第20話 秘密の代償

今度こそ、ネメシアは我が耳を疑った。天帝陛下を殺す? 誰が? あのアシュリーが? 天帝のお役に立てる存在になりたい、と馬鹿の一つ覚えのように言っていたアシュリーが、天帝を殺す?


「お、お、おま、おま、お前……何ということを……何と恐れ多いことを……!」


「……そうね。昔の私からはきっと想像がつかないでしょうね」


アシュリーが大きくため息をついたのをネメシアは聞き逃さなかった。月明かりに照らされるその横顔は、どこか寂しげにも見える。


「……い、いったい……いったい何がお前をそこまで変えちまったんだ……」


「ねぇ、ネメシア。私は学生時代、実家へたくさん手紙を書いて送っていたわ。学園でその日あったことや楽しかったこと、悔しかったこと、哀しかったこと。ふふ、それはもうたくさん送っていたの」


「……」


「楽しい学園生活やアストランティアのこと、お父さんやお母さん、弟たちと少しでも共有したくてね。家族も、村での出来事なんかを手紙に書いて送ってくれてた。でもね。あるときを境に、実家からの手紙はぱったりと途絶えてしまったわ」


そのとき、ネメシアはリエッティ村が地図から消されていたことを思い出した。もしかして、そのことと関係があるのだろうか。


「本当にね、笑っちゃうわよ」


アシュリーは一度天を仰ぐと、再び正面を向き大きく息を吐きだした。


「リエッティ村なんて、とっくになくなっていたんだから」


「ど……どういうことだ?」


「そのままの意味よ。私の生まれ故郷であるリエッティ村は、この国から、世界から消されてしまったのよ。天帝、サイネリアの命令でね」


ネメシアが思わず息を呑む。一つの村が物理的に消されたというのか? しかも天帝の命令で? 


『良くも悪くも、この国は天帝陛下の意思が最優先されるのじゃよ』


ネメシアの脳内に、老エルフの言葉が蘇った。


「い、意味が分からない……何故、天帝陛下がエルフの村を?」


「シンプルな理由よ。リエッティ村に属する山から、魔鉱石の鉱脈が見つかったの」


魔鉱石は希少かつ非常に価値が高い鉱石だ。バジリスタではほぼ枯渇しており、新たな鉱脈が見つかれば天帝陛下が目をつけるのも理解できなくはない。だが――


「それだけの理由で、天帝陛下がリエッティ村を消したと……?」


「いいえ。天帝はリエッティ村に魔鉱石を鉱脈ごと献上するように命じた。でも、魔鉱石はとても価値のある鉱石よ。村の資源として活用できれば、繁栄は約束されたも同然。しかも、バジリスタの各村や町には自治権が認められている。一部を献上するのならまだしも、すべて差し出せというのは横暴でしかないわ」


アシュリーの言葉が少しずつ熱を帯びてくる。明らかに彼女の感情は昂っていた。


「だから、リエッティ村のみんなは魔鉱石を献上せよとの命令を拒否した。さらに、独自に知り得た天帝のを盾に魔鉱石を諦めさせようとしたらしいの」


「天帝陛下の秘密……?」


「ええ。何でも、リエッティ村にたまたま流れ着いたハイエルフの旅人から教えてもらったそうよ」


「何なんだ、その秘密ってのは……?」


「……それはまだ言えないわ。とにかく、そのような経緯でリエッティ村は天帝の怒りを買った。その結果が村の消滅よ。村人は全員皆殺し、村は完全に更地に変えられていたわ」


やや自虐気味に話すアシュリーとは対照的に、ネメシアは自身の呼吸が荒くなるのを感じていた。もし、アシュリーの話が本当だとすれば、天帝陛下は何という無慈悲で恐ろしいことをしたのか。


「そ、その話は本当なのか……?」


「もちろん。村近くの湖に住むアプカルルや、村が焼き払われた日に上空を飛んでいたハーピー、村へ流れ着いたというハイエルフにまで会って調べをつけたからね。間違いないわ」


