第37話 激怒する理由
ハルジオンが暗殺されて三日が経過した。暗殺された当初は、アストランティアの住人たちも少なからず動揺していたようだが、現在は落ち着いている。ただ、明らかに以前と比べて街なかの雰囲気が物々しくなったと、住人の誰もが感じていた。
「住人たちも不安がっているようですな」
アストランティアの中心街。ステラと並んで歩くネメシアは、住人たちから向けられる視線にそう感じざるを得なかった。
「禁軍の司令官が白昼堂々と暗殺されたわけですからね。しかも、
「そう、ですな……」
眉間にシワを寄せたネメシアが口をつぐむ。そう、あれは明らかに自分たちの失態だった。
「ステラ殿。やはり、『緋色の旅団』はすでに首都へ潜伏しているとお考えですか?」
「ええ。協力者と思しき門番の衛兵は姿をくらましています。つまり、もう首都への出入りを見逃してもらう必要がないということ。となると、すでに首都へ拠点を構えていると見るべきでしょう」
周りを警戒しながら歩きつつ、ネメシアが納得したように頷く。この街のどこかにアシュリーたちの拠点がある。そう考えると、何とも言えないモヤモヤとした感情が胸の奥底から湧きあがってきた。
「……次は、どう動くとお考えですか?」
「アシュリー・クライスの目的は一つ達成されました。となると、次は最終的な標的である天帝陛下の暗殺に動きだすのではないでしょうか」
「具体的に、どのような行動を起こすと?」
「そこまではまだ……。ただ、一つ言えるのは、天帝陛下を暗殺するのは、普通に考えてほぼ不可能ということです」
まっすぐ前を向いたままステラが言う。その口ぶりは自信に満ちていた。
「その理由は?」
「そもそも、バジリスタ城へは身もとがたしかな者しか入れません。厳重なチェックが行われますから。素性の確認だけでなく、持ち込む物もすべてチェックされます。仮に、彼女たちが魔鉱石を使った爆弾を保有していたとしても、城の入り口で見つかるでしょうね」
「なるほど」
「徒手格闘や魔法に秀でた者が、万が一天帝陛下のもとへたどり着けたとしても、問題はありません。至高の種族、ハイエルフであられる天帝陛下はお強い。おそらく魔法の一撃で消し炭にされるでしょう」
ステラの言う通りだとネメシアは思った。エルフとハイエルフでは、持って生まれた魔力や魔法の素質などが明らかに違う。大げさではなく、エルフにとってハイエルフは神のような存在なのだ。
「だが、それではなおさら『緋色の旅団』がどう出るのかが気になります。アシュリーはできないことを口にしたりはしない。彼女が天帝陛下を絶対に殺すと口にした以上、何かしらの方法を考えついているはずです」
「そう……ですね。ほぼ不可能だとは思いますが、油断は禁物ですね。悔しいですが、彼女の頭脳はとんでもない。とりあえず、我々は首都の警戒をしつつ、彼女たちの拠点を見つけましょう。アシュリー・クライスと幹部の連中さえ確保できれば、それ以上頭を悩まされることもない」
ステラの言葉に、ネメシアは力強く頷いた。
――バジリスタ城の内部にある、天帝の居住エリアに立ち入れる者は限られている。ステラをはじめとした数人の側近と侍女、侍従長、そして天帝の居室前で護衛にあたる兵士。護衛の兵士は、禁軍のなかでも選りすぐりの精鋭が選ばれていた。
「ふぁ……」
天帝、サイネリア・ルル・バジリスタの護衛を任務とするグラジオラスは、思わず漏れたあくびの声を慌てて引っ込めた。
「おい! お前気が緩んでいるんじゃないか!?」
天帝の居室前、扉を挟むようにして仁王立ちしている二名のうちの一名、ドラセナがグラジオラスを睨みつける。
「す、すまん。つい」
「まったく……。この前、ハルジオン司令官が暗殺されたばかりだというのに……」
「ああ、そうだな……」
禁軍に属するグラジオラスとドラセナにとって、ハルジオンは直属の上司である。それが白昼堂々とテロリストに暗殺されたとあって、ここ数日禁軍は混乱しっぱなしだった。
「次の司令官、誰になるんだろうな」
「さあな。普通に考えれば、副司令官のトレニア様だとは思うが」
「トレニア様か……でも、あの方は優柔不断だからなぁ……」
と、直立不動のままそんなことを小声で話していたとき――
『きゃっ!!』
突然、天帝の居室から悲鳴が聞こえた。心臓が飛び出るほど驚いたグラジオラスとドラセナは、一瞬顔を見あわせると、慌てた様子で扉を開いてなかへ飛びこんだ。
「へ、陛下! どういたしましたか!?」
「陛下、ご無事で――」
部屋へ飛びこんだ二人の全身が硬直する。着替えをしていたのか、天帝サイネリアは上半身に何も身につけていなかった。
ローテーブルの上には、倒れたグラスとぶちまけられた紅茶らしき液体。おそらく、服を脱いだときローテーブルに足をぶつけた、もしくは服をひっかけてしまい、グラスが倒れ小さく悲鳴をあげたのだろう。
だが、今の二人にとってそんなことはどうでもよかった。サイネリアの姿を見た二人は、金縛りにあったようにピクリとも動かない。いや、動けないのだ。
なぜなら、彼らは
「あ……ああ……!」
「へ、へ、陛下……そそそ、そ、それは……!?」
真っ白な美しい柔肌と、形のよい乳房をあらわにしているサイネリア。男なら、誰もがその魅力的な体に釘づけになるだろう。だが、今の二人は
「……見たわね」
この世のものとは思えない、底冷えするような声がサイネリアの口から漏れる。グラジオラスとドラセナの膝はガクガクと笑いだし、歯もガチガチと鳴りはじめた。
「もももも、申しわけあり――」
「『
何とか言葉を絞りだそうとしたグラジオラスだったが、その刹那、サイネリアが魔法を詠唱した。二人の足もとに展開した魔法陣から黒々とした炎が立ち昇り、またたく間に二人の体を呑み込む。
二名の護衛は、断末魔の声をあげる間もなく消し炭になった。
小さく舌打ちをしたサイネリアは、忌々しげな表情を浮かべたまま素早く衣服を羽織る。と、そこへ、騒ぎを聞きつけた侍従長が駆けつけてきた。
「へ、陛下! 何かありましたか!?」
「……別に、大したことじゃないわ。護衛がいなくなったから、また適当に見繕ってちょうだい。ああ、今度は勝手に部屋へ押し入ろうとしない子を頼むわね」
侍従長についてやってきた侍女が、ローテーブルの上を片づけるのを見ながらサイネリアが言う。年配の侍従長は、冷や汗をかきながらも、恭しく頭を下げてその場をあとにした。
静かな廊下を歩きながら、侍従長のミントはため息をついた。長きにわたりサイネリアに仕えてきた彼にとって、今回のような出来事は決して珍しいことではない。
これまで、幾度となくこういうことがあった。たしか五十年ほど前にも。あのときも、何らかの理由で護衛の者が処刑された。
ただ、部屋の扉を開けた者がすべて処分されたわけではない。なかには、軽い叱責だけで済んだ者もいる。おそらくだが、殺された護衛の者は、決して見てはいけないものを目にしたのだろう。それが何かは知る由もないが。
再び大きなため息をついたミントは、重い足取りのまま禁軍の本部建物がある場所へと足を向けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます