第4話 藤原瑛太のすべて

『この化け物め! 地球人を舐めるなよ!』


『ほう……。その人間の力、見せてもらおう!』


 スクリーンで見る映画は迫力満点で、音響もしっかり作ってあって臨場感がすごい。さすがは世界で話題になっているアクション映画なだけある。


 浩之は特大のポップコーンを食べながら食い入るように映画を見ていた。俺から見てもこの映画は面白いが、そこまでか。


 最後に悪は討ち果たされ、地球に平和が戻ったところでエンドロールと主題歌が流れ始めた。途中で席を立つ人も多い中、浩之は大変ご満悦のようである。


「っかー! やっぱスペルバーグ監督の映画は最高だな! 瑛太、どうだった?」

「普通に面白かった」


「だよな! あとで感想呟いとこー」


 良質な映画を見て上機嫌の浩之がエンドロールが終わったところでようやく席を立った。俺も残っていたジュースを飲み干して入り口付近にあるゴミ箱にそれを入れる。


 二時間みっちり映画を見たからか、5時を過ぎた空は真っ暗になっていた。俺は繁華街から家が近いからいいが、浩之は帰るのが大変なんじゃないだろうか。


「お前、ここから歩きで帰るの?」


「ん? うん。ちょっと歩くけど7時までには帰れるよ。……心配してくれてるの?」


 によによと笑いながら顔を覗きこんでくる瑛太の顔面に手のひらを当てて押し戻す。


「誰が男が一人で帰るのを心配するか。用事終わったならさっさと帰れ」


「相変わらずの塩対応……。でも、おれは瑛太のこと信じてるからな! んじゃ、今日はこれで。めっちゃ楽しかった! また遊びに行こうな!」


「次があればな」


 俺が最後まで塩対応をするのに、浩之はまったく気にしていませんと言いたげにぶんぶんと手を振って喧騒に消えていく。


 対する俺は、ため息をついた。いつだって家に帰るのは憂鬱で、それでも帰る家はあそこしかない。


 俺は大通りを通って終わりを左に曲がると住宅街のほうに歩いていく。そして玄関を開けると、ただいまも何もなかった。


 いつものことだ。怒号が飛んでこないだけ、今日は比較的機嫌がいいらしい。


 料理の準備をする音がキッチンから聞こえてくるので、こっそり部屋に行こうとしたがぎし、と物音を立ててしまった。


 母親の鋭い視線がこちらに向く。それと同時に、俺は心臓がぎゅっと締まって苦しくなるのを感じた。


「瑛太。初日にしては帰ってくるのが遅かったわね。もうお友達ができたのかしら」


「……そんなわけないだろ。ちょっとクラスメイトに絡まれて手こずってただけ」


「それならいいけど。……はあ。あんたのメジャーデビューの話がなくなって、うちの家計は大打撃なのよ? それをわかってるの? 悠長にお友達なんて作って時間を浪費している場合じゃないでしょ?」


「……ごめん」


 俺はそれしか言えなかった。


 俺は、中3の、まだ男のとき今と同じようにストリートライブを行いながら自分で作詞作曲をして路上で歌っていた。見た目もそこそこよかったから、業界人から声がかかるのは早かった。


 持ち前のハスキーボイスを活かして売り出していこうと話がまとまり、ボイトレやレッスンを受けてめきめき実力が成長し、作詞作曲もしてもらえて、いざデビュー目前といったときだった。TS症候群に罹患りかんしたのは。


 男特有の勢いのあるハスキーボイスは失われ、女の声帯では出せる低音域に限界がある。もう、昔のようには歌えなかった。


 そうなればあとは簡単。事務所は契約を破棄し、今までのボイトレやマネジメントにかかった料金を請求してきた。まだ中3の俺に払える金額ではなく、今父さんが働き母さんがパートをしてなんとか家計を支えている。


 転校する前は俺もバイトをしていたが、メジャーデビューの話を知っていた同学年の生徒たちは嫉妬とTS症候群への偏見で俺をいじめ始めた。


 壮絶だった。言葉にしたくないくらい。


 あまりにもひどく、俺は不登校になり、バイトも欠席することが多くなってしまった。そこにちょうど校長先生からの鶴の一声があって、前の学校からは逃げることができた。


 だから、俺は父さんと母さんに逆らえない。機嫌を損ねるようなことはできないし、今はバイとはしなくていいと言われているが、いずれしなくちゃならない。


「ああ、顔を見るのも嫌だ。さっさと部屋に行ってなさい。食事はいつも通り部屋の前に置いておくから」


「……うん」


 家庭崩壊していると言っても過言ではないこんな状況。これもすべては、俺がTS症候群なんていう変な病気にかかってしまったせいだ。だから俺は自分が女になってしまったことを恨んでいるし、そんな俺と容姿だけを見て友達に、あまつさえ恋人になろうとする人間は大嫌いだった。


 二階にある俺の部屋に入り、ドアに背中を預ける。そしてそのままずりずりと座りこんでしまう。


「なんでこんなことになっちまったんだよ。なあ、神様。俺、そんなひどいことしたか?」


 その問いに答えるものは当然存在しない。


 俺は枯れた涙を流すこともなく、ただ呆然と天井を見上げていた。


 学校が浩之という存在がいたって、この状況をどうにかできるはずもない。だから俺は、一人で生きていくしかないんだ。


「……勉強、しないと」


 久しぶりに母さんと話して鉛のように重い体を引きずって机に座る。先ほどまで楽しかった気分と光景を打ち払い、宿題をやり始める。


 今、浩之はなにをしているんだろう。家族と暖かく談笑しながら飯でも食っているんだろうか。


 羨ましいという感情すらわいてこない。俺は俺で、他人は他人だから。自分を不幸と思うことすら許されない。俺は、幸せになってはいけないのだから。


 俺は飯が届くまで勉強をし、一番最後に風呂に入り、飯を食べて勉強をやり切ってからベッドと布団の間にパジャマ姿で滑りこむ。


 寝る前に浩之の顔が浮かんだ気がしたが、気疲れをして疲弊している体はあっという間に眠りに落ちていった。

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