第15話 女の子の戦争の準備

 冬休みの宿題は早めに終わらせておいたので、すがすがしい気持ちで学校に向かうことができた。もちろん、浩之同伴で。


 母さんが浩之のことを認識し、最近は玄関先に出て俺たちが見えなくなるまで玄関の中でじっと俺たちを見ているが、俺はあえてそれを無視していた。


 家を万が一追い出されても、一時的に浩之の家に厄介になって、中卒でも雇ってくれるところを探して暮らす。最近はそういうふうに決めていた。


 母さんを捨てるという選択が俺の中に芽生えてしまったのは悲しいことだ。それでも、浩之といて気付いた。自分の身は自分で守らないと救われないということに。


 この計画のことは浩之にはまだ話していない。利用するようで悪いが、俺が万が一追い出されたときだけなので勘弁してほしい。


「今日から学校だねー。クラスのみんな元気してたかな」


「友達ほっぽっといて冬休みほとんど俺といたからな。多少の嫌味は覚悟したほうがいいぞ」


「はは、そうだね。でもおれが一緒にいたいなあって思った人と一緒にいるのは普通のことじゃん?」


「それは、そうだけどよ……」


 一緒にいたい。そんなこと言われたの初めてでどぎまぎしてしまう。相手が男で、浩之だから余計に。


 裏切りの傷はまだ残ってる。それでも今は浩之と一緒にいるのが楽しい。それでいいじゃないか。


 雑談をしながら学校に到着し、上履きにはき替えて久しぶりの教室に入る。


 学期末に業者がワックスをかけるからとみんなでした大掃除が昨日のことのように思い出せる。楽しかったな。


「あっ、瑛太ちゃん!」


「早川さん、おはよー」


「おはよー! ねね、山本君ほっぽっといてちょっとこっち来て!」


「えっ? ちょ、ちょっと!」


 手をやんわり掴んで女子が集まっている机のほうに引っ張っていかれる。後ろを振り向いて浩之を見ると、にっこり笑って手をひらひらとしていた。いってらっしゃいということらしい。


