第15話

 修学旅行から帰ってきてしばらく経った週末、星斗は北海道で撮った映像を部屋で見返していた。卒業制作が決まって、脚本もできている。あとは準備を万全にして来年の撮影に備えるしかない。


 しかし、星斗は落ち着かなかった。やることがないので何か別の話の構成でも練ろうかとノートを開いたが、アイデアともいえない落書きが増えただけだった。ペンを放り投げたところにビデオカメラがあったのでパソコンに取り込んで再生した。


 映像には北海道の風景の他に、紅太郎が映っていた。星斗はどこか硬い表情の紅太郎を見ながら映画の演出を考える。ふとセリフが思い浮かんだ。脚本を開き、新しく付け加えてみる。悪くない気がする。どんな感じになるか実際に読んでもらおうと思い立つと、星斗は部屋を出た。


「どこ行くの?」

「隣」


 星斗の家では隣と言えば紅太郎の家だと通じる。いつものように居間でガラス容器を並べて苔の移植をしている南が出かけようとしていた星斗を引き止めた。


「じゃあ、これ持っていってよ。北海道土産のお礼」

「土産?」


 南から渡されたのは気取ったパッケージのカラフルな菓子だった。プレッツェルのような奇妙な形をしている。


「なんだこれ」

「グミ。こないだ気になるって言ってたから」


 紅太郎はいつもグミを数種類持ち歩いている。コンビニなどによると新商品をチェックしているようだった。星斗は渋いお茶もなしに甘いものを咀嚼する趣味はないので差し出されても断っていた。


「ていうか、紅太郎いつ来た?」


 紅太郎は修学旅行以降、全く家に来ていないと思っていた。通学はいつも通り一緒にしていたが、星斗は映画制作で頭がいっぱいで紅太郎と何を話したか記憶になかった。


「修学旅行のあとすぐだったかな。そのあとも何回か来てたけど……なんで?」


 南は怪訝そうな顔で星斗を見る。そういえば、南の手元にある苔の入った容器は修学旅行の時に立ち寄ったガラス工房で見た覚えがあった。


「いいでしょ? センスあるわ、紅太郎君」


 視線が向いているとみると、南は苔の講釈を垂れ始めようとしていた。星斗は無視して縁側から外履きをつっかけて家を出た。


 ──紅太郎のやつ、なんで部屋まで来ないんだよ!


 いつもなら家に来るついでに星斗の部屋を訪ねてくるのが常だった。一度ならまだしも何度もきていたとなると話は別だ。この時、星斗はようやく避けられていることに気づいた。

 隣家のチャイムを押すと、出て来たのは紅太郎の妹の菜々海ななみだった。まだ小学生のはずだが、しばらく会わないうちに背が伸びている。


「兄貴? あー……なんか今出かけてて」

「どこに?」


 菜々海の視線が泳いだ。星斗は直感で嘘をついていると気づいた。


「渡すものがあるから部屋入るな」

「え⁉ ちょっと待って!」


 星斗が靴を脱いで無理やり上がろうとすると、菜々海は腕を引っ張って引き止めようとする。その必死さにかえって確信が深まった。


「あたしが怒られるから! 待ってって!」

「やっぱいるんだな。なんで嘘つくんだよ!」


 不意をついて玄関は上がれたものの、その先へ進むのがなかなかだった。家人が誰も出てこないのをいいことに、二人は無言の格闘を続ける。星斗は菜々海を引きずるようにして紅太郎の部屋に上がる階段までたどり着いた。


「おい! 紅太郎、いるんだろ! なんで出てこないんだよ!」

「もー知らないからぁ。兄貴! あたしは一応止めたからね!」


 ついに菜々海が根負けして星斗の腕を離した。星斗は引っ張られてよれたシャツの襟もとをなおしながら階段を上って行く。部屋のドアを叩いても返事がないので、ドアノブを回した。予想に反して鍵はかかっていなかった。


「……紅太郎?」


 紅太郎は上着を羽織って出かけようとしている。星斗が部屋の入り口に立っているのに、こちらを見ようとしなかった。


「おい、なんで出てこない……」

「今から用事あるから」


 星斗はうつむいたまま横をすり抜けようとした紅太郎の腕を掴んだ。


「ちょっと待てって。なんで」

「離せよ」


 紅太郎を力で引き止めるのは無理がある。すぐに振り払われるかと覚悟したが、低い静かな声で言われただけだった。至近距離で見上げる紅太郎の顔には表情がなく、何を考えているのか全くわからない。

