第19話
一夜明けた土日、玲央は久しぶりに演技の練習もバンドの練習もなく寮の部屋でぼんやりと過ごした。莉子からライブハウスの手伝いに帰ると連絡がきていた。他のバンドメンバーからも心配の言葉やゆっくりしてほしい旨のメッセージが届いている。
──なんか、似てるな。
玲央は暇すぎて昔のことを思い出していた。いじめられていた玲央が仕返しをしたあと、周りの対応がそんな感じだった。遠巻きではれ物に触るような──心配するふりをして実際に関わろうとはしない。
『やっぱり! あそこは親があんな風だから』
当時いじめてきた子どもの親たちが言っていた台詞を慌てて打ち消した。結局、玲央は嫌なことを考えないために、出られるかもわからないライブ曲のギター練習をしていた。
──今は誰も親のことなんか知らないし、僕はなにもしてない。
両親から連絡はなかった。母から一度「離婚することになった」と電話があったきりだ。声が出なくなったと、あとから送ったメッセージにも返事はなかった。いつもそうだ。母は気が動転すると玲央に言うだけ言って、あとはぷつりと連絡を絶ってしまう。たぶん、今頃他の誰かを頼っているのだろう。
──結局、俺がなにをしても意味がない。
玲央がいくら母に寄り添ったところで、父の機嫌をとったところで、両親の離婚は止められなかった。父にとって玲央はたまに遊ぶおもちゃでしかないし、母にとっては精神的に寄りかかる支柱のひとつでしかない。
「………ぁー……ゲホッ」
ためしに声を出そうとしてみるが空咳が出るだけだった。今までどうやって出していたか思い出せない。かろうじてかすかな裏声が出るがとてもライブで曲を披露できる状態ではなかった。
それでも、玲央は落ち着いていた。失声症には前にもなったことがある。紅太郎が引っ越した直後のことだった。
──でも、まさか今なるなんて。
不思議なめぐりあわせを感じた。莉子の通う学校に紅太郎がいたことも、屋上で歌う玲央のもとに紅太郎が来たことも──そうして今、声が出なくなったことも。全ては玲央を紅太郎に引き合わせるためのように思えた。
──やっぱり、僕とこうちゃんは……。
声が出ないのに反して、指は滑らかに動いた。今ならどんな難しい曲だって楽に弾きこなせる気がする。紅太郎も楽器ができたらよかったのに。いや、今からでも遅くない。玲央がつきっきりで教えたら紅太郎はきっとすぐに上達するだろう。
──あんなやつと、一緒にいなくたって。
紅太郎と再会して最初に気になったのは烏丸星斗の存在だった。映画のことしか考えておらず、人望もなく、高圧的な星斗が紅太郎の隣に当たり前のような顔をしているのが許せなかった。
紅太郎は面倒見がいいから星斗のことを放っておけなかったのだろう。実際、玲央に演技指導する星斗は独りよがりで思い通りに動かない玲央を叱責し、練習を強要した。自分と同じ熱量を相手も持っていて当然というスタンスだった。
──あんなやつと一緒にいて、こうちゃんが楽しいわけない。
紅太郎は玲央の声が出なくなったことに罪の意識を感じている。玲央はあえて両親が離婚することを言わなかった。紅太郎が側にいてくれるなら、罪悪感でもなんでも利用するつもりだった。
金曜の夜、昔の約束を持ち出して迫ったとき、紅太郎は動揺していた。ここで強く押すのは裏目に出そうな気がして、玲央は一旦引くことにした。
──大丈夫、うまくやれる。
玲央の声が出なくなったことで準備会には亀裂が入っている。焦らなくても星斗は信頼を失い、紅太郎は玲央の手元に落ちてくるはずだった。玲央はわずかな不安を無心にギターに向き合うことで紛らわした。
ようやく土日が終わり、月曜の放課後に部室に行くと、中から言い争う声が聞こえてきた。
「……から帰ってください!」
何事かと部室のドアを開けると、驚いたことに中にいたのは烏丸星斗だった。莉子はおらず、バンドのメンバーが星斗を追い出そうともみ合っている。
「あ、玲央君……」
