第24話 チョコのお返しと母さんへの本心

 期末テストが終わって、いよいよホワイトデー当日を迎えた。チョコをたくさんもらっていた浩之は小さなぬいぐるみをみんなに配っていた。


 それに心をもやもやとさせつつ横目に見ながら、俺は浩之が得意だというクレーンゲームの景品のことで頭がいっぱいだった。


 何を取ってもらおう。プラモデルでもいいし、食べ物でもいいし、フィギュアでもいい。欲望は膨らむばかりだ。


 他人の奢りで手に入れるものはだいたい嬉しい。俺たちは人通りが多い繁華街に行き、賃貸ビルの三階にあるゲーセンに入った。


「うおっ、うるせえ!」


 中に入るなりクレーンゲームやら格ゲーやらオンライン対戦カードゲームやらの音で中はかなりの騒音だった。あまりにもうるさいので思わず耳をふさぐと、肩をとんとんと叩かれて、手を繋いでクレーンゲームのほうに連れていかれる。


 そこにあったのはわりと新しいクレーンゲームで、景品は、小さいものから大きいものまでそろったかわいいぬいぐるみ。俺はそれを見てから軽く浩之を腹パンする。


「いてっ」


「なんでこんなファンシーでキュートなぬいぐるみなんだよ! お前が俺を女の子扱いしてるのは知ってるけど、もっとこう、なんかあっただろうが!」


「おれ瑛太んちに入ったことないから何が飾ってあるとかわからないから無難にぬいぐるみにしたんだけど……。だめ?」


「うっ」


 確かにそうだ。それを言われてしまうと何も言い返せない。


 俺は春になったこの時期になっても浩之を家にあげたことがない。それは母さんへの配慮であるし、同時に浩之を母さんから守るためでもあった。


 そういうわけで、俺は甘んじてプラモデルや食べ物系ではなく、ぬいぐるみで甘んじるしかないというわけである。


「くっ……。俺が男だったら」


「なんか言った?」


「いーや、なんでもないでございますよ。さ、お引きになって」


「なんか思考がバグって変な口調になってるけど、大丈夫?」


 誰のせいで、と思わなくはないが、ほほほ、と思考がバグったままのふりをして浩之をクレーンゲームの前に押し出す。


 浩之は俺の様子が心配なようだったが、腕まくりをして気合を入れ始めた。そしてスクールバッグから財布を取り出すと、まず一枚目の100円を投入する。


 クレーンマシーンが、軽快な音楽を流しながらウィーンと動いていく。そして浩之は小さなストラップ式のぬいぐるみに目を付けたらしい。


 クレーンマシーンをうまく操作して紐にひっかけようとするが、失敗して出口からは何も出てこなかった。


「クレーンゲーム得意なんじゃなかったのかー?」


「むむ……。今のでコツ掴んだから、次は取るよ」


 お、強く出たな。さすが得意と豪語するだけある。


 浩之はもう一度100円を入れると、繊細な操作で紐にクレーンマシーンの先端を見事ひっかけることに成功した。


 クレーンマシーンはかわいらしいうさぎのストラップを出口に持っていき、排出する。


「おおー……。マジで二回で取れるもんなのか……」


「ちょっとコツがいるけどね。これは秘密だけど、今回のお返しも全部クレーンゲームで取ったくらいだし」


「……お前のせいでゲーセンの利益が損なわれたと思うと哀れで仕方ないよ」


 だから、さっきから背後で店員さんが浩之をじっと見つめていたわけだ。俺はなんとも思わなかったが、事の顛末を聞くと納得である。


「じゃ、これあげる。それとも、もうちょっと大きいぬいぐるみがいい?」


「いや、あんまり大きいの持って帰ると母さんに睨まれるから、これでいい。ありがとう」


 そう言って俺はストラップを受け取った。目がくりくりとしていて柔らかいうさぎの小さなぬいぐるみがついたストラップ。


 こんな女の子してるのをもらうのは気恥ずかしいが、俺に好意を持っている浩之からもらったのだと思うと、そこまでまんざらでもない。


「ありがとう。大事にするよ」


「うん」


 俺はどこに着けるか考えあぐねて、スクールバッグの紐部分にくくりつけた。うさぎのぬいぐるみの首元についているとても小さな鈴がちりん、と音をたてた。


「うん、いい感じ。これなら母さんにも言い訳がしやすい」


「……本当に大変なんだな」


「ん? まあな。だけどこれは俺のせいだから。罰を受けてる最中なんだよ」


「それずっと思ってたけどさ。メジャーデビューがだめになったり、レッスン料請求されたりしたとしてもそれは瑛太のせいじゃないよ。100歩譲って瑛太のせいだとしても、八つ当たりしていい理由にはならないよ!」


