第25話 求愛

 ローテーブルの中央には、小さな透明の花瓶が置かれていた。中には青い小さな花をつけた植物がたくさん差し込まれている。星型の光るオーナメントも中に複数あり、暗い部屋の中で幻想的に花を照らしている。


「この花は何?」

「あ……ああ、もらい物だ。忘れな草の造花だな」

「造花なの。よく見ると水も入っていないものね。誰からもらったの? 女性?」

「違う。あ……いや、違わないか。作曲関係でな。曲を売った奏者から曲名にちなんだ贈り物だ。しばらく作曲をしないと言ったら今までのお礼にともらったんだ」


 ……女性ともやり取りがあるんだ。そうよね。男性とばかりではないわよね。


「曲名は?」

「……忘れな草の思い出の欠片だな……」


 ………………。

 この人、結構ロマンチスト?

 ま、そうでないと作曲なんてしない……のかな。分からないわね。忘れな草という花の名前は知っている。きっと元の世界とよく似ていて、言語変換されたのだろう。


「それで……このケースは何?」


 目の前のソファに座る。

 彼も私との会話の中で気持ちを固めたのかもしれない。隣に座ってため息をつくと、バツの悪い顔で私を見た。


「婚約指輪だ……」


 彼が二つのケースを開ける。やはりそれぞれ中には指輪が二つずつ入っていた。


「どうして二セットあるのよ」

「……一つは、アリス嬢もつけていた種類の指輪だ」


 アリスのことをさっきからアリス嬢って呼んでいるわね……あの日記を読むと身近に感じるからかもしれない。今までも心の中ではそう呼んでいたのね、きっと。


 アリスがお相手の人と婚約した際につけた指輪は特殊だ。互いに結婚したい、又は結婚を継続したいと思っていると外したくても外れない。相手の居場所を光で指し示すこともできるし、中に込めてある魔力を消費するけれど声も届けられる。歳をとって愛がなくなる夫婦もある。それを確認できてしまうのは恐ろしくもあり、高額なのもあって酔狂な夫婦しかつけないらしい。


「もう一つは通常の指輪だ。外れないようにこちらも指に合わせて吸着はするが、外そうとすれば普通に外れる」


 吸着……バングルと似たような構造なのね。


「で、どっちを渡すか悩んでたってこと?」

「……その通りだ……」


 可愛いわね、この人。きっと、まだ私の知らない色んな側面があるのよね。


「それなら今、プロポーズしてくれる?」


 左手を彼の前でふらふらと振ってみせる。


「く……っ」


 彼が苦しそうな顔で動きを止めてしまった。

 何を考えているのだろう。……予想はできてしまうけど。いつまで経っても動かないので促してみる。


「外せる指輪からでいいわ。せっかく二つもあるのだし、まずはそっちからお願いするわ」

「――――」


 ……まったく。婚約指輪を渡そうとしている時に、そんな顔はしないでほしいわね。


 彼がまずはアクアマリンのような色合いのケースから指輪を取り出して、私の左手の薬指にスルリとはめた。根本までくるとピタリとくっつく。V字になっていて、中央には小さなダイヤのような石がたくさんはめ込まれている。

細いティアラのようだ。


「セイカ……今は指輪をつけていてほしい。私では役不足かもしれないが、お前のためにできることはする。いつかお前に――」

「話にならないわね。プロポーズの言葉としてはイマイチすぎるわ」


 お揃いの大きめの指輪を取り、無理やり彼の指にはめた。


「でも、私に会う前からそう決めてくれていたわけよね。私の未来を考えて。これは過去のあなたの気持ちとして受け取っておくわ。ありがと、ヴィンス」


 そう言って、私の指輪と彼の指輪を外して忘れな草の花瓶の中にカランコロンと入れる。


「お前……」

「ねぇ。自分の気持ちと私の気持ち、どっちを大事にしたいの? どっちをあなたは優先するの? 私が言われて喜ぶ言葉はくれないの? 分かるでしょう、私が欲しい言葉くらい。あなたになら」

「セイカ……」


 この人は自信がないのね。いずれ、私が他の人を好きになると思い込んでいる。

 

「未来の私なんて考えないで。目の前にいるのは今の私よ。喜ばせてよ。私にはあなたしかいないのだと思わせなさいよ」

「はぁ……敵わないな」


 彼が金の縁取りがされた深い青のリングケースから指輪を取り出した。こちらは流れ星のように斜めに切り込みが入っているようなデザインで、そこにダイヤのような宝石がまた散りばめられている。最後の石は水色を帯びていて、ブルーダイヤのようだ。


「セイカ」


 藍色の両の眼が真っ直ぐに私を見据えた。


「お前が好きだ」


 ドクンと胸が高鳴る。

 悩んでいたはずの彼は落ち着き払った顔で微笑み、私の左手の薬指に指輪をはめた。


「私は毎日、この指輪が外れるか外れないか試してみるのだろう。そうして外れてしまったら、きっとどうするか思い悩むんだ。何日も何日も悩み続ける。それが安易に予想できる。きっと後悔もするだろう。もう一つの指輪にしておけばよかったとな」


 だから、どちらを渡すか迷っていたのよね。

 

