とても無口な私の神様



「……その……。本当に、来るんですか?」

「さあ?」


 到着するや否や、腰を下ろすこともなく問いを投げ掛けた青年に対し、回転テーブルに一人腰掛けた女は微笑みを返した。

 都内。さる高級中華料理店の一番奥の個室である。応じたのは、リーダー格らしいオリエンタルな美女だ。東洋人らしいあどけなさと、人外のような妖しい魅力が同居している。名を『松尾日影』と言い、この『赤羽党』の参謀であった。

 秘密結社『赤羽党』。戦中の日本が、戦争の趨勢と戦時体制が経済に与える影響を研究するため、陸海軍のエリートを集め開設した、大日本帝国内閣総理大臣直轄研究機関・『総力戦研究所』。日影の所属する『赤羽党』は、その流れを汲む集団だった。

 青年の認識では、国家主義的な危険思想を持つテロリストでしかないのだが、もしそう口にすれば、女は「そうですね、今は」と笑うだろう。

 革命無罪。歴史は勝った側によって綴られる。

 彼女達が体制側になれば、悪も否も、罪も罰もなくなるのだ。


「いつも通り、好きな席にお掛けください。上座も下座もなく、敵も味方もない。それが円卓の良いところです」

「じゃあ、遠慮なく」


 彼はスパイであった。否、彼が内閣情報調査室特務捜査部門、椥辻未練の寄越した間者であることは、『赤羽党』側も知るところであるので、連絡役(メッセンジャー)と呼ぶのが正しいだろうか。

 青年――中在地は斜め前の席に座ると、水差しを手に取った。


「ところで、前から気になっていたんですが」

「なんでしょうか」

「どうして中華料理屋なんですか?」


 質問に対し、日影は小首を傾げる。


「美味しいでしょう? お嫌いでしたか、中華?」

「好きですけど……。日本の秘密結社の会合が、中華料理を食べながらなんて、ちぐはぐだなと思いまして」


 日影はくすくすと笑う。

 上品で蠱惑的な笑みだった。


「確かに私達は日本の秘密結社ですけれど、でも、他の国や地域の人々を、蔑ろにしているわけではないのですよ。文化は尊重されるべきものです。それに、」


 その二つ名が『思兼神』たる才女は言った。


「回転式中華テーブルって、日本発祥らしいですよ? これも、店主さんに頼んで、わざわざ導入してもらったものです」

「はあ、なるほど」


 なるほど、と応じつつ、「何が『なるほど』なんだ?」と自問自答したくなるが、口を濡らすことでその思いを誤魔化した。

 彼の任務は『赤羽党』の動向を探ること。

 具体的には、彼等に「カミサマが合流するかもしれない」という情報の真偽を探ることだ。

 彼等は『思兼神』『手力雄神』『布刀玉命』という風に、神話の神の名を二つ名として持つが、中在地が聞くところによれば、今回、この組織に加わるのは本物の神であるらしい。

 当然、指令を受けた中在地は、


「(……『本物の神』って、何?)」


 と疑問に思い、またそれを口にしたが、上長である未練は、「『赤羽党』の人達に聞くといいよ」と答えるばかりだった。彼は「良くねえよ、説明してくれ」と言いたくなったが、堪えた。

 中在地の頭は飾りではない。説明がない。それだけで、二、三の理由は想像できる。そう、例えば、「『赤羽党』の人間が、件のカミサマをどう認識しているのか知りたいのだ」というような推測もできる。

 どうして彼等が、その存在を、『カミサマ』と呼ぶのか。

 こちらが何も知らなければ、あるいはその理由、所以を知ることができる。


「中在地さんは、神様って、どんな存在だと思います?」

「え? そうですね……。超自然的な力を持っている、超常的な存在、ですかね?」

「だとしたら、私達、超能力者は神様ですか?」


 日影は北京ダックを取り皿に乗せながら言う。

 超常的な能力を持たない彼としては、質問の答えは「イエス」だったが、そう告げると話が拗れそうなので、「……人間、ですよね?」と訊き返すに留めておく。日影はまた、くすくすと笑った。

 理を超えた力を持とうと、人は人。

 そして、敵は敵だ。


「私達は、自らの力を『超能力』ではなく『権能』と呼びますが、これは宗教学、つまり神や神秘を研究する分野において、『神の力』を示す単語です」


 ですが、と続ける。


「私達は人間です。何処までもね」

「なるほど……」


 理解した風に頷いてみせたが、レトリックの意味は良く分からなかった。


「(人間なのは当たり前じゃないか、人間なんだから)」


 と思うばかりである。

 その考えを見抜いたようで、『思兼神』はこう言い換えた。


「思い、考え、目的と義務を持ち、行動する……。私の言う『人間』とは、そういう存在です。例えば、私達はより良い日本を作る為に行動している。あなたは、今の日本を守る為に行動している。あの悪名高い『アバドン』も、何かしらの目的があり、非道で非合法的な計画を実行しているのでしょう」