キーボード担当の生徒が先に玲央に気づいた。その声で星斗と言い合いをしていたベース担当の生徒も入り口に立っていた玲央を見る。
「玲央! 今日は来ないかと……大丈夫か?」
「雲出、話が……」
玲央は誰にともなく曖昧に首を振った。星斗が横から口を挟んで近づいてくる。そこへ男子生徒が割り込んで星斗の胸倉を掴んだ。
「黙れよ、どの口が言ってんだ」
「ちょっと、やめてよ! これ以上問題起こしたら……」
女子生徒の一言で男子生徒が我に返り、星斗の胸倉を離した。星斗は乱暴に突き放されて咳きこんでいる。
「俺たちはなにもしてないじゃねーか! こいつのせいで玲央の声が出なくなって、ライブにも出れなくなったんだ」
「でも! 莉子先輩がせっかく色々動いてるのにあたしたちが台無しにするわけにいかないでしょ」
女子生徒は涙声になっている。玲央は少し離れている間に部の雰囲気が険悪になっているのに驚いた。莉子はいないし、玲央は声が出ない。どうするか考えていると再び星斗が口を開いた。
「俺が悪かった。もう一度、第二軽音部のみんなに話をさせてほしい」
「だからどの口が……」
星斗を遮るように口を開いた男子生徒が途中で黙った。あの星斗が膝を折り、頭を下げていた。
──なにがあったんだ?
玲央は他をかえりみなかった星斗の変わりように困惑する。ひよりや紅太郎に説得されたとしても、決して謝りはしないタイプだと思っていた。なにかの作戦か、と疑ってかかる。どう反応するべきか迷っていると後ろから声がした。
「玲央、あんたが決めな」
玲央が振り返ると、いつの間にか廊下に莉子が立っていた。
***
準備会で話し合いの場がもたれた翌日土曜の夜、莉子は実家のライブハウス近くの公園に呼び出されていた。
「で、なんだって?」
「迷惑をかけたことをまず謝りたい。なんの相談もせずに独断で行動して、雲出に無理をさせた。軽音部にも……本当に悪かった」
星斗は真面目くさった顔で頭を下げた。
莉子は夕方にひよりから連絡をもらい、時間をつくれないかと言われた。ライブの手伝いのために実家に戻っていると伝えると直接出向くという。何事かと思ったら、星斗と紅太郎がやってきた。
「……今更、愁傷なことを言われてもね」
大音響のライブハウスから出て来ると、公園が静かに感じる。すぐ隣にあるコンビニの入店音に混じって、時おり秋の虫の声がしていた。動き回ってかいた汗が冷えて、肌寒かった。
「私はあんたが早々に変わるとは思えない」
莉子はきっぱりと断言した。何度も星斗に忠告するたびに無力感を味わった。なにかきっかけがあったのか、あるいは打算で動いているのか知らないが言葉ではなんとでも言える。
「ああ、わかってる。謝ったところで今までの行動が帳消しになるわけじゃない」
「ふん、じゃあなにしに来たわけ?」
莉子はカウンターからかっぱらってきたサイダーをあおった。身震いするほど冷たい。急に自分がばかみたいに思えて乾いた笑いが出た。
「俺はどうしても玲央と第二軽音部を主役にした映画が撮りたいんだ。だから……」
「あんた、まだそんなこと言ってんの?」
言葉だけでも改心したと思ったのが間違いだった。莉子が踵を返して帰ろうとした時、紅太郎の声がした。
「リコさん! ちょっとだけ待って!」
振り返ると、紅太郎は真剣な目で莉子を見つめている。思わず足を止めた。莉子は紅太郎の情報を無断で玲央に流していた負い目がある。
「だから……」
星斗はもう一度そう言ったまま目線を地面に落としている。しばらく待っていると顔を上げて莉子を見た。莉子は目を見開く。痛みをこらえるような、今までにない表情だった。
「俺は卒業制作の脚本を辞退する」
莉子は咄嗟に言葉が出なかった。街灯の光のなかに三人の影が伸びている。コンビニの扉が開いて、場違いに明るい音がした。
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