「――それで、どうするの? 悩んだあとは?」

「それは……」

「当然、惨めに泣いて追いすがってくれるのよね?」


 諦めるなんて言わせない。


「ふっ……そうだな。そうしてみるか」

「ええ。でもね、私はあなたとは違うのよ」

「……?」

「もし、あなたに他に好きな人ができたとして――」

「できない」


 ……最後まで言わせなさいよ。


「こんな小娘、すぐに飽きるかもしれないじゃない」

「ない。絶対にない。無理だ。お前以外の女を好きになることなんて、絶対にない」


 ……さっきより熱烈だけど。


「私、鬱陶しいでしょう。子供っぽくてよく泣くし厄介で面倒くさくて、そのうち嫌に――」

「ならない。私は生涯お前を愛している。私の全てでこれからのお前を守る」

「…………」


 私を説得しようとする顔から、ハッと何かに気付いた顔になって――気まずそうに顔を背けた。


「ふふっ、プロポーズらしい言葉をありがとう。信じるわ」

「あ、ああ……」


 彼の指にもそっとまた指輪をはめてみる。そうして、まるで根を張るように吸着した自分の指輪をキュキュッと引っ張った。


「外したいと思っても、確かに外れないわね」


 彼も緊張した面持ちで自分の指輪を引っ張って――。


「ヴィンス……?」

「……っ、なんだ……」

「な、泣かないでよ。私までまた泣いちゃうじゃない……っ」

「く……、お前はいいだろう。泣いたって可愛いだけだ」

「鬱陶しいの間違いでしょう」

「覚えておけ。お前に向ける鬱陶しいは可愛いってことだ。頭の中で変換しておけ」

「なによそれ……」


 彼が私の涙にキスをするから、私もお返しにチュッと吸い取る。それでもまだ落ちる涙は止まらず――。


「ねぇ、私はあなたと違うのよ」


 さっきの言葉の続きを話す。


「なんだ」

「あなたが違う女性を好きになったって絶対に手放してあげないわ。聖女の威光だって笠に着るわ。手段なんて選ばない。浄化前なら世界だって人質にとるわよ。救わないけどいいのって。私、かなり依存体質なの。あなたを不幸にするとしても逃がさないわ」

「――そうか。私も似たようなものだ」

「あなたは違うでしょう」

「この世界、滅んでしまえばいいと思った。浄化なんて失敗してしまえばいいと」


 ……私にプレッシャーがかからないよう言ってたんじゃなかったの。


「アリス嬢に会うまではきっと、私はお前にとって特別な存在なのだろう」

「そうね……」


 アリスがこの人にあの日記を手渡したいと思うくらいだものね。……私、のろけるタイプじゃないんだけどな。恋人なんていたことないし、実はのろけるタイプだったとか? 未来の私は何をアリスに言うのかしら。


「そんな存在のまま、世界と共に終わりたいとな。未来なんて消えてしまえばいいと」

「……今は?」

「もう無理だ。期待をしてしまっている」

「期待?」

「ああ」


 彼が笑う。涙の跡を残しながら。


「私の全てを捧げさせてくれ。この命の尽きる時まで」


 本当は怖かった。

 この指輪……外れちゃうんじゃないかって。私のこと、やっぱり子ども扱いしている部分は多いんじゃないかって。結婚相手としては適さないと思われるようなこと、たくさん言ってきたから。


「私……でいいのかな……」

「お前まで何を言ってるんだ」

「対等であるべきだと分かっているのに、私は……ずっと支えてほしいって。守ってほしい、好きでいてほしい、愛してほしいって。してほしいことばかり考えてしまうのよ。甘えて一方的に寄りかかってしまいたくなるの。さっきも言ったけど、依存体質なのよ」

「ふ、何も問題はない。お前が望まなくともそうしてやる。私がいなくなれば倒れてしまうくらいに、寄りかかればいい」


 真夜中の音のない世界で、私たちはキスをする。光魔法も伴わない静かなキス。彼の上に乗って首に手を回し、肩に頭を乗せた。

 

 視線の先の窓を星々が満たしている。月とは違って部屋の中まで降り注ぐような光ではないけれど、その一つ一つが特別な命のようで――。

  

「……ねえ、どうして『星屑のロンド』は今まで誰にも聞かせなかったの?」

「突然どうした」

「星空を見ていたら思い出して」

「ああ……私もそうだった。彼女の日記を読み、星空を見て思ったんだ」


 ……アリスが絡んでたの。


「聖女のために曲を考え、聖女にだけ聞かせて……褒めてもらいたいなとな」

「褒めて……?」

「ああ。十五歳の私の過ぎた願いだ」

「過ぎてはいないでしょう……」


 私、褒めたかしら。

 どうだったかな。


「お前だって、いきなり私が作曲の話をするから戸惑ったんじゃないか」

「え……いえ、全然。違和感はなかったけど」


 ヴィンスとピアノの組み合わせに気がいって、全く戸惑いを感じなかったわ。


「早く聞かせたかったんだ。聞きたいとも言ってほしかった。私も大概子供っぽいだろう? 安心してお前も子供っぽくいろ」


 もう一回あの日に戻って、ヴィンスの表情をちゃんと見たいわね。どんな顔をしていたかしら。

 

「早く聞けてよかったわよ。えっと……すごいなって思ったわ。満天の星空が胸の中に広がるようだった」

「ははっ」


 彼が愛おしそうに私を見て――。


「あれは、私なりのお前への求愛だ」

  

 こんなに穏やかに笑う人だったのね。

 

 このまま部屋に戻りたくないなんて言ったら困った顔になっちゃうかなと思いながら、彼の腕の中で目をつむった。


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