ネメシアが唇を噛む。なるほど。調査にたっぷりと時間を費やしたというわけか。


「それで……テロ組織に入ったというわけか……」


絞りだすように言葉を紡いだネメシアに、アシュリーが目を向ける。


「……それは正しくないわ」


「あ? どういうことだ?」


「テロ組織に加わったわけじゃない。私、アシュリー・クライスこそ『緋色の旅団』団長よ」


まるで雷に打たれたかのように体を硬直させるネメシア。アシュリーが口にしたことを理解するまで、しばらくの時間を要した。


「は……? ん? あ……? お前が……『緋色の旅団』の団長……だと?」


「ええ。天帝へ復讐するとなればそれなりの組織が必要だから。当時の団長を殺害して組織ごと乗っとったのよ」


サラリと恐ろしいことを口にしたアシュリーに、ネメシアが怒気を込めた目を向ける。かつての学友が冷酷無比なテロリストへ変貌したことに、彼は怒りを感じていた。


「もう……お前は昔のアシュリーじゃないんだな……昔のお前は、簡単に誰かを傷つけるような奴じゃなかった……!」


「……ねえ。理不尽な理由で家族を虫ケラのように殺された私の気持ちが分かる? 受け取る者がいない手紙を嬉しそうに延々と出し続けていた私の気持ちが、あなたに分かる?」


底冷えするようなアシュリーの声に、ネメシアは次の言葉を紡げなくなった。周囲の温度まで下がった気がする。


「あなたが治安維持機関の長官に就任したという話は聞いていたわ。まさか、天才と呼ばれた私がテロリストになり、怪力自慢のあなたが治安維持機関の長官になるとはね。世のなか分からないものだわ」


「……」


「ネメシア。あなたはあなたのやるべきことをやりなさい。私も、私がやるべきことをやるわ。でも、もし私の進む道を邪魔するのなら、そのときはたとえあなたでも絶対に許さないわ」


そう口にすると、アシュリーは踵を返してその場を立ち去ろうとした。一瞬、月明かりに照らされた横顔が、心なしか寂しそうに見えた気がした。


「あの女にも、必ず報いを受けさせると伝えておいてちょうだい」


「ま、待てアシュリー!」


背を向けて立ち去ろうとするアシュリーに声をかけ、駆け寄ろうとした刹那――


背後から、首筋へナイフの鋭い刃をそっとあてがわれたことに気づく。まったく気配を感じなかった。とんでもない手練れだ。それだけではない。右わき腹のあたりにも、ナイフの切っ先がつきつけられている。おそらくは二人……。となると、やはりそうか。


「「動かないで」」


暗闇のなかに、少女の声が重なり合う。そして、ネメシアはその声の主をよく知っていた。


「やっぱり、お前らかよ……」


ネメシアへナイフの刃をあてがっているのは、学園時代のクラスメイトだったエルフの双子、ダリアとジュリア。シャーデー家の令嬢として幼いころから戦闘の英才教育を受けてきたエリート中のエリートである。なるほど、シャーデー家が亡命した理由はこれか。


娘がテロ組織に与したとなれば、シャーデー家にも何らかの処分が下される。その前に先手を打って隣国へ亡命したということか。いや、ダリアやジュリア、もしくはアシュリーがそれを勧めたのかもしれない。まあ、そんなこと今はどうでもいい。


「……お前ら、友達ならアシュリーを止める立場じゃないのか?」


「……無責任な発言はしないで。あんたにアシュリーの気持ちがわかる? 私たちにとってアシュリーは何より大切な親友よ。アシュリーが命をかけて成し遂げたいことがあるのなら、私たちは迷わずそれを助ける」


首筋にあてられた刃にグッと力が込められたことに気づき、ネメシアは口を閉じた。ダリアとジュリアの性格はよく知っている。あまり刺激すると何をするか分からない。


「いいこと? 目を閉じて二十数えなさい。それまで決して目を開けてはいけないわ。もし目を開けたと感じたら、即座に魔法を放つから」


「……ああ。分かった」


ここは言うことを聞く以外ない。こっちは間違いなく一人しかいないが、こいつらは何人いるか分かったもんじゃない。ネメシアは言われた通りに目を閉じると、声に出して数を数え始めた。


「十八……十九……二十……」


約束の二十までを数え終わったネメシアは、ゆっくりと目を開いた。もう、そこにはアシュリーはもちろん、ダリアもジュリアもいなかった。


ふう、と大きく息を吐く。湖の魚が跳ねた音だろうか。ちゃぽんという音が暗闇のなかにやたらと虚しく響いた。見上げた夜空に浮かぶ、微笑む貴婦人の口元のような三日月。まるで、夜に笑われているような気がした。

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