第23話 ヴィンセントの過去3
「私は愚かだな……」
何日もかけて、アリス・オルザベルの手紙とそして――、彼女の残した日記を読んだ。
彼女もまた、特別な存在だと思っていた。異世界から来て才能を手にし、それを使いこなしてクリスマスに新たな文化を与えた。
だが――。
バルコニーに出て空を見上げる。今は夜だ。誰もが寝静まっている夜。星が夜空を彩っている。どの星もキラキラと輝いて……その全てが等しく特別なもののように感じた。
彼女はなんの変哲もない一人の少女だった。突然の異世界に戸惑い、自分を召喚した少年と恋を育み、時に悩み、時に怒り、時に喜び、日々の中で一喜一憂しながら成長していく、私と変わらない十五歳の普通の少女だった。
「魔女」
試しに短くそう言うと、彼女が横に現れた。
「なにかしらぁ、ヴィンセントちゃん」
こんなに簡単に来るのか……。
「やはり全てを把握しているのか。本当に簡単に来るんだな」
「ふふ。アリスちゃんの日記を読んで、試してみたくなったのかしらぁ?」
彼女の夫のレイモンド卿も若い時から雑に魔女を呼んでいたようだった。彼女の召喚を唆したのは魔女だ。人間の身で異世界からの召喚を行うのは禁忌。だから迷い子としたのだろう。普通は上手くいかず挑戦するだけで魔法の才能すら神により剥奪されそうだが……許可があれば別らしい。異世界を水晶球で見せ、あちらの世界で早い死が確定している彼女を召喚したいと思わせた。
聖女は一度過去に戻って彼女に会う。おそらく、その条件によって聖女が魔王を浄化できるほどの力を扱えるようになるのだろう。だから聖女ではないのにアリス・ユメサキを召喚させた。
「この日記……かなり内容が赤裸々だが、本当に私に渡していいと言ったのか?」
「そうねぇ。死を迎える日に、死に際にそう言ったわねぇ」
「死に際!?」
「それまでは手紙だけを聖女ちゃんに直接、私から渡してと頼まれていたわぁ」
「亡くなった年齢は」
「九十二歳かしらねぇ」
……………………。
書いた内容を忘れただろう……。
「この内容を親友である聖女に見られるのは、いいのか? 若い時のは特に生々しいが……」
「大丈夫よぉ。この世とあの世の狭間のような場所で言ってたものぉ。あんなのを渡すのかと冷静になったあとに『まぁいっか。私もう死んでるし。役に立つよね』って。ふふふっ」
軽いな……それに、そんな場所があるのか。
「あ、出版はしないでって言ってたわぁ。読むのは二人だけって。んふふふっ」
出版……さすがにそんな趣味の悪いことは聖女もしようと思わないだろうが……。しそうな聖女なのか?
懐かしそうに楽しそうに笑う魔女に、ふと気になることを聞いてみる。
「魔女にとって、聖アリスや聖女は特別なのか」
「あらぁ。どの人間も皆、特別で……そして特別ではない。そうでしょう?」
「…………」
「スイーツのお店の店員ちゃん、子供を預かる保育士ちゃん、魔王を浄化する聖女ちゃん、生まれながらの王子ちゃん。人はたくさんの役割を持っているけどぉ……特別かそうではないかの線引きをしたいのかしらぁ?」
「……いや……」
魔女は人の心を読まない。けれど、ある程度感じ取れてしまう。それもアリス嬢の日記に書いてあった。この笑顔に全てを見透かされているように感じる。
「そろそろ私は行くわぁ」
「ま、待て。アリス嬢は、いつ私がこれを手渡すべきだと思ったんだ。いつ渡せばいいんだ。この世界に慣れてきた頃か。それとも――」
「分からないわぁ。聞いてないものぉ」
「――――な」
「私から渡す予定だった手紙と、そして日記。どちらも死の瀬戸際にあなたに託すことに決めた。そこにアリスちゃんなりの考えはあったんでしょうけど……分からないわねぇ」
「――それは……」
分からないのか……。
聖女が彼女に会いに過去へ遡った日の日記には……ボヤけて読めない文字もあった。私の未来に関わることを聖女が話したのだろう。そういった部分は魔女の……神の意思で読めなくされていた。
だが、そんな部分はあまりなかった。聖女は私のことをあまり話さなかったようだ。未来についてあまり語ってはいけないと魔女にも言われていたらしい。「第二王子とどんな関係なのかな」「絶対恋してたと思う」といった若い女性特有の浮ついた推測しかなく……後ろ盾として多少私は機能するのだろうと。分かったのはそれくらいだ。
だが、それでいいと思う。
それで十分だ。
聖女が過去に戻って私の話を少しはしてくれる。それだけで満足だ。
聖女はアリス嬢以外に友達はいなかったようだ。人付き合いも下手なようだ。だから彼女も自分がいなくなった世界での聖女を心配して、日記にもたまに思い出すように登場していた。
突然魔女に親友が七百年後の聖女であると聞かされて会うことになり、そこからはそんな記述は消えたが……聖女は再婚家庭で、家でも居心地が悪いと話していたらしい。そんな少女が突然、異世界に連れてこられてしまう。
――守ろう。
私に似たところがある少女のようだと感じたのもあるかもしれないが……どうしたら守れるか、もう一度彼女の日記を読んで考えよう。
ここに来たばかりでは心情を吐露できる相手がいない。アリス嬢の日記のお陰で、異世界に来たばかりの少女の心細さも推測はできる。せめて気心が知れる相手ができるまでは、自分がそんな存在になろう。
アリス嬢の夫ほど、上手くはできないかもしれないが……。
全ての人間は等しく、神にとって特別な人間などいないのだろう。
だが、聖女にとっての特別にはなれる。男性としてではないかもしれない。だが、アリス嬢がこれを私から手渡してほしいと思えるような存在だと認識してくれた。そう思わせるように聖女が話してくれる――この先の未来で。
「もう、行ってもいいかしらぁ?」
「ああ」
「……手渡すべき時期については、これから悩むのかしらぁ?」
「だろうな。彼女に――セイカ・ツキシロに手渡す最もいい時期をこれから考える」
「そう。頑張ってねぇ〜、頑張らなくてもいいけどぉ」
気が抜けるようなことを言って、魔女が消えた。さっきと変わらない星々が静かな空を輝きで満たしている。
その夜空を見てふと思う。
聖女が召喚されるまで約五年半……ゆっくりと時間をかけて一つの曲を作ろうかと。全ての音を特別だと思えるような曲を。
ピアノの才能だけはあった。音符を見ると、音が頭に雪崩込んできた。弾いている時間はその世界に浸ることができる。たまに、個人的に作曲もしていて……最近は許可を得て本名とは違う名前で曲を細々と売り始めた。謎に包まれた新星の作曲家として雑誌に紹介されたこともある。
私に敵わない分野があることが嬉しいらしく兄にもよく弾いてくれとせがまれる。クリス嬢には言わないようにと釘を差した。なんとなく……彼女には褒められたくなかったからだ。
どうしてだろうな……。
まだ見ぬその十五歳の少女には、すごいねと褒められたくなった。
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