新しい生活を……

第10話

プイッと横を向いてしまったクロに「どうしたの、クロ?」と尋ね、そのもふもふの背中を撫でても、反応がない。あのサファイアのような瞳も閉じているし、眠ってしまったのだろうか。


セフィラスが好みかどうかと言っていたけれど。

好みか、好みではないか。どちらか?

そう問われたら勿論、「好み!」に決まっている。

ではセフィラスとの恋愛が成立するか。

否、ない!

閾値を超え過ぎているのだ、セフィラスは!


妄想はできる。

あの美の象徴のようなセフィラスが、私の手をとる姿。

あのセフィラスが……。


あ、ダメ。

妄想さえできない。


きっと世の中の恋人がするようなことを、セフィラスとは恐れ多くてできないっ!

妄想さえ、できないのだ。

いくらとろけるような顔を私がしようと、それ以上でもそれ以下でもないのだ。


セフィラスは至高の存在。まさにその通りなのだけど、クロは人間ではないし、分からないのかなぁ。


起こすのは可哀そうなので、そのままにしているクロのもふもふの背中を静かに撫でる。そして目の前に広がる美しい森を見てしみじみ思う。


乙女ゲームの世界に転生した悪役令嬢は、孤独なはずだ。


一人前世の記憶を抱え、断罪回避に奔走する。

でも私の場合。

まさかの断罪終了後の覚醒だった。

しかもクロがいてくれた。

クロ……でいいわよね? アランより、前世の記憶を取り戻したら、クロの方がしっくりくる。


それにしてもせっかく助けたのだから、こんなところまで一緒にこなくてもいいのに。

……そんなことないのかな。

私だけこの世界に飛ばされ、もしあのままクロが生きていたら……。


今よりうんと小さな体だった。竜巻に飲まれたら、命はなかっただろう。仮に竜巻をやり過ごしても、私の家族はクロどころではないはずだ。何せ私が……。放置されたクロはカラスの餌食になったかもしれない。


どうして私と一緒にいるのかと尋ねたら。


――「それは……ボクが君のそばにいたいと願ったから、かな?」


なんて、可愛いことを言ってくれた。

私のそばにいたい。

そんな言葉、前世でもこの世界でも、言われたのは初めてだった。


そう思うとクロはもふもふの猫なのに。

男前な性格をしているわ。

もしクロが人間だったら……惚れてしまいそうね!


こんなにもふもふなのに、クロは手足が長くてスラリとしている。しかも動きも俊敏だから。

かなりいけてる男子になりそう。


そんな妄想をしていて、気づいてしまった。

私の左手の薬指には、パープルダイヤモンドのサール王太子から贈られた婚約指輪が輝いている。

喜んでつけているわけではない。

むしろ、サール王太子とルナシスタが深い仲になっていると分かってからは、この婚約指輪を外したくて、外したくてしかなかった。

だがしかし。これが王宮での通行証みたいなものだった。


このサイズのパープルダイヤモンドは、ピンクダイヤモンドの鉱山が閉山されてからは、もう入手が不可能になっている。パープルダイヤモンドは、ピンクダイヤモンドの青みが強い物であり、レッドダイヤモンドに次いで希少性が高い。そしてこのサイズは王族に代々伝わる秘宝であるからこそ。


ゆえに入浴時をのぞき、つけていることを求められていた。


パープルダイヤモンドのついた婚約指輪は、歴代の王太子の婚約者の左手で輝く。それは結婚指輪と交代で、王族の宝物庫に戻される。そして次の王太子が、自身の婚約者に贈るのだ。


つまりパープルダイヤモンドの婚約指輪=王太子の婚約者の証&王宮の通行証。


この婚約指輪をもってして、王太子の婚約者が成立する。

これがないとルナシスタとサール王太子は婚約できない。


え、どうしたらいいのかしら?

婚約破棄をつきつけ、断罪したのはサール王太子なのだ。これは彼が返還を求めるのが筋だったのでは? これをつけたまま、私を魔物の森に追放したのは……。


サール王太子の落ち度だと思う。


そうではあるものの。

このままこの婚約指輪を放置するわけにはいかなかった。つまり……。

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