 浩之が振り返って俺の顔をまっすぐ見る。店員さんは浩之と目が合うなりカウンターのほうに去っていった。本当にすみません、うちの浩之が。


 浩之の言いたいことはわかる。これが前の俺だったら激昂して言い返していただろう。でも親友にになっていろいろしてくれてる浩之の言葉なら受け入れられる。


 俺だって、俺のせいだと思いたくない。でもここに来るまでに冷遇され、厳しくされ、今まであって当然だった愛情を奪われてもなお、俺のせいじゃないと言い張るのは母さんの前では無理があった。


「俺だって、俺のせいじゃないって思いたいよ。でも……」


「お母さんが怒るからいいなりになるっていうのか? それは違う。全部話を聞いた俺から言わせると、お母さんは瑛太に甘えてるんだよ。弱いものいじめしてるのと同然だ」


 ぎり、と浩之が拳を握りしめる。浩之が何を考えてるのか、こうして付き合っていればわかる。


 浩之は母さんを殴れるなら殴りたいのだ。それで目を覚まさせたいと思っている。それで母さんの目が覚めるのかはわからない。しかし激昂させるだろうなというのは容易に想像できた。


 母さんは悲劇のヒロインになってしまっている。その位置が心地よくて、出るに出られないのだ。俺はそれを察していたから、今まで逆らわないでやってきた。


「……浩之の気持ちは嬉しいよ。でも、しょうがないことなんだ。俺が女なんかになったから……」


「しょうがなくなんてない!」


 強く両肩を掴まれる。今にも泣きそうな浩之の顔が目の前にあって、どうして、と俺は思う。


 俺の涙は枯れ果てた。だけど、別の誰かの涙は枯れ果ててはいない。俺のために涙を流そうとしている人がいることを、俺は忘れかけていた。


「浩之……」


「何度だって言うよ。瑛太は悪くない。それでもお母さんが瑛太が悪いって言うなら……おれは、直談判しに行く」


「……なんでそこまでしようとするんだ?」


「好きな子が泣きそうな顔してたら、当然だろ!」


 そこで俺はやっと、顔がくしゃくしゃになっているのに気付いた。一粒、涙がコンクリートの床に落ちる。


「……苦しいよ」


「うん」


「母さんがなんで俺をいじめて、苦しませて、行動を制限するようなことをし始めたのか、わからないんだ」


「……うん」


「俺は、これ以上母さんを嫌いになりたくない。でもそれと同じくらい、母さんに嫌われたくない」


 こぼれた本音は、地面に落ちず浩之が拾い上げてくれる。優しく、壊さないように繊細に、抱きかかえて。


「……やっぱり俺、恨まれてるとしても瑛太のお母さんのところに今日行くよ」


「……っ! 危ないよ! 今の母さんは、浩之に何をするか……!」


「そういう危ない橋は何度も渡ってきた。大丈夫。……おれを信じて」


 おれを信じてなんて、よく言えるよ。頼もしすぎて、信じてしまいたくなっちゃうじゃないか。


「俺、母さんと仲直りしたい」


「うん」


「昔に戻りたい、だから。手伝って」


「瑛太が言うなら、おれはなんだってするよ」


 ああ。浩之の言葉の一つ一つが、俺の心の氷を溶かしていく。だから俺は、浩之を信じられる。二人一緒なら、大丈夫だって思えるんだ。


「浩之、お願いだ。……俺を、助けて」


「もちろんだよ。俺の大切な人」


 ようやく言えた言葉は、浩之の腕の中にすっぽりと収まった。俺の気持ちと思いと希望を託して、俺たちはゲーセンを出て俺の家に向かった。


 一年足らずだけれど、根深く俺の心を蝕む毒を取り除きにいくために。

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