第16話 野外ライブ
弦楽器を手に持つ彼女が現れると、大きな拍手と喝采が湧いた。
人気があるのね……。
野外ライブとクリスが言うからバンドといったイメージだったものの、物語の中の吟遊詩人のようだ。髪は灰色のボブだ。だからなのか、透き通るような緑の大きなイヤリングや髪飾り、透け感のある緑のドレスがよけいに引き立つ。
彼女が歌う。
優しい弦楽器の音色に合わせ、優しい声音が周囲を満たす。
晴れの昼下り 雨の夜
光と陰 移ろいゆく日々
いつも そこにあるのは
優しい木々の ざわめき
それは自然の 子守唄
大地の声を信じて 目をつむろう
眠らせた夢は 心の奥底で
芽吹く日を 待ち続ける
「……幻想的で素敵ね」
「でしょう?」
おとぎ話の背景音楽によさそうだ。そんな本の付録になっていたのかもしれない。
ゆったりした気分で聞いていたのに……なぜか突然、ゾクリとした。
その瞬間――。
「ここで待ってて」
――日常が突然、非日常になる。
クリスが杖を大きくして凄まじいスピードで観客がいる方へと向かった。私は彼女の後ろ姿が小さくなるのを目で追うしかない。人々を守るように一方向へ光の障壁が張られ、警備の人が投げた丈夫そうな網に絡まりながらもなお観客の方へ狂ったように走ろうとするそれは……。
「角のある黒いウサギ……?」
キャーという声がする中でも何人かの体が光っている。もちろんクリスもだ。
それに呼応するように、「キシャー」と声にならないような音を発して目を光らせて牙を向いていたそれが、光を生み出して消えていった。浄化されたのだろう。
「あれが……魔獣……」
人間を襲うのが魔獣らしいし、さっきのがそうなのね……。ベビーワームと同じく言葉が通じなさそうだった。魔王とやらも、あんなんなのかしら……。
公園には草木も多い。落ちた葉っぱなどに隠れていたベビーワームが見逃され魔獣になってしまった可能性は高そうだ。被害が……出るはずね。あんな勢いで人に向かって来ようとするなんて……ゾクッとする感覚ですぐに気付けないと、浄化する前に怪我をしてしまう。
早く、高い浄化能力を身に着けないと。何も反応できなかった今の私では、全然駄目だ。
それにしても……すぐに戻ってくるかと思ったクリスが戻ってこない。
「人に囲まれているじゃない……」
この高さなら、もう怖くはない。すーっと木から降りて近づこうとするとヴィンスが近くにきた。
「行くな」
「どうしたのよ、アレ」
「聖女じゃないかと聞かれているのだろう。あの光の障壁は大きすぎて普通の者には無理だからな」
「それ、大変じゃない」
「護衛が側にいるだろう。否定しているはずだ。まったく、警備の者に任せておけばいいものを。納得してもらえなさそうなら、私と共に皆で戻るしかないな」
王族と一緒でないと自由に空高くは飛べないんだっけ。納得してもらえないってことは、クリスが聖女だと思われたままになるってことじゃない……。
「私、名乗り出た方がいい? 虹色の髪にはしているし、このまま周知されてもいいのなら。もう召喚されたことになっているのよね。名乗るだけ名乗って飛んで逃げられるのなら、それでも……」
「……偽物扱いされると面倒だぞ。されなくても、ああなる。すぐには逃げにくい」
まだ大したことは、できないものね。
でも……。
「あれ、なんでヴィンスがさっきのフラワーボックスを持っているのよ」
「護衛には護衛の仕事に専念してもらいたい。私が持つことにした」
「そう……貸して」
袋から出して風魔法で中の花を浮かせてみせる。うん……もう、これくらいならできる。
「お前、何を……」
「魔女、姿は現さなくていいから精霊をあとで出してくれない?」
どうせ全てを知っているのだろう。
「これだけ人がいると……難しいわねぇ」
やっぱりあの特徴的な声だけが聞こえた。
「飛べばいい? 少しは距離ができるわよね」
「そうねぇ……空中なら、セイカちゃんのために姿を現してくれるかもしれないわぁ。聖女ちゃんは特別だものぉ。悪戯好きの風の精霊なら、きっとねぇ」
変装もしていないクリスが聖女だと思われるのは可哀想。あとで違うと分かった時に、民衆を騙したと思われる可能性もある。それに……聖女って言われるのは嫌だけれど、その呼称をとられるのも気に食わない。
――世界を救うのも滅ぼすのも、私の手の内にあるのよ。
「ヴィンス、浮かせて」
「……分かった」
グラサンを外した彼と共に浮く。ドロワーズを履いているので、高く浮いても問題はない。紫の色をした花々も私と共に……。虹色の髪も風にはためく。
