溝蓋怪談

nanana

プロローグ: ある、冷えた春の夜にて


 

やぁ、こんばんは。

春も間近だと言うのに、相も変わらず夜は随分と冷え込むものだね。だというのに、こんな辺鄙な場所までよく来られたものだ。いやいや、本当に歓迎するよ。ほら、どうぞ掛けておくれ。

しかし全く、貴方も物好きな御仁だ。界隈にはもっと幾らでも高名な講談師方がいるというのに、わざわざこんな変わり種を選び取るとは。全く、本当にお目が高い。

いえいえ、皮肉だなんてとんでも無い。どちらかと言えば共感…目線が高く聞こえてしまうかもしれないけれど、実の所、貴方の気持ちが私にはよぉくわかるんですよ。

えぇ、それはもうわかりますとも。

おしなべて耳障りの良い美談に綺譚。或いはこれまた単純な、驚かせるばかりに傾いた娯楽話。貴方が求めているのは、そうした話じゃあない。貴方が望んでいるのはもっと陰湿で、醜悪で、不気味で、おどろおどろしく、不可解で、陰惨な、正体不明。貴方が求めているのは、そういうお話でしょう。…だから、お目が高いと申し上げたんですよ。


貴方の望む奇怪が、畏憚が。まるで信じるにも足らない不快な法螺話が吹き溜まる。此処はそう言う場所なんだよ。


さてな、勿体ぶってもしょうがない。遠方遥々御来訪頂いたのだから、土産話の一つ二つはお持ち帰りいただかねばね。


溝蓋、と言う呼び名に聞き馴染みはあるかな。

道端の側溝なんかでは良く見かけるだろう、排水溝に被さっている格子状の鉄の蓋さ。排水溝の底に異物やらなにやらが滑落せぬ様設けられているものだがね。では、そこに何ものも墜落せぬと、果たして一体誰が言い切れると思う?泥濘の澱み。おりの吹き溜まりの只中に、例えば。こちらを手招く何人かが、決して無いと。有り得ないと断ずる根拠の提示が、果たして一体何者に出来るのか。



それでは、小咄こばなしを一つ。

汚泥の水底から覗き見返す、同じく澱んだまなこの怪異。誰も救われず、何者も報われない。


銘打って、【溝蓋怪談】。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る