 女子の集まりは殺気立っていた。なんだなんだ。これからいじめでも始めるのか? それなら俺はお断りだ。


 委員長が俺が来るなり眼鏡をくいっと上げる。俺はごくりと唾を飲んで次の言葉を待った。


「藤原さんも来たね。作戦会議を始めるよ」


「ちょ、その前にこの集まりがなんなのか説明して……」


「静かに!」


 委員長が俺をびしっと指さしながら小さい声で言う。委員長に言われるとなんだか従わなきゃいけない気がして、俺は小さくなる。


「今年の戦争まであと一か月。みんな、わかってるわね」


「サー、イェッサー」


「……何が始まるの?」


 女子のノリに完全に置いていかれている俺はなにがなんだかわからない。そんな俺に、別の女子が耳打ちする。


「バレンタインの作戦会議だよ」


 バレンタイン。ああ、あのチョコ食えるイベントか。


 俺は元が自分で言うのもなんだがイケメンだったので、小さいころからそこそこモテた。


 だから最初は喜んでチョコをもらっていたのだが、その後告白を断らなければいけないという法則に気付いてからは誰からもチョコをもらってない。


 だから自分でコンビニかスーパーの板チョコを買って食べるだけの日、という認識になっている。


 だが、確かに女の子にとっては戦争だ。誰に義理チョコを渡し、誰に本命を渡すかで血みどろの戦いになるのは想像できる。


 だが、あいにく俺はバレンタインには疎い。誰かに渡すというのも考えていないので、女子たちがひそひそと話し始めたのをあくびを噛み殺して聞いていた。


「みんな、誰に渡すの」


「わ、私は先輩に」


「あたしも先輩に」


「うちは恋人いるから気楽だなあ」


 そんな言葉を聞き流しているうち、一人の女子の番になった。


「わたしは……浩之くんに」


「ぶっ!?」


 突然吹き出した俺に女子たちの視線が突き刺さる。


 あ、いや違うんです。あいつがモテるなんてかけらも思ってなかったからびっくりしただけんです、本当なんです。バカになんてしてません、神に誓って。


「まさか……。瑛太ちゃんも浩之くんに?」


 女子の目が鋭く光る。俺は慌てて小声で訂正する。


「いやいやいや! あいつは親友だけど、恋人なんてとてもじゃないけど無理。だから、俺はきみの恋を応援するよ」


 すると、女子は安心した顔をした。


「そっか、よかった。浩之くん、瑛太ちゃんが転校してきてからお昼休みは必ず一緒だったから……。もしかして、好きなのかなって思ってた」


「ないない。もしそうだったらとっくの昔に告白してるよ」


 告白まがいの親友宣言はされたけど。あれは恥ずかしかったぞ。


 そう心の中で呟きながら、次の女子の発言を待つ。


「え……。あたしも浩之くんなんだけど」


「私も……」


「お、おいおい待て待て。どうして浩之なんだ? あいつ、いっつもへにゃへにゃして優しいだけだろ?」


 そう言った瞬間、場の空気が凍る。あれ、俺なにかまずいことを言ったらしいんだがそれがなんだかわからない。


「知らないの……?」


「し、知らない」


「そっか、遠いところから来たんだもんね」


 憐憫れんびんの顔をそれぞれ浮かべる女子たちに俺は困惑した。あいつ、一体何したっていうんだ?


「浩之くん。中学までは有名なヤンキーだったんだよ」


「は……むぐっ」


 大声を出しそうになる俺の口を素早く早川さんが塞ぐ。こいつ、慣れてやがる……!


「身長は平均よりちょっと低いくらいだけどすっごく喧嘩強くて、でもいじめとかは嫌いでいじめっ子をしばいて回る私たちのヒーローだったの。でも、さすがに高校になってからは人を殴ると内申点に響くからってヤンキーやめたの」


「だからここらへんの女の子浩之くんのこと好きな子多いと思うよ。うちの高校もそうだし」


 さおり……。なんで教えてくれなかったんだ。浩之が元ヤンだと知っていたらあんな偉そうな態度とったりしないのに。


 今思えば女の子を家に泊め慣れてたりとか、ハグも抵抗なくできたりとか、泊まったときにあんな恥ずかしいセリフをすらすらと言えるのも元ヤンの影響なのか……?


 それよりもだ。


「みんな、浩之と付き合いたいのか?」


「それは……」


「正直付き合いたいけど、今の浩之くん何考えてるかわからないから告白しても無駄かなって思ってるあたしがいるんだよね。お返し用意するのも大変だろうしさ」


 なるほど。モテてはいるがみんなライバルだし浩之の財布の心配もしてるのか。なんていい子たちなんだ。できれば俺が付き合いたい。


「そういう藤原さんは浩之くんと付き合いたいから一緒にいるんじゃないの?」


「んなっ……! ん、んなことないよ。さっきも言ったけどあいつは親友だし。それ以上でもそれ以下でもないっていうか……」


 これは本心だ。まだ出会ったばかりというのもあるし、いろいろ恩はあるけどだからといって恋心に直結するものではない。


 ……待てよ?


「俺……。義理でだけど、浩之にチョコ渡そうかな」


「藤原さん、やっぱり……」


「ち、違うからな! 親友として、恩を返したいと思ってたんだ。それがちょうどバレンタインっていうチャンスがあるってだけ。本命で渡そうと思ってるみんなの邪魔はしないから安心して」


 それを聞いて、みんな安心した顔をする。いや、どんだけ好かれてるんだよあいつ。


 とりあえず、帰りに元ヤンの話を聞くとして。


(バレンタイン、かあ)


 女になってから初めて迎える女の子のためのイベントに、俺は内心ため息をついた。

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