになるのか」


一瞬間があった。

 

「私は君なんか知らない。どこの誰だ」

 目を大きくさせた。すごく怒っている。


「だから、俺は津奈木渉、十七歳――彼女はいない。振られたばかり。ええっと、姉が一人いる。高校二年だ。アルマ・アイと同い年かな?」


「何を言い出すのだ。君、正気か?」


 軽蔑するような目をしたアイは、立ち上がって「まあ、達者でな」と背を向けて公園の出口に向かった。

 

 先程まで壁に叩きつけられて苦しそうだったのに、快復力が早い。しかも、嫌われてしまったようだ。おいていかれると、あてのない俺は、間違い無く野垂れ死にするだろう。

 

「ちょっと待ってくれよ。ここがどこかもわからないし、多分お金も……」

 アイの跡を追った。

 

「君がどうなろうと私の知ったことじゃない」

 振り返ったアイの目は据わっている。この顔つきは苦手かもしれない。

 

「酷いよ。この状況を作り出したのは、アルマ・アイ、あんただろ」

「離れろと言ったのに離れなかったからだ」

「コンクリートの柱に叩きつけられて、苦しそうな顔をしていたからつい……普通、そうするだろ。大丈夫ですかって気遣うだろ」


「さあ、どうだか。下心があったんじゃないの」


 軽蔑の眼差しに怒りを覚えて「いいや、絶対にあり得ない。俺だって選ぶ権利がある」と本心でもないことを口走ってしまった。

 

 何だと、と今にも噛みつかんとするアイに跳び上がった。

 

 ああ、しまった。自尊心を傷つけたかも知れない。肯定も否定もしてはいけなかった。

 先ほどのように剣を出して、切り刻まれるのはごめんだ。

 

「ごめん。つい、売り言葉に買い言葉になってしまった。確かにアルマ・アイは賢そうだし、すごい美人だ。けれど、まあなんというか、下心を考えている余裕はない。生きるか死ぬかの状況なんだし。そう思わない?」

 

「まあ、君の言うのも正しい」口を尖らせる。「賢いとよく言われるが、すごい美人だなんて生まれて初めて言われたよ。君、変わっているよ」

 

 意外なアイの反応だった。瞳が左右に揺れている。煽てに弱いのか。女の子を褒めるのは得意だ。優しいだけの男と振られるけれど。ただ、この状況では、一分一秒でも生き存える術(すべ)として使える。

 

「わかったよ。暫くは面倒を見よう。ただし、余計なことはしない、言わない。それを守って欲しい」


「わかった。約束する」

 何とかピンチの場を乗り切ったと、肩の力が抜けていった。


 始終無言でアイについていった。

 

 別の世界とはいえ、既視感のある光景だ。自宅周辺の住宅街と何等変わりがない。ただし、人っ子一人いないという点に違和感がある。


「ここは……」

「しっ」アイが振り向いて、人差し指を口に当てた。「喋るな、物音を立てて歩くな。殺されるぞ」と俺に囁いた。

 殺されるって――息を吞んだ。


 黙って20分ほど歩いていると商業エリアに入ったようだ。様々なショップが並んでいる。ただし、シャッターが閉まってひっそりとしていた。日は明るいが真夜中の状況に似ている。その並びにシティホテルのような建物があり、自動ドアを開けて中に入った。照明を落としたホールには誰もいない。

 

 フロントデスクにある呼び鈴を鳴らすと、奥から西洋人風のフロントマンが現れた。背格好など俺のいた世界と何も変わらない。ただ一点、喋る言語が違う。何を言っているのかさっぱり分からない。


 アイはこの世界にきたことがあるようだ。フロントマンと流暢に会話をしている。日本語も話せるし、かなり賢い女のようだ。多分、様々な異世界の言葉を話せるのだろう。

 

 台帳を渡されて、日本語でいいからと氏名を書かされた。


 フロントマンは、物珍しそうな目で俺を見る。天然記念物とでも思われているのだろうか。恥ずかしくなって俯いてしまった。


 部屋は、3階にあるシングルで、アイの部屋の隣だった。


 5時間後に呼びに行くから、部屋で大人しくしているように。外に出たら、身の安全のを保証しない、と脅された。

 その言葉に納得している。ホテルに到着するまで人を見掛けることがなかった。家の中で固唾を呑んで見守っていると想像できた。物音を立てると殺されると注意もされた。柄の悪い世界なのか。

 

 ベッドで横になるとスマートフォンを取り出した。圏外になっている。ここが俺のいた世界と異なるという証しか。契約している携帯電話事業者が存在しないってことだ。

 

 俺は今後、どうなるのだろうかと考えを巡らせていると、いつの間にか眠りに落ちた。

 

 身体が揺れて〝おい、起きろ〟という言葉で目を覚ました。

 

「何をしてる」とアイが何度もベッドを蹴飛ばしている。

「時間だ」という無愛想な言葉に、頭上の時計の見ると18時を過ぎようとしている。

 

 上体を起こし「どうやって入ったんだ」と大きな欠伸をする。

「ドアというのは開けるためにある」

 理由にもならない屁理屈に「鍵がかかっていたろ」と記憶を辿った。

「ああ、鍵なんて気休めにもならない小道具だ」

 

 こいつに何を訊いても無駄だ、と問いただすのは止めて洗面所に向かった。顔を二度三度洗った。自律神経を呼び起こすのに十分な温度だ。

 

