第19話 再会

周辺は、野次馬たちの興奮したような声や治安維持機関サイサリスの隊員の怒号が響き渡っていたにもかかわらず、ネメシアの耳には何も届いていなかった。ただ、にわかに荒くなった自らの呼吸音だけははっきりと耳の奥まで届いた。


「ア……アシュリーなのか……?」


呆然と立ち尽くすネメシアに気づいた美しい白髪の女エルフが顔を向ける。わずかな時間、交錯する視線。間違いない、アシュリーだ。


「ア、アシュ──」


手を挙げて声をかけようとした刹那、彼女は再びフードを被り直し屋根の向こう側へ跳ねるようにして消えた。慌てて追いかけようとするネメシア。


必死に走りながら、頭のなかで「何故だ」を繰り返す。


何故、何故、何故だ。さっき、たしかにアシュリーは俺と目があった。にもかかわらず何故彼女は逃げる? いや、それ以前にあんなところでいったい何をしていたのか。


激しく脈打つ心臓に鞭を入れながら、アシュリーが屋根に登っていた建物の裏手にまわる。急いで周りを見渡すが、通りには誰もいない。


「くそっ……!!」


俺の勘違いや見間違い、なんてことはない。三年も一緒に学んできた学友だ。あれは間違いなくアシュリーだった。しかし、だとしたらなおさら解せない。何故彼女は俺の前から──?


頭の片隅に湧きあがる一つの可能性と疑念を無理やり打ち消したネメシアが天を仰ぐ。ばかばかしい……。と、そこへ──


「ええと……おじ、さん……?」


細い通りを歩いてきた人間の子どもが、恐る恐るネメシアへ話しかけてきた。おじさん呼ばわりは気に食わないが、ネメシアはできるだけ子どもを怖がらせないように無理やり笑顔を浮かべる。


「おう、どうした坊ちゃん?」


「えと、おじさんはネメシアさん?」


「そ、そうだが……?」


「ああ、よかった。あのね。さっき、そこでエルフのお姉ちゃんから手紙を預かって。この道の先にネメシアという名前のドワーフがいるからこれを渡してって」


ネメシアを見上げながら、そっと手紙を渡そうとする少年。目を見開いたネメシアが、その小さな手からひったくるようにして手紙を奪った。


二つに折られた紙を開き中を覗く。そこには、ネメシアへ向けたわずか一行の伝言が記されていた。



──その日の夜。


頰を撫でる風に心地よさを感じつつも、ネメシアは釈然としない感情を抱いたまま夜空を見上げていた。こんなふうに、ゆっくりと夜空を眺めるなんてどれくらいぶりだろうか。


木製のベンチに腰を下ろしたまま星を数え始める。漆黒のキャンバスにはいくつもの宝石が散りばめられ輝いていた。視界の端には月も映り込んでいる。ああ、今日は三日月か。と、そこへ──


向かって右側から誰かが近づいてくる気配を感じ、ネメシアは静かにベンチから腰を浮かせた。暗闇のなかから現れたのは、紛れもなくかつての学友、アシュリー・クライスだった。


「アシュリー……だよな?」


「……ええ。元気そうね、ネメシア」


月明かりのもと再会を果たしたアシュリーとネメシア。木々の葉がざわめく音を聞きながら、わずかな時間二人は視線を交わす。


「『夜二十刻。あのときのあの場所で』。あれだけでよくここだと分かったわね」


「お前さんと俺、双方が分かる場所といやここしか思いつかなかったさ。卒業式のあと二人で訪れたこの湖以外はな。それに、ここはお前を見た最後の場所だ」


「…………」


ネメシアとしてはちょっとした皮肉のつもりだったが、何となくアシュリーの顔が曇ったように見えた。と言っても、月明かりの下なのでそもそも表情はよく分からないのだが。


「……なあ、アシュリー。どうして三年も戻ってこなかったんだ? お前はたしかにあのとき、村へ報告に帰ったらまたすぐアストランティアへ戻ると言った。それなのに、何故?」


「……話せば長くなるわ」


「……それに、昼間のことだ。あんなところでいったい何をしていたんだ?」


心臓の鼓動が速まる。だが、それでもネメシアは聞かざるを得なかった。彼はアシュリーの旧友であると同時に、街の治安を守る治安維持機関サイサリスの長官でもあるのだ。


アシュリーが小さく息を吐く。


「……あなたなら、もう答えは出ているんじゃないの?」


「俺はお前の口から聞きたいんだ!」


思わずネメシアの声が荒くなる。それなりに長いつきあいだが、アシュリーに対し声を荒げるようなことは初めてである。一方、月に照らされるアシュリーの顔色はまったく変化がないように見えた。


「まあ、いいわ。どうせあなたには話すつもりだったし」


口調は学生時代と変わらないが、その声色はかすかに低く冷たく感じた。ネメシアの心臓が再び跳ね始める。


「私があそこにいた理由。それは、博物館がきちんと爆破できたかどうかたしかめるためよ」


ネメシアは、全身から一気に熱が引いていくような感覚に陥った。世界が揺れる。立ったまま眩暈を起こしているのだと気づくのにしばらくかかった。


何となく予想はしていたものの、本人の口から直接聞かされると衝撃と重みが違う。正直、ネメシアにはまったく意味が分からなかった。先ほどアシュリーが口にしたことが真実だとすれば、それはすなわち彼女がテロリストであることを意味する。


「……ア……アシュリー……お前、自分が何を言っているのか分かっているのか……?」


ワナワナと全身を震わせながらアシュリーを睨みつける。


「ええ……。言っておくけど、私はいたって正気よ。ああ、それともう一つあなたに伝えておくことがあるわ」


「……何だ?」


アシュリーがスッと息を吸いこむ。そして、その口からとんでもない言葉が吐かれた。


「私がここへ戻ってきた目的。それは、天帝サイネリア・ルル・バジリスタを殺すためよ」

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