 そう言えば最近、『アバドン』の実験施設が見つかったのだったか。

 そんなことをふと、思い出す。


「しかし、神は違う。特に日本の神がそうなのですが、人を導くわけではなく、かと言って誑かすわけでもなく、ただそこに、たまたま在るだけのモノ……。そういった存在も、『神』と呼称します」

「そういう意味で、カミサマである相手が、『赤羽党(あなた達)』に協力すると?」

「協力を得られるかどうかは、さて」


 一息置いて、彼女は言う。


「また、違う意味でも彼は実に神様的です。『And God said, “Let there be light,” and there was light.』……。『光あれ』。そう言うだけで、光を創造できる。それが神というものです。そして、恐らく彼も、同様のことができる」

「同様のこと……?」


 そう。


「彼、音無無音は、言葉を現実にできる」







 少女がその青年と出逢ったのは、三番線から出る電車に乗ったフリをして発車寸前の車両から降り、階段を駆け上がり、走って改札を通り過ぎ、駅舎から出た直後のことだった。

 そこで青年と出逢った。

 青年は、少女の目の前で足をもつらせ、転んだ。

盛大に肩掛け鞄の中の物品が散乱する。思わず屈んで荷物集めを手伝い始めた少女に、青年はふるふると首を左右に振った。「気にしないで、という意味かな」。どうして喋らないのかは分からないが。

 何処か、マイペースな印象を受ける男だった。ジャケットもボトムズもルーズシルエットだからだろうか?

 青年は喋らない。口は禍(わざわい)の元、沈黙は金という言葉を座右の銘にしているかの如く、無口な男だった。棒付きキャンディーを咥えているから、ということはないだろうが。そのこともあってか、青年の瞳は子どものように澄んでいた。

 そして。


「緑の、目……?」


 ふと少女は気付く。

 青年の目が、翡翠のように淡い緑であることに。

 男は一瞬間手を止めて、自分を見る少女を見つめ返した後、すぐに作業へ戻る。

 散らばった荷物も集め終わっただろう、と考え、少女は立ち上がる。が、青年の方は、困ったような顔をして、ベンチの下、街路樹の陰、更に自身の足元と順番に視線を遣る。


「何か、足りないの?」

「…………」


 口にキャンディーを咥えたまま、黙って頷く青年。


「何を探してるの?」

「…………」


 青年は答えない。

 代わりに、両手の親指と人差し指を使って、四角を作った。

 写真? 携帯電話? あるいは、財布?

 いや、それよりも。


「ひょっとして……喋れない?」


 少女が問うと、青年はまた困ったような顔をして、小さく首を横に振った。喋れないわけではないらしい。

 他人様の事情を詮索するものじゃないな。そう思い直した少女に、青年は胸ポケットに差していたボールペンを見せる。安物のそれは、街で貰ったもののようで、募金についての感謝の文字列が印刷されていた。

 そこで少女は思い至る。


「メモ帳?」

「……!」


 大きく何度も頷く青年。

 なるほど、この調子ならばメモ帳は必要不可欠だろう。しかし、周囲を見回しても、それらしきものは見つからない。

 ないものは仕方がない。少女は懐から学生手帳を出し、最初のページ――写真があり、名前や学籍番号が載っている部分を破ると、それを青年に手渡す。青年は困惑していたが、少女の、


「いいの。学校、やめたから」


 という発言でどうにか納得し、それを受け取った。


〈ありがとう〉


 青年が見せてくるお礼の言葉に、「気にしないで」と少女は返す。


「困った時はお互い様、でしょ?」


 その時だった。警察らしき背広の男に、声を掛けられたのは。

 ヤバい。少女は逃げようとするが、察した青年はその肩を掴んで引き留め、次いで、手帳に文字を書き、見せる。


〈だいじょうぶ。なんとかする〉

「なんとか、って……」


 どうするの、と訊ねるわけにはいかなかった。

 既に警察二人はすぐ傍にやって来ていたからだった。


「すみません。こちら、こういうもので」


 若い刑事達は警察手帳を見せる。

 翡翠の目の男は黙ったまま会釈する。


「そちらの娘さんは?」


 翠眼の青年は、貰ったばかりの学生手帳に、


〈妹です〉


 と書き、二人に見せる。


「妹さんですか。なるほど……。ところで、失語症か何かでいらっしゃる?」


 片方の刑事はそう問い掛けてきたが、すぐに、


「いえ、プライベートなことですよね。余計なことを訊きました」


 と続け、それでは、と軽く敬礼をして、去っていく。

 ……なんとかなった……?

