第30話 オーディション結果

 怒涛のオーディションから一週間。俺は面倒くさがる浩之の春休みの宿題を見てやりながらストリートライブとバイトとを繰り返していた。


 加藤店長に給料のことを相談したら親身になって乗ってくれて、来月から200円増えることになった。本当に加藤店長には頭が上がらない。


 あれから変な雰囲気になることはなく、冗談を言ってふざける浩之を笑って、何にも怯えることなく過ごしていた。


 あの人たちの連絡先は高校卒業まで一応残しておくけれど、もう連絡することもないだろう。今はただ、この幸せを享受きょうじゅしていたい。


 その日は休みで、いつの間にか浩之が家から持ってきていたゲームで二人で遊んでいると、俺のスマホが鳴る。


「なんだよ、いいとこだってのに……。浩之、今回は引き分けな」


「おっけー」


 浩之はコントローラーのスティックをぐりぐりしながらカウントが減っていくのを眺めている。それを確認した俺はスマホの画面を見て心臓が一瞬止まる思いだった。


 時田さんからだった。不合格の報告? それとも……。とにかく、出て見ないことには始まらないので通話に出る。


「はい、藤原です」


『時田です。いつもお世話になっております。今お時間ありますか?』


 バイトまでまだまだ時間もあるし、浩之も時田さんのことは知ってるから説明しなくてもいい。俺は話を続けることにした。


「ありますけど……」


『ああ、よかった。藤原さん、おめでとうございます。オーディションは合格だそうです!』


「合格ですか!?」


 その言葉に浩之も反応する。体を傾けて会話を盗み聞きしようとするのを片手で押し返して遠ざけつつ話を続ける。


『はい。アクシデントがあったようですが、逆にそれが印象に残ったようで。正式に、アークスティック芸能事務所にボーカリストとして世に出てもらうよう契約を結んでもらえませんか? もちろんデビューはすぐにではなくしばらくのレッスンを踏んでからになりますが』


「ありがとうございます。もちろんお受けします」


『よかった! マネージャーは営業と兼任の私がさせていただくことになります。レッスンの詳しい日付や、学校さん、親御さんへの説明は後日行わせていただきます』


「ああ……。うち、いろいろあって親いなくなったんで……。あと俺、自分で作詞作曲してるんですけど、それ聞いてもらえたりするんですかね?」


 ちょっと言いにくくてぼそぼそと言ったのだが、時田さんはきっちり聞き取ってはきはきした声で喋る。


『シンガーソングライター希望ですか。うちの部署にかけあって、歌を聞いてみて判断させていただきます。……親御さんの件、お聞きしても?」


「はい。なんていうか……こっちからっていうのもあるんですけどネグレクトがあって。それが原因でうちを出ることになったんですよね。戸籍上はまだ親子ですけど、高校卒業したら抜く予定です」


『そうですか……。もしかしてですけど、あのライブの日にいた少年は彼氏ですか?』


「ぶっ」


 俺は盛大に吹き出す。


 いや、一回キスはした。一瞬触れるだけの小学生がするようなキスだったが、キスはキスだ。あのときは俺も変になっていたし、浩之は俺に好意を向けているからこそ成立したものだ。


 でも見た目は女の子で男がボディーガードみたいな役割をしていたら誰だってそう思うだろう。でも、あの件があって意識し始めているのは事実だった。


 前までは裸さえ見られなければいいと思っていたくらいだったが、頭を撫でられるとなんだかどきどきするし、浩之の風呂上がりの姿にどきっとしたりすることも増えた。


 寝る前の筋トレの腹筋で足を押さえているときも、その体の硬さにどきっとするときがあったりして。あれから、俺の意識は確かに浩之のほうを向いていた。


 これが恋なのかはまだわからない。だがファングループの間ではカップル扱いされることも増えたし、そういうことなのだろうか。


『藤原さん?』


「あっ、いや! あいつは同居もしてるくらいですけど、その、なんて言ったらいいんだろう……」


『……アイドル路線で売り出すわけではないので彼氏がいても構いません。ただ、あまり目立つ行動は慎むようにしてください。週刊誌がどんなふうに書くかわかりませんので。テレビ出演のときも、出演者には説明しますが親御さんの話はNGでお願いします』


「わ、わかりました」


 今まで以上に冷静になった時田さんの声に俺は身を引き締める。


 そうだ、合格したのだからこれから俺は芸能人の卵。あんまりなことはもうできないというわけだ。この歳で親に捨てられるなんてと嘆いたことはあったが、逆にあのタイミングでよかったのかもしれない。


