第七話 悪逆


 どの時代でもどの場所でも、為政者と影響力のある犯罪集団は切っても切り離せぬ関係にある。表では清廉潔白を謳う理想的な君主が裏では犯罪者と懇意にしていることは、歴史的にも当たり前のこと。政治的統治と暴力的支配は表裏一体と言うべきか。兎にも角にも、綺麗事だけでは国が成り立たないのは改めて言うべきことではなく、この国の上層も俺の所属する犯罪集団とは長らく太い繋がりがあった。俺達と国を繋ぐのは信頼と多額の金銭、そして「そちらの犯罪を目こぼしする代わりに、こちらの汚れ仕事を請け負って欲しい」という暗黙の了解である。そしてこの度、この紳士を通して政府から受けた依頼は「民に親しまれたホルスト卿の評判を地に落とすこと」であった。そしてここが肝であるのだが、そのホルスト卿は既に死んでいるのである。


「その卿とやらは自殺したのだったな」

「えぇ、あの男にはこちらも本当に迷惑を被りましてね」


 ホルスト卿は弱者である民に親しまれていた。ならば逆に権力者側からの評判が悪かったというのは想像に難くないことである。


「国の暗部を担われておられる貴方には今更でしょうが、物事は一般に正しいとされることばかりが本当の正義ではありません。しかし、あの男はそれを理解出来なかったとみえる。上下構造のない社会などあまりに不安定であり、それ故、上の者の振る舞いは許容されるべきです。それが真の正しさでしょう。むしろ、権力構造の絶対性を維持することこそが安定した社会形成における重要部分だと、貴方もそう思いませんか?」

「確かに綺麗ごとだけでは国の崩壊を招くだろうな。我々の存在意義にも関わる話だ」

「そうでしょう? それなのに、あの男といったら」


 紳士は疲れたように深々とため息をつき、やれやれ、と首を振る。


「彼は我々政府の構成員の一人だったというのに、こちらの振る舞いを悪事だと断定し、それを愚かにも正そうとしてきたのですよ。正す? 全く、何をもって正しさを語るのか、ほとほと呆れるばかりです。現状こそがあるべき姿だというのに、それを乱す彼こそがよほど悪ではありませんか。ですから鼠の如く我々のことを嗅ぎまわっていた彼を捕らえ、どこまでを知ってしまったのか情報を吐かせようとしたのですけれどね。その前に自殺されてしまいました。本当に彼は最後の最後まで迷惑をかける、とんでもない男でしたよ」

「それ故、ホルスト卿の罪をでっち上げて、死者をも貶めたということか?」

「たとえその者が既に死していようと、悪人であれば断罪を。懲悪とは理想的な社会を維持するには必要なことです。此度の依頼は、ホルスト氏に追随していた一部の連中への見せしめの意味もありますし、罪を着せて死罪とすることで、彼の死を民衆に批判無く受け入れさせるためのものでもあります。そして何より、私の同僚達もあの男には大変腹を立てておりましたからね。此度の結果に皆も満足することでしょう」


 俺は辟易としたが、それを態度に出さぬよう「そうか」と一言呟いた。彼はあれこれと理由を並び立ててはいるが、この言い方から察するに、結局はホルスト卿への単なる腹いせに過ぎぬということだろう。そのような低俗極まりない理由で安らかに眠るべき死者を陥れようとする悪逆ぶりには、非道な行いを生業とするこの俺でさえ軽蔑する。

 要するに、本物のホルスト卿は民衆の評判通りの素晴らしい慈善家だったのだ。彼は弱き者に手を差し伸べ、貧しき者に支援をし、そして己の正義を掲げて悪の打倒を目指した。この場合の悪とは権力を笠に自らの欲に忠実な振る舞いを繰り返していた、政権を牛耳る権力者達のことである。しかし卿の試みはうまくいかず、逆に追い込まれてしまう結果となり、敵の手に落ちる前に彼は自らの命を絶った。つまり今回の依頼は単純な話、気に食わない相手に勝手に自害された挙句、ホルスト卿の評判が自分達よりも圧倒的に良かったことに腹を立てた権力者達の憎しみが暴走した結果に過ぎない。俺はこの依頼を通して、改めて憎悪という感情の強大さと人間の愚劣さ、そして残虐性を痛感したのである。