 星斗は思わず手を離した。


「別になんでもないから」


 それだけ言うと、紅太郎は階段を駆け下りていった。菜々海が何か言う声と、玄関を開けて出て行く音が続く。


「なんでもないわけあるか」


 星斗は主のいなくなった部屋の前でぽつりとつぶやいた。



 ***



 放課後の軽音部の部室で莉子は後輩たちと文化祭に向けて練習を続けていた。玲央は相変わらず星斗に演技指導を受けていてその場にいなかった。修学旅行から帰ってから、前にも増して連日呼び出しを受けている。

 

「雲出先輩大丈夫なんすかね~?」


 近寄ってきたのは練習熱心なベース担当の生徒だった。今のところ、莉子と玲央のバンドの音合わせには必ず入っているメンバーだ。


「ここんとこ、毎日演技指導のあとこっち帰って来て練習してるじゃないすか。俺らが帰ってもずっと残ってるっぽいし」

「ああ……」


 軽音部の練習日は特に決まっておらず、平日の放課後に予定が合えば参加するという緩いものだ。その代わり、参加した日は練習の最後に必ず録音して次までの修正箇所を洗い出すという作業を徹底していた。


 しかし、あまりにも玲央のスケジュールは過密だった。

 莉子が後輩の指導を主に担当し、オリジナル曲のミックスや修正は全て玲央が担当していた。文化祭までにCDに焼いて物販できるようにし、部活でスタジオを借りる費用に充てるつもりなのだ。

 それだけでも大変な労力なのに、毎日星斗の演技指導に付き合っている。玲央には何度となく声をかけたが、「大丈夫」と笑うだけだった。


「そうですよー。せめて文化祭まではあっち休ませてもらえないんですか? 部活ができたらこっち優先する約束だったのに……」


 いつの間にかキーボード担当の生徒も話に加わってきた。この生徒は玲央と同じクラスだった。このところ授業中に居眠りをしがちで教師に怒られることが度々あるという。


「そうだね……ちょっと準備会に行って話してくるよ。練習まかせていい?」


 莉子は部員にあとのことを任せて、準備会の建物に向かった。

 最近の星斗は前にも増してイライラしている。星斗の自分勝手さはともかく、周りも止める様子がなかった。以前までクラスによく来ていた紅太郎もしばらく顔を見ていない。


 ──危なっかしいけどいいチームだと思ったんだけどね……。


 せっかく卒業制作が決まったというのに、ここへきて準備会はバラバラだった。以前から兆候はあったが、合宿の時までは星斗の暴走をひよりと紅太郎がうまくフォローする形で収まっていた。


 ──玲央も何考えてんだかわかんないし。


 入学する前、玲央に紅太郎たちをよく目にした場所を教えたのは莉子だった。玲央に言われてから見るともなしに観察するようになり、渡り廊下に星斗やひよりといることが多いと知った。


 ──まさか入学式当日に会いにいくとは思わなかったけど……。


 玲央は屋上に忍び込んで歌っていたら紅太郎がやってきた、と言った。「きっとこうちゃんは来てくれると思った」とも。莉子は驚くとともに、違和感を持った。


 ──あんときに、ちゃんと話しておくべきだったかな。


 あまりに玲央が無邪気に再会を喜んでいたのでそれ以上聞けなかった。どうしてそこまで自然な再会にこだわるのかとか、屋上に忍び込むなんて一言も言わなかったじゃないか、とか。


 そんなことを考えているうちに学園の端まで来ていた。準備会の扉は少し開いたままになっている。近づくと、中から言い争っているような声が聞こえた。莉子はドアを静かに開けて耳を澄ました。