 洗面所から出ると、「お腹が空いた。ディナーだ。何か食べよう」と腕を引っ張られて部屋を出た。

 

「ちょっと待った」振り返って、閉まり掛けたドアに飛びついたが間に合わず「ああ、鍵、鍵」とドアノブを回して開けようとしたがロックがかかってしまっている。

 

「君、弱(とろ)いね」とカードが飛んできた。

 俺は慌てて受け取ろうとするが、床に落としてしまう。

「やっぱ、弱いよ」と確信するような声に「弱くない。普通だよ」と俺は口を尖らせながら胸ポケットにカードを入れた。

 

 ホテルの地下にあるレストランで食事を摂った。

 高級店を思わせる、褐色のれんが造りに蝋燭をともした部屋だった。俺にとっては、場違いなところに連れてこられたようだ。

 

 メニューの文字を読めないので、アイと同じ食事をリクエストした。

 

 運ばれてきた料理はステーキだった。三百グラムはありそうだ。

 

 そんなに食べるのという言葉を飲み込むと、ジャンプやループさせるとエネルギーを大量に消費する、と俺の心を読み取ったかのような答えが返ってきた。

 

「なぜ、24時間たつと時間が戻って別の世界にジャンプするんだい」

 俺にはたくさんの疑問がある。

「そうしないと世界が終わるからだ」ナイフで一口サイズにした肉を口に運びながら独り言のように口を開く。「もう何千回と繰り返している」口をもぐもぐさせながら幸せそうな表情を浮かべる。


 皿に視線を移すと、唾液が出てきた。

「早く食べないと、冷めるよ」

 俺のいた世界と同じ、牛のステーキだった。噛むと肉汁が口一杯に溢れ出す。記憶のある味に不安が消えていく。


「三年以上もループを繰り返しているってことなのかい」


「いいや、正確にはそれは違う。年ではなく回だ。今日の昼から明日の昼までを何度も繰り返している。物理現象としての時間は進んでいない。24時間前にリセットされているから、ほとんどの人々はループしているなんて気がついていないけれどね。気がついているのは同じループ能力を持っている一握りだけ。君は特別のようだ。ジャンプとループを同時に経験したからかもしれない。君もこれから味わうと思うが、何千回もループを繰り返す記憶が残っていると、意外とつらいんだ」


「なんとなくだけど、つらいというのは想像できるよ。その世界が終わるというのは、黒尽くめの男が原因なんだね」


 アイからの返答がない。


「男を倒さないとループは終わらないんだね?」


「君に話す理由がない」


「何かの縁だ。力になれるかも知れない」


「笑わせるな。弱(とろ)い君に何ができる」


「何かができると思う。それに、俺が加われば二対一になるだろ」


「二対一だって? 笑わせるな。弱い君が加わると、一対一が〇・五対一に、つまりこっちが不利になるだろうね。はっきり言って、足手まとい。巻き込んでしまったこともあって、助けてやっているだけだ。介入しないでくれ」

 

 心をナイフで抉られたような言葉に頭を抱えた。

 

「ああ、一つ言っておくよ。異世界転生して無敵のスキルが備わるなんて、マンガのようなことはないから。何の取り柄もなさそうな君は、どの世界にジャンプしても弱いままだよ」

 

 アイの当たりの激しい言葉を聞いていると悲しくなってきたので、話題を変えようとした。

 

「ループを繰り返していて両親は心配しないのかい」

 

「悪いが、今日は君と会話する気になれない。黙って食べてくれないか。折角の食事が不味くなる」

 睨み付けるような冷たい表情に「ごめん」と俯き、食事に専念した。

 

 同い年と想っていたが、背負っているものがあまりにも大きく、精神年齢は俺よりずっと大人なのだ。何かの縁だ。少し背負わせくれてもよいのに。

 

 アイの使命が終わるまで一緒にいなければならない俺は、力になりたい気持ちで一杯だった。

 

 異世界にジャンプしながらループするという体験で身体が疲れていたのだろう。夕食を終えて部屋に戻るとベッドに倒れるように飛び込み、そのまま眠ってしまった。

 

 一度真夜中に目を覚ました。窓から見える外の風景は異様に思えた。

 日中に人気のなかった町は、煌々とライトに照らされたなか、人々であふれ返っている。車も多く往来し、活気ある風景に変わっていた。

 

 この世界の人々は夜行性なのか。


 俺は暫く町を眺めた。

 

 起床したのは朝の8時半だった。昨日と同じように勝手に入ってきたアイに叩き起こされた。

 

 昨夜は機嫌を損ねることを言ってしまった。謝ろうとしたが、すっかり忘れてしまっているのか、アイは疲れの取れた清々しい顔をしている。

 

 顔を洗って着替えると、大切なブレックファーストが終わってしまうと腕を引っ張られて、昨日と同じ地下のレストランに向かった。

 

 カフェテリア方式だったので、適当に皿に載っけていく。アイの三分の一の量だった。力を使うからエネルギー消費量が多いのは理解できたが、いくらなんでも食べ過ぎだろう。

 

 チェックアウトしたら、黒ずくめの男――リワールドを探しに出かけるという。

 

「リワールドは近くにいる」匂いを嗅いだアイは不敵な目付きをする。

「匂いでわかるのかい」

「ああ、わかる。一息いれて、チェックアウト後に殺(や)る」

 殺るって……女の子が使う言葉じゃないよ。

 

 食事が気に入ったのか、戦いが楽しみなのか、アイは笑みを零しながら次々と食べ物を口に運んでいった。

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