「それにしても、あまりにも予定通りに全てが進んだことに私は驚きを隠せませんよ、えぇ、本当に。何も知らぬ庶民連中の意見を計画通りに制御してみせるとは」


 無用な情報の漏洩を嫌い、あまり口を開かない俺に対して、対面の紳士は愉快そうに世間話を始めた。品を失わずに唇を上げる彼の様子は楽しそうだ。


「民衆の中に扇動役を紛れさせていたためだ」

「あぁ、そうでしたね。孤児院出身という女と、麻薬中毒者の友人がいた男が、貴方がこの度の計画のために雇った者だと聞きました」

「あのような目立つ行動を頼んだ者以外にも、民衆を煽るための役者を聴衆の中に何人も紛れ込ませていた。熱は伝染する。自らの隣に立つ者が人に罵声を浴びせれば己も人を罵倒することに対する躊躇がなくなり、自らの前に立つ者が石を投げれば己が石を投げることに対する嫌悪感がなくなる。そういうものだ。それどころか実際の善悪に関わらず、集団で一体となって行うことは何でも正義だと思い込んでしまう傾向にある。その分かりやすい例が、卿に資金を援助されたと自称していた杖を突いた男だな。あれは俺が雇った者ではない。彼の行動は元々の性格もあるだろうが、周りに煽られた結果だとも言える」

「貴方の演技力と計画の緻密さにもよるでしょうけれどね。いずれにせよ、あの人数を思いのまま動かした貴方の手腕には感服します」

「他にも細やかな仕掛けは入れていたが。嘘には真実を。卿の罪だとでっち上げたものが、元は別の人間によって実際に行われていたものだということも功を成しているだろう。孤児や婦女が誘拐されていたことも、麻薬中毒による死者が増えていたことも事実であるから、民衆の卿への疑いを後押しする結果となった」

「我々としては少々後ろめたかったことを代わりにあの男に背負ってもらったので、良いこと尽くしというものです」


 紳士は俺の言葉に対して何の後ろめたさも感じていない様な晴れ晴れしい笑みを浮かべて見せた。政府と癒着した警察から協力者として紹介されたあの警官は、ホルスト卿に扮した俺に様々な罪を糾弾していったが、実はあの時に上げられた罪は一から作り上げた完全な空想ではなく、全て一部の政府要人達によって実際に行われていた行為だったのだ。その罪をこれ幸いとホルスト卿に擦り付けただけのこと。これは俺の個人的な都合上必要な準備であり、計画を立て始めた段階で俺の方から提案したのだが、この紳士はそれがお気に召していたらしい。実に機嫌が良さそうだ。俺は彼の様子を伺いながら息をついた。


「何はともあれ、我々の仕事に満足していただけたのならば結構だ」

「こちらの要求に全て答えて頂きましたからね。むしろ期待以上です。対価は約束通りに支払いましょう。また貴方という優秀な方に巡り合えたことも僥倖でした。貴方と仕事をするのは今回が初めてでしたが、今後とも懇意にさせて頂きたいところです」

「信頼を得られたのならば、こちらとしてもこれ以上嬉しいことはない。是非、今後もよろしく頼みたい」

「そのお言葉を聞けて良かった」


 紳士はそう言い、俺は彼と固い握手を交わした。これで無事に密会が終了し、俺は胸の内に強く抱いていた軽蔑と嫌悪の念をこの紳士から隠し通すことが出来たことに自ら賞賛を送ろうと思う。俺は己のやるべきことを一先ず終えたことに安堵した。

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