「そんな……どうして? これから映画制作が始まるのに、こんな急に」

「別に急じゃありません。前から考えてました」

「でも! 三人いっきになんて……考え直してもらえないの? なにか不満があるなら言ってもらえたら……」

「不満っていうか、ただ思ったのと違ったなぁって……とにかく私たち三人はもう決めちゃったんで。会長が受け取ってくれないなら直接先生に渡しに行きますけど」


 準備会の建物は楕円状の塔の形になっている。ドアを開けると、奥の方にいるひよりと後輩たちの会話がよく聞こえた。


 その後もしばらくひよりが引き止め、一年生が辞めようとしているやりとりが続いていた。しかし、最後にはひよりが退会届を受け取ったようだ。一年生三人はドアの前にいた莉子に気まずそうに一礼して去っていった。


 莉子が中へ入ると、ひよりは三枚の退会届を手にぼんやりその場に突っ立っている。


「……ひより?」

「莉子ちゃん……」


 莉子は意気消沈しているひよりになんと言葉をかけていいか悩んだ。視線に気づいたひよりは自嘲気味に笑った。


「ああ……もしかして見てた?」

「ごめん。盗み聞きするつもりじゃなかったんだけど……」

「いいよ」


 ひよりは深いため息をついて椅子に腰かけた。背後のホワイトボードには今後の予定や役割分担などが書いてある。いくつかの名前を消して言った。


「さっきの三人で八人目だよ、辞めるの。笑えるでしょ?」

「え?」


 莉子は聞き間違いかと思ったが、笑えると言ったひよりの顔はちっとも笑っていなかった。懸命に笑おうと無理をしているのがありありと分かる。歪んだ苦し気な表情だった。それにしても八人は多い。


「そんな一斉に? なんかあったの」


 莉子は当初の目的を忘れて尋ねた。弱々しく首を振るひよりに追い打ちをかけるような言葉はとても言えなかった。


「わからない……夏休み明けから忙しくなったのは確かだけど、わたしはちゃんと曜日を割り振って一年生は週三でいいようにしてたつもりだった」

「辞めるって言ってきた一年生はなんて?」

「みんな色々……さっきみたいに思ったのと違った、とか。別の活動が忙しくなったから、とか」


 ホワイトボードはところどころの名前が消えて、虫食い状態になっていた。第二軽音部に移った生徒が七名、辞めた生徒が八名となると合宿時の人数が半数に減ったことになる。


「その人数で映画制作を運営できる? うちらも手伝いたいけど文化祭が終わるまでは……」

「莉子ちゃんが会長だったらよかったのにね」


 莉子の言葉を遮って、唐突にひよりが言った。少しでも協力できないか聞くつもりだった莉子は口を開けたまま固まってしまう。


「わたしなんかじゃなくて、莉子ちゃんだったらこんなに辞めなかったかも」

「……なに言ってんの?」


 ひよりは顔を背けたまま莉子を見ようとしなかった。莉子は急に話が予想外の方向へ転がって困惑する。


「だって、第二軽音部は誰も辞めてないでしょ?」

「そりゃそうだけど……うちは最初から楽器に興味があるのが条件だったし、これからどうなるかわからないよ」


 部活紹介のライブが成功したために入部するハードルは自然と高くなっていた。合宿で見学に来ていた生徒も莉子と玲央が本気で取り組んでいると気づくと準備会に流れていった。そんな生徒が秋になって本格的に忙しくなると、辞めていくのは必然かもしれない。


「合宿の時だってひよりは一人でよくやってたよ。というか、私も悪かったね。最近、軽音部の方にばっか集中してたから……」


 莉子は準備会に協力してもらって人集めをし、無事に部活も設立できたのに文化祭前で自分たちのことしか考えられてなかったことを反省した。

 星斗はともかく紅太郎もいるから大丈夫だろうと思っていた。そういえば、と莉子はあたりを見回すが塔の中は暗く、がらんとしている。


「他のみんなは?」

「莉子ちゃんはいいよね、みんなに好かれてて……」


 突然、ひよりが机に置いた退会届をぐしゃぐしゃにして言った。


「ひより……? あんた、一人で抱え込みすぎだよ」

「だって! 誰もわたしのことなんか、好きじゃないもの。だから、わたしがいくらがんばったってみんな、去っていく……」


 莉子は泣いているひよりの背中をなでることしかできなかった。無理をしていたんだろうと思う。それにしても紅太郎や星斗は何をしているのか、と怒りがわいてきた。


 しかし、翌週には莉子も他人ごとではいられなくなった。玲央の声が出なくなってしまったのだ。

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