第5話 マイカはギンギンになる

 目が覚めた。

 さすがに眠って5分でというわけではないだろうが、部屋は暗く朝はまだ遠そうだ。


(まあ、また眠ればいいし)


 目を閉じればまたすぐ眠れるだろうと考えるのが子供というか、若さであった。


 それにしても、どうしてマイカは目を覚ましてしまったのだろう? 耳がしんとなるほど静かで、だから物音で起こされたというわけでもなさそうだ。でも、ばちりと一瞬で覚醒していた。まるで、目覚ましが鳴るより一瞬早く目が覚めてしまった時みたいに。きっかけ無しに――いや、きっかけを先取りして。


 きっかけ――おやおや?

 どこからだろう。声が聞こえてきた。


「どうだった?」

「よく眠ってるよ」

「どんだけ賢いようでも、子供だからな」

「眠れるだけ、眠らせてあげたいよ。あの子が子供でいられるのは、眠ってる時くらいしかないかもしれないんだからね」

「違いねえな。さて……」


 隣の部屋から――エムジィとリンザだ。

 なんだか、良いこと言ってる風な感じである。


 しかし――


「……さて、ここからは大人の時間だ」

「ばか。やめろ……やめろって」

「いいじゃねえか。久しぶりで一緒になれたんだしよぉ」


 ベッドの中、マイカは息を呑んだ。

 だが、これが初めてというわけではなかった。


(ああ、これは――あれか)


 こういう会話を耳にするのは、初めてではなかった。実家でメイド部屋に隠れて居眠りしてると、時折、こういった声が聞こえてきたものだった。大抵の場合、片方はメイド。もう片方はマイカの姉だったのだが。


「くっ。お前を指名依頼したのは……」

「こういうことをするためだろ?」

「ちが……う。ぅくっ」

「へへ…じゃあなんなんだよ」

「それはな――こういうことをするためだよ!」

「ふわぁっ!? はぅっ。あぁああああ~~~~」


 そしてそこから先は、延々とリンザのすすり泣く声だけが聞こえることとなった。


 その様子を聞かされてるマイカはといえば、もうギンギンである。

 隣の部屋の出来事で、何も見えはしないのに、目のやり場に困っている。


(これは……眠れない! エムジィとリンザあっちが眠ってくれるまでは……いや、下手したらその後も!)


 焦りながら、ふと目を逸らすと、そこにいた。

 闇に浮かんだ金色の目。


「みゃ~~~お」


  鳴き声は、やはり文字では表現できない可愛らしさ。


 トレンタだった。


 エムジィが、宿の主人に頼んで部屋に入れさせてもらったのだ。マイカの気休めになればということなのだろう。これから先の旅程も、一緒に連れて行こうということになった。王都に着いた後のことも、自分がなんとかするとエムジィは言ってくれてた。


 そのエムジィはといえば、いま――


「ほらほらどうしたBランク昇格も間近なリンザ様。私が賊でも、そんな可愛い声で許しを請うのか?『殺せ』? だめだね。もっと聞かせてくれよ。『六腕のリンザ』の可愛い声をさ。ほら。ねえ。『許して』? だめだめ。もっともっと――うふふふふ!」


――とまあ、そんな感じだった。


(…………)


 目をつぶり、目を開けて、もう一度目をつぶり、目を開けて。マイカはベッドの下のトレンタに手を伸ばしてみた。ちょっと心配だったが、引っ掻かれはしなかった。馬車での時と同じく、トレンタはマイカの手に近付き、自ら頬を擦りつけに来てくれた。


 ほお、と。


 マイカは息を吐く。トレンタになついてもらえる喜びに。隣室からの声が、一瞬で耳から遠ざかっていく。こんなの、昨日までだったら考えられないことだった。


(……そういえば)

(もしかして……)


 髪の毛が金色になったこと。

 トレンタにひっかかれなくなったこと。


 この2つには――


(――関係がある?)