 少女が青年の顔を見ると、青年は微笑み、今度は歩き去る刑事達の元へ走っていく。そうして、他の誰にも聞こえないような声量で、言った。


「―――『忘 れ ろ』」


 次の瞬間だった。

 二人の刑事は、顔を見合わせ、呆けた顔をしていることを指摘し合うと、「しかしあの子、何処へ消えたんだ?」「分からん。しかし、早く見つけないと……」等と語りつつ、何事もなかったかのように雑踏へ消えていった。

 そう、何事もなかったかのように。

 青年のことも、少女のことも、何もかも忘れたかのように。


〈なんとかした〉


 戻ってきた青年は、笑みと共に手帳を見せる。


「……ありがとう……。でも、今のは……?」

〈ぼくは 音無〉

「おとなし、さん?」


 頷き、また書き記す。


〈特別な力が ある〉

「それって、催眠術みたいな?」


 またも首肯し、青年――音無は告げる。


〈なんとかできる〉

「え、私をってこと?」

〈かもしれない〉

「……自信はないんだね」


音無は困ったように笑うと、キャンディーを一つ、少女に手渡した。






 二人は街を歩いていた。

 目的地はない。青年には元より到着すべき場所などなかったし、少女は帰る場所を失ったばかりだった。二人はただ、歩いていた。話しながら。いやさ、言葉を交わしながら。


「音無さんは喋れないわけじゃないんだよね」

〈そう〉

「じゃあ、どうして喋らないの?」


 問われた音無は、歩道の脇に寄り、手帳に文字を書き始める。

 一分ほど経ってから、彼は訊き返した。


〈こんなお話 知ってる?〉

「何?」


 次のページへ。


〈人間が 一生で喋れる言葉 その数は 決まってる〉

「……そうなの?」


 走り書きで、


〈おとぎ話だよ〉


 と付け加える。


〈ぼくは信じてる だから 喋らない〉

「変な人だね」

〈よく言われる〉


 音無は訊いた。〈きみは?〉。


「……助けてもらってからだから遅いけど、私のことなんて、知らない方がいいと思うよ。関わり合いにならない方がいいと思う」

〈どうして〉

「…………」


 少女は暫く沈黙を守っていたが、不意に、


「私の学校でね、凄く大きな事件があったんだ」


 と、語り始める。


「ニュースになってないのが不思議なくらいの事件で……。でも、それがキッカケで、私は追われてるの」

〈だれに〉

「誰に、って……。そりゃ、警察とか、色々……」


 今度は音無が無言になる番だった。

 熟考の後、彼はこう問い掛けた。


〈きみは 悪いこと したの?〉

「悪いことはしてない……、って、信じたいな……」

〈だったら、〉


 二人の耳朶に、「はっ!」という馬鹿にしたような笑い声が届いた。

 振り返ると、そこには小柄な男が立っていた。

 背は低いが鼻は高い、ハンサムな男だった。色素の薄い髪に、肉体労働とは無縁そうな白い肌。黒いオープンフィンガーグローブに黒のチョーカーは、V系バンドのボーカルといっても通用しそうだ。

 しかし、彼はそんな微笑ましい職業の人間ではなかった。


「はっ! 正義か悪かは、正義の側が決めるんだ。お前の言い分なんて、聞こえねぇし、聞く耳持たねぇよ」


 彼は、鹿王院遊。

 対能力者機関『白の部隊』の一員にして、『鏖殺の深閑』の名を取る能力者。


「大人しくするなら痛くはしねぇぜ? 実験動物さんよぉっ!!」


 言って。

 セイギノミカタが、襲い掛かってきた―――!






