第23話 まんざらでもない

 その日の帰り道、当然のごとく浩之はしょんぼりしていた。まあ、フられたのだから当然なのだが。


「元気出せって。今日のまかないはタダだぞ?」


「今そういうので釣られる気分じゃない……」


 こいつ、元ヤンのくせに子供じみた真似を。いや、今浩之も俺と同じように猫をかぶっている状態なのか? それはそれで、ちょっと悲しいような気がしないでもない。


 とぼとぼと俺の歩幅に合わせて歩いてくれる浩之の、ブレザーの下に着たカーディガンの燃え袖から出ている指を見る。


 日々バイトに俺のライブの手伝いにと働いているからか、触れるときはいつもごつごつして硬い。でも、心がとろけるくらいに暖かいんだ。


 そんなことを考えながら歩いていて、ふと、コンビニの前を通ったときにホワイトデーフェアなるものがやっていた。そういえばそろそろだったか。


「浩之さ」


「んー?」


「俺のチョコクッキーのお返しとか考えなくてもいいからな。普段のお礼だし、いろいろやってくれたお礼だから」


 俺がそう言うと、浩之は目を丸くした。なんだよ、そんな意外なこと言ったか。


「お返し、一応考えてたんだけど」


「なにを?」


「帰り道の途中にゲーセンあるだろ? クレーンゲーム結構得意だからさ。その景品をお礼にしようと思って。他の女の子たちにもお返ししなきゃならないから、この話は内緒な!」


 しーっと人差し指を口に当てて言う浩之がなんだかおかしくて、俺は笑ってしまう。


「なにそれ。俺だけ特別扱いする感じ?」


「当たり前じゃん。おれ、瑛太のこと好きだし」


「それは知ってるけど」


「瑛太」


 真剣な声が俺を呼ぶから、浩之のほうを見つめて後悔する。


 浩之は真剣な目をして、俺を見ていた。俺は心臓が跳ねて、一瞬苦しくなる。そうだ、この真剣な目に何度も救われて、何度も悲しみも喜びも分かち合った。


 ふと、手を繋がれる。乱暴な感じは一切なく、俺も嫌悪感などはない。暖かくなってきた季節にほんのり冷えた手がお互いの体温で温まっていく。



「おれ、やっぱりフられても瑛太のことが女の子として好きだ」


「……なんで?」


「純粋に可愛いし……。最初は警戒してたけど、そうじゃないときは素直ないい子だし。周りのことも考えられる子だと、おれは思ったから」


 俺の顔が急速に熱くなる。そんなふうに褒められたのは、昔以来だ。その褒めてきた子供たちと付き合うっていう感情はなかったので今まで何事もなかったが、浩之は真剣に俺と付き合いたいと思っているらしい。


 その気持ちはありがたい。だが、俺の気持ちの整理のほうがついていなかった。


 浩之が俺に友情としての好意を抱いていることは知っていたし、俺もそうだ。だが恋愛的な意味になってくると、俺はわからなくなる。子の胸にある感情が恋なのか、それとも恋じゃないのか。


 浩之にかわいいと言われ続けて変わったこともあるけれど、それは恋愛的に好かれたいと思ったわけではない。だからといって浩之の気持ちを拒否できるほど、もう警戒もしていなかった。


(俺は……)


 俺は、どうしたいんだろう。浩之には嫌われたくない、だからといって浩之の気持ちを無視することはできない。もうここまできて友達でいたいからなんて、最低の言葉は吐きたくなかった。


 俺が考えている間、浩之は急かすこともせずただじっと俺の返事を待っていてくれた。


 浩之だって気持ちがはやっているだろうに、そうやって俺のことを尊重してくれる。そういうところが素敵だと思うし、俺には真似できないと尊敬もした。


 浩之がしてくれることすべてが俺のためなのはわかる。だから、中途半端な結論を出して浩之を失望させたくない。だが、今付き合うのは無理だという結論は出ているのだ。だったら。


「あのさ」


「ん?」


 浩之が穏やかな顔で聞いてくる。その優しさが悲しくて、苦しくて、俺は少し涙をこらえながら言った。


「ごめん、今は付き合えない。でも、俺の中にあるこの気持ちを確かめたいんだ」


「うん」


「最低かもしれない。つか、俺って最低だと今思ってる。でも、もうちょっと待ってほしい。俺のこの気持ちが、何なのかわかるまで……わぷ」


「いつまでも待ってるよ。答えが出たら、教えてほしい」


 ああ。浩之はどこまでいっても優しい。


 抱きしめる力も、俺が拒否しない程度に包みこむ感じなのも、まだ付き合ったりしてないとはっきり言われたからだろう。でも俺が涙を少しこぼしたから、落ち着かせるためにそういうふうにしてくれたに違いない。


 人が怖かったのに。嫌で嫌で仕方なかったのに。浩之にされることは、そんなに嫌じゃない。


「じゃあ、これからも友達のままで。でも、おれからお願いがあるんだ」


「なに?」


「手を繋がせてほしい。手を繋いでないと、瑛太、どこに行っちゃうかわからないから」


「……っぷ。なんだそれ」


 言っておくが、俺はそこまで儚い人間ではない。でも、浩之が言うなら俺はそうなんだろう。


 確かに母さんが我慢の限界を迎えたら家を出て働かなくてはいけないし、そういう意味ではどこかに行ってしまうのだが。それは、もう少し先の話だ。


「浩之」


「なんだい、瑛太くん」


「俺が本当にどっか行っちゃうとしたら、どうする?」


「そうなったら……。意地でも探し出して、おれのお嫁さんにする」


「お前な……。そういう恥ずかしいこと言うから……!」


 好きになりそうになっちゃうだろ、という言葉はしまっておいた。恥ずかしかったし、何よりなんか俺まで恥ずかしいことを言いそうになるのを止めたかったのもある。


「恥ずかしいこと言うから?」


「だから……その……。チョコもらいすぎるんだよ」


「うん?」


「いいから! 早く離す! 誰が見てるかわからないんだからな!」


 学校からはもう遠く離れて人通りもほとんどないが、いつばったりうちの学校の生徒に鉢合わせるかわからない。それに抱きしめられているという状況が恥ずかしすぎて、そろそろ限界だった。


 浩之が名残惜しそうに離れてから、ふ、と俺は浩之の残り香を感じた。男なんだが、なんだかぽかぽか太陽のような匂いがする。


 浩之に抱きしめられると、かつて母さんに抱きしめられたような安心感があるのはなぜだろう。謎だ。


 浩之が完全に離れてから、指先を絡めるだけで手を繋いでくる。ぽかぽかと指先が温まっていくのがわかった。


「手を繋ぐのは……。二人きりなら」


「ほんと? やったー!」


「だけど、恋人繋ぎだけはだめだからな! そこんとこ、よく覚えておくように!」


「はーい」


 相変わらず嬉しそうにへにゃへにゃと笑う浩之を見ながら、まったく、と心の中で思う。そんなんだから、ほだされそうになってしまうんだ。


 もう少しでお互いの家に向かう分かれ道。その間俺たちは、手を繋いで笑いあっていた。春が、もう近い。

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