第2話 マイカは用済み

 一瞬で――


 エムジィが消えた。

 リンザが消えた。

 馬車が消えた。

 街が消えた。

 空が消えた。


――何もかもが消え、辺りが真っ白になった。


 急に霧が出て、それが馬車の中にまで……とか。

 あるいは、急に煙が……とか。


 突然の怪異に慌てることすら出来ず、なんとか理由を見つけようと考えるマイカだったが、気持ちはふわふわしたままだった。何かヒントでも探そうとしているのか、耳をそばだてたり、お尻を叩いたり、その場で足踏みしてみたり。ひとしきり意味不明な、傍から見たら可愛いだけの仕草を見せて。


「……ということは?」


 つぶやきを漏らした、一瞬後。

 何の素振りもなく、ノーモーションで。

 マイカは。


 ぴょん。


 と、前に跳んだ。

 そして振り向いた。

 するとそこには――


「……よくわかったねえ。気配は出てなかったはずなのに」


――1人、男が立っていた。まだ若い。ぺらぺらした服の肩に、色素の薄い髪を垂らしている。


 片手を、中途半端な高さにさまよわせていた。もしマイカが跳ばなかったら、その手は、今頃マイカの肩に置かれてたのかもしれない。


 その想像に、ぞわり・・・となるのを堪えながら、マイカは答えた。いきなり背後に現れた男に、どうしてマイカは気付くことが出来たのか?


 それは……


「……何かあるなら『後ろからかな?』と」

「ほお?」


 男が笑った。

 よく見れば整った顔だちに、大きな皺を作りながら。


「じゃあ、僕が誰だかわかる?」

「……神様?」


 何の考えもない答えだった。

 普段のマイカなら、絶対、口に出すのを躊躇ってた類の。

 でも今回は、それで正解だったみたいだ。


「イエス。僕は神様だ――じゃあ、もう気が付いてるよね? 自分が既に死んじゃってるって」

「はい。ここに来る直前、馬車が揺れました。大きめの石でも踏んだんでしょう。ごとんって――おそらくその衝撃で車輪が外れでもして、馬車が横倒しになって、窓から外に放り出されでもして――私は死んだ。と、そう考えるのが妥当だと思います」


 そこまで一息に言って、マイカは訊ねた。


「あなたは、それを伝えるために現れたのでしょう?」


 男は、それに答えなかった。

 ただ、こう言っただけだった。


「……じゃあ、答え合わせしようか」


 自分は死んだか、死にかけている。マイカは既にそう結論付けていた。この何もかもが白い場所は、自らの死を魂に受け入れさせるために、生と死のどちらにあるかすら曖昧な、夢のごとくいい加減な境界線上の一瞬に、自分の頭が作り出した自分の頭の中の空間で、そして目の前の男も、やはりそのために自分の頭が作ったメッセンジャーなのだろうと。


 だからこの男のことを、自分は神だと受け止めたのだろうと。


 しゅぼっ……


 男が、タバコに火を点けた。もっともそれがタバコだとマイカが気付いたのは、その先端に火が灯り、男の口から煙が吐き出されるのを見てからだった。紙巻きタバコ、そしてジッポーのライターをマイカ、いやこの世界の人間が目にするのは、これがほとんど初めてのことだった。


 男が言った。


「君は死んだ。でも原因は、馬車が横倒しになったからじゃない。馬車は倒れもしなかったし、壊れもしなかった。いまも馬車は走り続け、君は座席に座ったまま。でも君はもう死んでる。石を踏んで馬車が揺れたその衝撃によって、君は死んだ。万物には固有振動数というものがあってね。車軸から伝わった衝撃が、君の固有振動数と一致して、あり得ない連鎖を生み、一瞬で脳幹と大動脈弁を破壊してしまったのさ――場所でいうと、こことここだね」


 マイカの頭と左胸を指差し、男は続けた。


「もう一度言うけど、あり得ないことだった。でも起こってしまった。原因は、ぼくらの不注意だ。戦争、革命、建国。歴史に残るような事件において、それまで世に出てなかった若い人間が大きな役割を担うというのは、よくあることだ。でもその後を追ってみると、彼らのうち決して少なくない数が、事件から数年以内に命を落としてしまっている。風邪とか、足を滑らせて転んだりとか、案外つまらない理由で、若くして――何故だと思う? ヒントは『大きな仕事』と『あり得ない』だ」


「あり得ないくらい大きな仕事をした……反動、とか?」

「うーん。近いようで遠い、というか」


 鼻から煙を出しながら目玉をぐるぐる回して見せる男にイラッとくるマイカだったが、同時に、こうも考え始めていた。キモかったりイラッとさせられたり――もしかしたら、神というのは、実際に会ってみたら案外こういうものなのかもしれないなあと。


「人間各個人に纏わる確率は、当然のこととしてすべからく平均化されている。幸運も悪運も糾える縄の如く。全てが終わった時、彼の人が平坦な土地を見渡せるように。そうなるように、僕らが調整している。誰もが、自分の人生に課せられた使命を全うできるようにね。ここでいう使命。それは、1つじゃない。すれ違った人に親切にしたりとか、悩んでる友人にヒントを与えたりとか、そういった細々とした使命を、誰もが無数に与えられて生まれてくる。しかしだ」


「ああ……ここで『大きな仕事』が出てくるんですね?」


「そう。大きな仕事を成した人間は、それだけで人生の使命のほとんどを全うしてしまうんだ。するとそういう人間に対して、ぼくらは、その、ついつい優先順位を下げてしまうというか、その……」

「手を抜く!」

「いや、その、せめて油断するとか、気を緩めてしまうとかそういう……」

「言い方を変えても、やらかしちゃったのに変わりはありませんよね?」


「……確率を均すならす手が緩んでしまうことがある――いや、こともある。そういう、大きな仕事を終え、人生の使命の大半を全うした人間に対してはね。その結果、その人間に纏わる確率に乱れが生じ、あり得ない偶然で命を落としてしまうことも、ある。そして君も――」


「――つまり、それが私の死んだ理由だと仰るんですね? でも不思議ですね。私が成した大きな仕事って何なんでしょう? 私ってまだ10歳で、ここ最近も、ダッカスさんの家でご本を読んだりお馬に乗ったりしていただけなのに」


 言ってる途中から、マイカは、胸の奥がむずむず落ち着かなくなるのを感じていた。男の表情が、みるみる沈鬱になっていったからだった。「エミリオだよ」と、男は言った。


「エミリオにルンナを引き合わせた。それで君は、人生のほとんど全ての使命を全うしてしまったんだ。これから10数年後、エミリオは国家的な大難の中で大きな役割を果たすことになる。そのとき、彼の支えとなり自分自身も歴史に残る大活躍をするのが、彼の妻となったルンナだ。君は自覚していないけれど、君がエミリオとの恋をあきらめることによって、歴史の大きなピースがひとつ、あてはまる先を定めたんだよ」


 そう言われて、マイカは――


「ちょっと……教えていただきたいんですが」


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