(どちらも今日起こった……)

(どちらも有り得ないこと……)

(私の髪とトレンタ……)

(この2つの間にどんな綱がりがあるのか……)


 そこまで考えたところで閃いた。


(ん? んん?)

(違う?)

(繋がりは、無い?)


 例えばドニィ兄様、と考えてみる。


(エムジィさんとリンザさん)

(2人の職業は違う)

(でもいまは2人とも、ドニィ兄様に雇われている)


 それと同じように――


(私の髪とトレンタに、直接の繋がりはない)

(でも、どちらも同じ『何か』に繋がっている)

(その『何か』がわかれば――)


 考えながら、マイカは見ていた。

 トレンタの顔に起こってる変化を。


 ゆっくりとゆっくりと。


 あまりにゆっくり過ぎて、ずっと見てたのに気付けなかった。

 だから、気が付いたときには。


(2つの間に関係があるのか無いのか――え?)


 トレンタの口の端が、裂けたみたいに吊り上がっていた。

 あたかも、邪悪な笑みを浮かべてるがごとく。

 トレンタが言った。


「無いわけないだろ?」


 猫が喋った。

 この、本日3つ目の怪異に。


「!?」


 マイカは、ほぼ気絶と変わらぬ眠りに落ちたのだった。


 ●


「寝てたよ」


 エムジィが言った。

 マイカの部屋から物音がして、それで様子を見てきたのだ。


「ヒヤっとしたぜ――起こしちまったかと」

「猫は起きてたけどね」

「トレンタだっけ? おい。こっち来いよ」


 だがマイカの部屋から着いてきたトレンタは、エムジィの膝に飛び乗ったきり、リンザの方には近付こうとしない。すぅっと、リンザが冷めた目になった。トレンタに怒ったのではない。そういう目ですべき話を、しようとしているのだった。


「やっぱりあれは――ドニィにいちゃんが?」

「ああ。魔法で髪の色を変えてたんだろう。それが解けたということなんだろうね」

「どうしてそんなことを?」

「あの娘の母親は、あちこちで恨みを買っていた――母親と同じ髪の色では、危ない目に遭うと考えたんだろう」

「だから、どうして? 髪の色がどうだろうと、大人でないブリバリーノって時点で、誰の子かなんて丸わかりだろうが。髪の色を変えたところで、何が隠せるっていうんだ?」

「じゃあリンザは、最初にあの娘を見た時、どう思った? あの娘の母親のことを思い出したか?」

「まあ、ちょっとはな」

「じゃあ、あの娘の髪が金色に――母親と同じ色になったのを見た時は?」

「そっちは思い出したっていうより、疼いたぜ」無造作な、しかし最短の軌跡を描いて飛んでくるパンチ。腕でガード。ぽきり。乾いた音。皮膚を破って突き出た白い――「あの娘の母ちゃん……サクラ=フォン=ブリバリーノに折られた腕がよ」

「それだよ」

「あん?――ああ。そういうことか」

「人の心を動かすのは、目の前の事実じゃない。それと対照される自分の中の記憶だ」

「なるほど。感情ってのは厄介だからな。悪巧みされるより、よっぽどタチが悪い」

「知るのと感じるのは違うということだ――次の次の街アマダチでは、おそらく魔法をかけ直すことになるだろうね」


 ●


 翌日は、朝食後に早々と出発した。


 街に来た時の道も、街を出たいまの道も景色はほとんど変わらず、まるで街に留まってた間の時間がどこかに飛んで消えて、昨日からいまに直接時間が繋がってるみたいだった――が、マイカは目を眇める。


(気になってしまうのは、私に問題があるんだろうか?)


 マイカと向かい合って座るエムジィとリンザも昨日のままだ。でもよく見ると馬車が揺れ指と指が触れ合ったりするたび、エムジィもリンザも微妙に不自然に目をそらしたり、やはり不自然に口元を緩めたり硬くしたりしながら、不自然に頬を赤らめたり、不自然に咳払いしたりしている。


(こういう状態の大人たちにどう接したらいいのか……10歳の子供として!)


 頭の中で、マイカは頭を抱えた。


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