交差 その4

「本当に良く働いてくれてましたよ……正直まだ信じられません」


 大島の勤務先の店長だと名乗った男は始めこそ動揺していたが次第に冷静さを取り戻し、聴き込みは滞りなく進んでいた。


 曰く、勤務態度や客との関係などは問題なくどこを取っても平均以上。それどころか、個人の売り上げは月によっては上位に食い込むこともあったらしい。大島を亡くしたのは友人らは元より、店としても手痛い打撃だろう。


「最後に、ここに勤めていらっしゃる方の名簿か何かいただけますか。あとお客さんのリストとか」


「ええ、分かりました。でもうちは会員制とかじゃないんで客のリストはないんです。それでよければ」


 尾崎が訊ねると、店長は一つ断りを入れたがそれでも快く応じてくれた。


 聴取も含めて、あくまで“現時点では”形式的なやり取りに過ぎないのだが、何故か時々協力を渋る人間がいる。

 若い頃はそれだけで随分疑った。いつの世も警察、ひいては面倒ごとを避ける人間も一定数いると割り切れるようになったのは、しばらく後のことだった。




「お待たせしました」


 店長が差し出したのは、二十数名の源氏名と本名、連絡先がまとめられた一枚のコピー紙と、無駄に煌びやかな名刺だった。

 名刺にはそれぞれ従業員の源氏名と顔写真、その他が載っている。


「これは……名刺まで」


「うちの子たちの顔も分かってる方がいいでしょう?」


 尾崎は顎を掻いた。

 これは果たして純粋な捜査協力なのか、はたまたこの機に店を売り出そうとしているのか。

 仮に後者であれば、非情にも抜け目のない男である。従業員が亡くなったというのに商魂逞しいものだ。


 しかし情報は多く得られればそれに越したことはないのも事実。


「わざわざどうも。ご協力ありがとうございます」






 尾崎と牧田は薄暗い店内を出た。外は雨こそ降っていないがどんよりとした空模様だ。


 このリストの中に犯人がいるとは思えない。手口からして私情の線は考え難かった。

 もちろんゼロではないが店長から話を聞いた今、この店の関係者はほとんどシロだろうと二人は踏んでいた。容疑者として眼を付けるだけの理由や根拠は薄い。


 かと言って、全く調べないのではまずいので順番に当たっていくことになり、ここへもまたすぐに訪れるだろう。


 小川の底の泥を網で浚い、豆粒以下の夢を探すような地道な作業。いや、その方がずっとマシだ。彼ら警察が見付けるべきものは金ではない。




「あの二人は何なんだろうな」不意に尾崎が呟いた。


 妙な雰囲気をまとった二人組。それが第一印象だった。そして今なおそれを抱いている。多田は彼らを短く“探偵”と称したが、探偵とも違うような得も言われぬオーラがあった。


 何より、その後シオリが見せた観察力は眼を見張るものだった。観察眼の一言では片付けられない、最先端の科学技術をもって初めて明らかになる事柄も多々紛れ込んでいた。


 確かに、集中して良く見れば爪の中や靴底についた砂くらいは肉眼でも捉えることはできるかもしれないが、死亡推定時刻に関してはどうだろうか。


 尾崎は咄嗟に口を挟んだが、その弁を遮らなければ、更なる観察の結果をのべつまくなしに列挙していただろう。


 そこいらの——少なくとも民間の探偵が成せる芸当とは思えない。そうでなくとも、二十にも満たない少女が臨場している時点で普通ではない。


 ——そう。普通じゃない。


 多田を疑るわけではないが、彼らは探偵などではないのだろう。尾崎の思考は帰結した。




「何だか、只者ではない感じはしましたね。特に瀬谷さんは人間味に欠け過ぎてるというか……」


「正体が何であれ、探偵ってのは多分嘘だろうな。あまり良い気はしないもんだ」つい尾崎の口から本音が零れた。


「でもシオリちゃんは凄く可愛らしい子でしたよね。殺人事件の捜査なんて対極って感じで。ちょっと勿体ない気もします」微かに羨望するような声色だ。


 確かに目鼻立ちははっきりしていた。髪は妙に艶がかった美しい黒で、背中を半分隠す辺りで丁寧に切り揃えられており、日本人らしい奥ゆかしさを漂わせていた。


 それが余計に、在りし日の記憶を呼び覚ます。


 ——もっとも、性格はとんだお転婆娘なようだが。




「あの二人、今頃何してるんでしょうね」


「さぁな……取り敢えず、面倒起こしてくれてなきゃそれで」


 そう言い放った尾崎も内心では、どこか期待している自分を否めなかった。


 しかし、彼女らが功績を上げることはつまり、日本最強の捜査機関と謳われる捜査一課の敗北と同義になってしまう。

 その点、多田はどのような心算でいるのだろうか。


 形容し難いやるせなさを溜め息に混ぜて吐き出す。左手の腕時計に視線を遣ると、じき十五時を回ろうとしていた。


「もうこんな時間か……何か食っとかないとな」


「コンビニで何か買ってきましょうか?」


「いや、たまにはしっかりしたもんにしよう。時間はあんまりかけられんが、この辺なら店探しには困らないだろ」


 第一の事件から一週間。二人をはじめ、所轄や本部に詰めている人間は、ほとんどがまともな食事も休息も取れていない。


 そして第二の事件が起きてしまった今、その時間は際限なく削られてゆく。コンビニの握り飯ばかりではいずれバッテリーが切れてしまうし、精神衛生的にもきちんとした美味しい食事は必要だ。

 心身共に、いざという時のエネルギーは確保しておく必要がある。


 ——俺一人なら牛丼でもラーメンでもいいんだが、今は牧田も一緒だ。こいつは気を遣い過ぎるきらいがあるから、それでもいいと言うんだろうが……。




「例えば……ラーメンかナポリタンだったら、どっちがいい」


「麺限定ですか?」牧田はくすっと笑う。


「ん? ああいや、別にそういうわけじゃなくてな。たまには喫茶店にでも行こうかと」


「なるほどそれで。じゃあ、ナポリタンにしましょうよ」


 二人は新宿の雑踏を掻き分け、遅い昼食を求めて歩き出した。彼らの長い長い一日は、まだまだ終わらない。

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