 浩之とは、いつも通り接するつもりだ。恋人、とはまだ言えないし俺も意識し始めでまだなんとも言えないが、この感情を嫌だとは思っていない。


 俺が返事をすると、時田さんは穏やかな口調に戻って話し始める。


『冷たいことを言いましたが、気を付けてくださればあとはこちらの担当部署が処理するので大丈夫です。藤原さんは、今はオーディションに合格した喜びをかみしめてもらえれば』


「はい、ありがとうございます!」


『現状のお話は以上です。あとはこちらで藤原さんが所属するための事務処理がありますので、また後日連絡します。そのとき一度、昼間にわが社に事情の説明と曲を聞かせていただくために来てもらうことになりますが、大丈夫ですか?」


「わかりました。昼間は暇してることが多いので、大丈夫です」


『かしこまりました。では、今回は以上です。気を楽にして、私が言ったことを気をつけてくれれば何の問題もありませんので。それでは、失礼します』


 2秒ほど置いて電話が切られる。俺はスマホを握りながら、両手を上に上げる。


「よっしゃー!」


「その反応ってことは……。合格したんだね! おめでとう!」


「うおっ、抱き着くな抱き着くな。落ち着け」


「瑛太がキレない……だと……」


「今の俺は気分がいいからな。今ならハグはむしろ大歓迎さ」


 にやにやしながら俺はオーディション合格の感動に浸っていた。俺に抱き着いた浩之は黙っていたかと思うと、一旦腕を離して俺の体を向かい合う形にさせる。


「瑛太、本当におめでとう。瑛太なら絶対できるって信じてたし、アクシデントがあったみたいだけど、実力見せてきたんだろ? おれとしては彼氏ですって胸張って言いたいけど……今ここで、言ってもいい?」


「何を?」


「瑛太、好きです。おれと、付き合ってください」


 俺はその言葉に目を丸くしてから、前と違って胸が高まるのを感じた。


 前は本当に親友としか思ってなかったし、恋愛とか無理だと思っていたけれど。今は、付き合ってください、の言葉が心地いい。


 今までさんざん見ないふりをしてきた感情だけれど、ここまでしてくれる浩之に対して不誠実なのはなんだか嫌だ。それに俺の心が、嬉しいと、一緒にいたいと叫んでいる。浩之といると、安心するのだ。


 それは、元男として男と付き合うのに抵抗がないのかと言われればそれはある。でも俺は、今はもう女の子だ。


 それに、それ以上に改めて告白されて浩之のことが好きになっていたことに気付く。俺の心の氷を溶かして包みこんでくれた浩之に好意を抱くのは、なんらおかしいことじゃない。


 だから、俺のほうから浩之に初めて抱き着いて恥ずかしいから胸板に頭を押しつけて言う。


「こっちこそ、お願いします」


「え……ガチで?」


「ガチで」


「ドッキリじゃないよね?」


「どうしてドッキリでこんなこと言わなきゃいけないんだ。……好きだよ、浩之。改めて告白されてわかった。俺、お前のこと、好きになってたみたいだ」


 自分で言って顔が真っ赤になる。そういう意味で好きだなんて言ったのは初めてだから。


 体をやんわりと持ち上げられる。視線と視線が合って、ああ、と俺は合点がいって目を閉じる。ふ、と唇が触れてくる。そして何度か角度を変えてされてから、浩之は離れていった。


 目を開けると、同じく顔を真っ赤にした浩之がいて。俺もますます顔が赤くなってしまう。恋人って、こんな感じなのか。


「これからもっと、浩之のこと教えてくれ。もう一緒に住んでまでいるけど、俺って浩之のこと知らなさすぎるから」


「おれも、瑛太のこともっと教えてほしい。何が好きとか、何が嫌いとか、いいことも悪いことも含めて、全部」


「わかった。……まだ好きになりたてだからその、あんまり恥ずかしいことはできないけど。ちょっとずつ、キスとかは慣れていければいいなって思ってる」


 自分で言って、自分で恥ずかしくなる。キスに慣れてどうするんだ。これから公衆の面前では親友、この部屋の中でだけ恋人になる。そういう生活もありじゃないかと、俺は思う。


「……はは。あのおみくじ本当に当たるなんて思ってなかった」


「おみくじ?」


「うん。あのときからもう瑛太のことは好きだったんだ。だから恋愛運見てたら『成就する』って書いてあって。おみくじもたまには当たるんだななあって」


「すべては神様のお導き、ってか?」


「ああ、ごめん。でも神様に導かれたんなら、運命ってことじゃないかな?」


 そうへにゃ、と浩之は笑う。


 運命か。子供は母親を選んで産まれてくるという。それが、浩之と出会うためだったというのなら。少し、神様ってものに感謝してもいいかもしれない。


 再び、浩之の顔が近づいてくる。俺は目を閉じて、それを受け入れた。

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