転生した野菜は誰にも食べられずに静かに暮らしたい

法蓮草

ダイコン大地に転生する

 私は今、木のまな板の上に乗せられている、頭上には私と同じサイズほどの包丁がぎらりと銀色に光っていた。

 これから私はあの包丁で皮を剥がされ頭を切り落とされ食べやすいサイズにバラバラにされるのだろう、既にさっきまで隣にいた同種たちが巨大な銀色の皿に積まれているもはや何本分の死体かも分からない。

 だからといって私たちは人間を恨んでいるわけではない、私が今ここで死のうがこの地球に『大根』という種が存続できればそれでいいのである、それが私たち『野菜』の価値観だ。

 人間の手が私を掴み身体に包丁の刃を当てられたその時、眩い光が私を包み込んで私はそのまま気を失ってしまった。


 

 目を覚ますと私はまな板の上ではなく大きな原っぱの上で大の字になって寝転がっていた。

 

「なんだか収穫前の畑に植えられていた頃を思い出すな……」

 

 寝転がって見る空は雲一つない青空が広がっていて太陽の光を直接感じ取れて気持ちがいい、思えば空を見たのはいつぶりだろうか死ぬ事に後悔は無かったが最後に良い景色が見れて良かった。

 

「……待てよ何かおかしいぞ」

 

 私は生まれてから大の字で寝た事は無い、なぜなら大根は大の字では無いからだ、不思議に思い私は上半身を起こして自分の体を見下ろしてみる。

 

「な、なんだこの姿は!?」

 

 私の身体にあるはずのない手が生えている足も生えている……というか人間そのものの姿になっているではないか。

 両手を恐る恐る頭にやるとサラサラとした触感がある、髪の毛だ、後ろの方で1つに括られた長い髪の毛を前に引っ張ってみると確かに緑色の艶やかな髪の毛が私に生えていた。

 身体の方を確認すると私は一丁前に人間が着るであろう服を着ていた、真っ白な着物の下には丈の短い袴を履いていて袴からは色白で太い私のふとももが大胆に露出しており、今の私の姿の大根らしい部分といえばこの部分だけだろう。

 

「どうなってるんだ足が付いてる大根だなんて見たことないぞ……ましてや大根が立てるなんて」

 

 手を地面に付きながらよろよろと立ち上がる、足には焦げ茶色のブーツを履いているからか砂利を踏んでも足裏に痛みは感じない。

 ひょっとしてここが人間の言うところの天国なのだろうか、周りをぐるっと見渡してみるが人の気配は無い、遠くの方に霧がかかった山が見えるが一体ここはなんなんだ。

 私は周囲の探索のため少しずつ歩き始める、思えば自分の意思で動くなんて初めてのことだ、その事実が嬉しくなり私は歩くスピードを上げる、周りの景色が動くのが早くなるさっきよりも風を感じられる、今度はさらにスピードを上げるため私は地面を蹴って走った。

 

「おおおお!早い!早いぞ私!」

 

 風を突き抜けながら私は草原を走り抜ける、間違いなく今の私は世界最速の野菜だ、もう誰にも止められない。

 しばらく走り回って息が苦しくなってきたので私は足を止める、自由に動ける事がこんなに嬉しいなんて思わなかった。

 その時、グルルルルルと音が鳴った。

 

「そういえば人間はお腹が空くとこうやって教えてくれるんだったな」

 

 目を覚ましてから何も食べていないし運動して体力も減っている、おそらく今までみたいに水と太陽と土があるだけですくすく育つような身体ではないだろうし、何か食べる物を探さないと。

 もう一度グルルルルルと音が鳴る、今度はさっきよりも長めだった、そんなにお腹が空いているのか私は。

 ……いや違う、これはお腹の音なんかじゃない。

 後ろだ。後ろから音がする。

 私はすぐさま後ろに振り返ると1匹の獣が牙を剥き出し私の目を睨みつけていた。

 

「……犬、なのかあの動物は」

 

 だとしたら少々厄介だ、犬は私たち野菜にとって天敵だ、畑にいた頃も仲間たちが奴らに掘り起こされその場で食われる姿を何回も見てきた、もちろんそれは当たり前のことだから理不尽に感じる事は無かったけど……。

 

「だが今はまだここで死にたくない……」

 

 獣は視線を目に置いたまま私の周りをゆっくりと回り始める、襲うチャンスを待っているのだろうかナイフの様な白い牙から涎がポタリと落ちる。

 心臓の音がバクバク鳴る、それ以外の音は聞こえない、私はあの時の仲間たちの様にここで惨たらしく食われて死ぬのだろうか、それだけは嫌だ。

 不意をついて逃げる事も考えた、今の私にはその為の足もある、だが、直前まで走り込んでいたせいか足が思うように動かない、こういう時人間ならどういう行動をしたのだろう。

 その時、突然腰元にズシリとした存在を感じた、私は目線を逸らさず左手で触感を確かめる。


「これは、棒?木でできた棒?でも走っていた時はこんな重い物は無かったはず……」


 そうだ、人間はどうしても勝てない相手には武器を使う、私は縋る思いで突然現れた木の棒を腰元から引っ張る。


 チャキ


 聞き覚えのある金属が擦れる音がした、チラッと下に目を向けると木の棒の隙間は銀色に光り、そこには私の目が反射して写っていた。


「これは、包丁?」


 しまった。

 私は急いで視線を戻す、だが遅い、奴は既に駆け出していた、考えるより先に体が動く、左手に掴んだ棒の柄を引き抜く、一撃で仕留めようとする気だろう、奴は私の首を狙い飛び掛かり、私は遮る様に腰元にあったそれを奴に向けて振り払った。


 ズシァッ…………ドサッ


 腕に強い衝撃がかかり私の顔を何かが突き抜け、背後で土砂が崩れる様な音が鳴った、いつの間にか目を瞑っていた私は恐る恐る目を開ける。

 左手に握り締めた刃物が一気に重みが増すように感じた、咄嗟に引き抜いた刃物は包丁などではなく、刀身が足ほどもある人間で言うところの刀だった。


「何でこんなものが突然私の腰に出てきたんだろう、いやそんな事よりもあの犬は……あの犬はどこに!」


 私が周りを見渡すとさっきの犬が地面に横たわっているのが見えた、私は起き上がってこないか警戒しながら刀を前に構え音を立てず近寄る。

 だが、起き上がる事はなかった、それどころか奴の体は真っ二つに切り裂かれていて瞳からは生気を感じられない。


「もしかして……私がやったのかこの刀で」


 初めての経験だった、今までの私は食われるだけの存在だったしそれに対しても疑問を抱いた事も無かった、それは当たり前の事だしそれが野菜という存在の運命だから、それを受け入れていたつもりだった。

 だけど私は今日運命に抗った、この手で、この刀で運命を切り開いたんだ。

 刀を持つ手が震える、心臓の高鳴りはまだ醒めないままだ、私はもう食われるだけの存在じゃない。

 興奮、恐怖、悦び、様々な感情を抑えるように私は握りしめた刀を鞘に収めた。

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