うーん、ビジュアル系バンドの出待ちをしていた時よりも緊張するわね……。出待ちOKのバンドだったから、あの時はその他大勢の一人だったし……今は待たれる側なのね。世界を救う存在として。
「私が聖女よ」
誰もがこちらを見る。
私の手の動きに合わせるように紫の花が周囲を旋回する。それに合わせて精霊が現れた。甲高い声を出しながら、私の周囲を飛び交ってくれる。私も姿を現してと願ったけれど、魔女からもお願いしてくれたのだろう。
……風の精霊は緑色だったらしい。私の周りをひらひらと舞いながら、けたたましい声を出す。私をからかってでもいるつもりなのか……視界を埋め尽くそうとするようだ。真似して私も高い似た声を出してみると、嬉しいのか、より騒がしくなる。
――って、全然前が見えないじゃない。
「……花びらを人々へ」
声に反応して紫の艶やかな花が人々へと乱れ舞い落ちると同時に、煌めくような鱗粉を撒き散らせながら精霊が姿を消した。ヴィンスに目で促して、共にステージへと降りる。
「使われますか?」
動揺の色を見せない大人の女性といった雰囲気のディアナに、緑の花を型どったクリップを渡される。きっと音響装置なのだろう。
「ええ」
受け取って口を寄せる。人々がシーンとしているのは精霊を見て呆然としているのかもしれない。人前にはそんなに現れないらしいし……。
「私が聖女よ。ただし、まだ浄化もできませんの、ごめんなさい。魔法が存在しない世界から来たので、時間がかかりますわ。先ほどの彼女のような光の障壁を生み出すことも、まだできません」
聖女っぽく丁寧に話す。できることもできないと言ったほうがいいとはアドルフ様にも忠告されたし、そうしておいた。目の前の人々が膝を折って私に向けて――。
「どうか……どうか、聖女様! 世界をお救いください!」
「子供が二人いるんです! 安心して暮らせる世界をお願いします!」
「聖女様! 早く力を身につけられることをお祈りしています!」
……やっぱり、こうやってお願いされるのは気持ち悪いわね。私自身を知りもしないのに。
なりたい聖女について考える。
「そうね、いつかは必ず」
だって、そう決まっているのでしょう?
「でも、突然異世界から現れた小娘に託すだけで安息は得られるのかしら。私は誰に頼られずともその道を進むわ。それでも、時間がかかるのよ。願いを口にするよりも前に、自らの光でこの世界を満たしてちょうだい」
胸元だけ赤いハイウエストのドレスの上には、こちらの季節に合わせて黒くて長い薄い羽織りを着ている。金に縁取られたそれを大きく揺らし、手を胸の前で結ぶ。
「この世界で生きる人々に神の祝福を」
自分がこうしてやるんだと自力だけを意識しては、魔法も祈りも上手くいかない。全て神や精霊に貸してもらう力――だからこそ祈ることができる。皆に幸せになってほしいなんて綺麗な感情ではなくてもいいのだから。
私も他人も、誰に邪魔されることのない日々を過ごせたらと思う。どこかの誰かの負の感情のせいで、こうやって余暇を台無しにされるのなんて嫌だものね?
ヴィンスからもらった祝福を思い出す。
――生きる喜びを人々に。
今この瞬間だけでも神の無償の愛に浸かり、魔物や魔獣なんてものを生み出さない存在になりなさい。
私から放たれた光が吸い込まれていった人々へと言い放つ。
「私を高みへと導くのは、無力に浸かる者の願いや祈りではないわ」
そうしてディアナを振り返る。
「あなたの歌声、精霊も聴きたがっていると思うわ。続けて」
ん? なんかこの人……さっきと表情が違うわね。こじらせた発言をしすぎた? ウルウルしているような……まぁいいか。どうせ何を言ったってヴィンスだけは味方でいてくれる。
「悪いが、私にも貸してくれ」
返そうとした音響装置を彼が手に持った。
「私は第二王子ヴィンセント・ロマニカだ。皆の知る通り、聖女は召喚された。だが、忘れないでほしい。生まれたばかりの赤子は、どれだけ頼もうとすぐに立てはしない。どれだけ懇願しようと、サナギはすぐに羽化しない。できないことを望んでは、希望の光は闇に呑み込まれるだけだ。独りで戦わせてはならない。聖女を孤独にしてはならない。世界を光で満たしながら、その時を待て」
……格好いいわ。こんなに王子様だったのね、この人。声に威圧感と力がある。
彼はディアナに音響装置を返すと、私の手をとって宙に浮いた。どこにいたんだってほどの護衛も空中にわらわらと集まり、クリスも一緒に跪く人々を見下ろしながらその場をあとにした。
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