 言葉を現実にする能力者。

 それは即ち――『言霊(ことだま)使い』。


「古来より、文字や言葉には特別な力があると考えられてきました。陰陽道などにおいては、『名を知られると相手に支配される』という思想がある……。本名を『諱(いみな)』と呼称するのも、そういった伝承の一つです」

「件のカミサマは、名を知った相手を操れる……。そういうわけですか?」

「いえ、違います」


 あっさりと否定した日影は、一口お茶を飲むと、こう続けた。


「名を知っているかどうかは関係がありません。音無無音は森羅万象、全てに命令を下すことができる」

「それって……」


 中在地は絶句した。

 そんなことが可能ならば最強じゃないか、と。

 まさに、神だと。


「尤も、ある程度は、ですが。『死ね』と命じられて死ぬのは、余程に希死念慮の強い方のみでしょう」

「だとしても、とんでもない力ですね……」

「複雑な命令もできないそうです。主語、述語、目的語、形容詞……。それ等が増えるほど、言霊の力は弱まる。……きっとあなたは疑問に思っているでしょう。どうしてそんな強力な能力者に対し、どの勢力も対策を講じていないのかと」

「そうですね。どう考えても危険人物ですから」

「危険ではなく、人物でもないから、ですよ」


 え?と素っ頓狂な声を出した内調の男に言う。


「申し上げたでしょう? 思い、考え、目的と義務を持ち、行動する。それが私の言う『人間』だと。……彼、音無無音には目的も義務もない。ただ当てもなく彷徨って、事故や災害の現場で人助けをする……。それだけの存在。故に、危険ではなく、人物でもない」


 神なんです、と日影は笑った。






 鹿王院は、少女のことを「実験動物」と言った。

 その非人道的な呼び方は、ある意味では、正しい。何故ならば、事実として彼女はとある実験の被験者で、研究者からは「死んでも仕方がない存在」と認識されていたからだ。これを「実験動物」と呼ばずして、なんと呼称する? 物言いを咎められたとしても、『鏖殺の深閑』はそう主張するだろう。

 しかし、彼女の側にも言い分はある。「知らなかった」と。

 そう、彼女は知らぬ間に、能力者に関する実験の被検体にされていたのだ。

 普通の人生を送っているはずだった。ごく普通の高校に通い、ごく普通の寮で過ごし、ごく普通の私生活を送る……。

 けれども実際は違った。

 学生には隠されていたが、学校も寮も実験場に過ぎなかった。超能力という理外の力を人工的に作り出すための。

 そんな彼女の母校、即ちアバドンの実験場に対し、『白の部隊』の掃討作戦が実施されたのが、数日前のこと。正義は執行され、彼女は帰る場所と友人と平穏を失い、自らの真の境遇を知った。


「ちょっと痛ぇかも――なぁっ!!」


 鹿王院遊が右手を向ける。

 すると、如何なる理屈であろうか。強烈な衝撃波が少女達に襲い掛かった。

 音無は咄嗟に少女を抱えて横に飛び、なんとか回避をする。


「はっ! おいおい、避けるなよ……。疲れるだろうが」


 セイギノミカタが迫ってくる。

 そんな中でも音無無音は喋ることなく、走り書きの文字を見せた。


〈きみの ねがいは〉

「え……?」

〈ねがい〉


 少女の、願い。

 あの日常は、あの時間は、戻ってこない。

恐らくは、もう二度と。

 ならば、想い、願い、祈ることなど、一つしかない。


「私は……ッ! 私は、自由に生きたい……!!」


 返答を聞いて。

 音無は、穏やかな笑みを浮かべた。

 それは紛れもない肯定の言葉だった。


「はっ! お涙頂戴だねぇ。くだらねぇ。お前に何ができる?」

「……は、」


 音無無音が口を開く。

立ち上がり、その翡翠のような目を細め。


「―――吾は悪事まがごとも一言、善事よごとも一言、言離ことさかの神」


「あ?」

「彼女の、味方だ」


 鹿王院の動きは速かった。

 即座に何かを察し、左手で鎌鼬を発生させ、右手で拳銃を抜いた。

 しかし、神に常識は通用しない。


「―――『浮 き 上 が れ』」


 瞬間だった。

 音無と少女の身体が空高く飛んだ。重力を無視するかのように。青年のルーズな服と彼女のスカートがひらめき、高く、高く、上っていく。

 残された『鏖殺の深閑』は銃で狙いを付けたが、すぐにやめた。

 この距離ではどうせ届かない。

女一人逃がしたところで何かが変わるとは思えない。

 それに、元々気乗りしない任務だ。


「乳臭いガキ殺すのは性に合わねぇしな……」


 放っておこう、と言い残し、帰りの車が待つ地点まで歩き始めた。






「ねえ! ねえってば!」


 空高く飛び上がった二人。

 音無に抱えられた少女は大声で問う。


「これから、何処に行くの!? ううん、それよりも、良かったの! あんなことして!」

「…………」


 翡翠の瞳の青年は答えない。

 言霊遣いの彼にとって、言葉とは安易に使えるものではない。

 だから、ただ黙って微笑み掛けた。

 世界ことなど素知らぬように。

 運命なんて聞こえぬように。


 ―――なんとかなるよ


 そう、告げるかのように。






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