第六話 舞台裏

 三


 衆人環視の中、武装した警官に捕らえられた俺は最後まで暴れ続け、弁舌による攻撃を止めることはなかった。尊敬や敬意の感情が一切見つからぬ、憎しみのみが込められた民衆の視線と罵声を浴びながら、俺は警官に引きずられるように護送車に乗せられる。手錠を嵌められながら喚きたてる俺の姿はまさに大罪人に相応しい有様であろう。そして連れて来られたのは警察署ではなく、政治機能を有する庁舎であった。そこは権威を示すという名分の下、馬鹿馬鹿しい程の財を投じられて建てられた建物であるため、もはや宮殿と呼んでも差し支えがないような豪勢な見た目をしている。まさに莫大な富と権力が一ヶ所に集中した、この国の独裁政権の象徴とも言えるだろう。

 俺は緻密かつ豪壮な門を警官と共にくぐり抜け、民衆の目が確実に途絶えたことを確認してすぐさま、袖の中に隠し持っていた道具で己の手に掛けられた手錠を開錠した。一瞬にしてそれはカシャリと音を鳴らしながら床へと滑り落ちる。その一連の流れを見ていた警官が床に落ちた手錠を拾い上げながら、「これは、鮮やかな技量ですな」と感嘆の声を漏らした。俺は自由になった両手の手首を軽くさすりながら「このような物は何時までも嵌めていたいものではない」とだけ返して、そのまま軽く咳払いをする。無理矢理声を変えていた上、あのように大声を発していたせいで、随分と喉の調子が悪いようだ。普段とは異なる掠れた声のまま一言「案内を頼む」と端的に言えば、警官は慇懃に頷いた。


「どうぞ、こちらへ」


 俺達は人払いがされた廊下を進んだ。どこもかしこも一般庶民であれば生涯目にすることのできない貴重な芸術品で飾られ、一面が煌びやかで目が痛くなる。ここに唾を吐きかけるだけで随分と爽快な気分になれそうだ。そんな俺の内心など露知らず背筋を伸ばして堂々と歩く警官の後を追えば、連れてこられたのは廊下の突き当りにある比較的落ち着いた意匠の扉の前であった。警官に視線だけで促され、俺は何の合図を鳴らすことなく無言で扉をガチャリと開けて中へ入る。背後で警官が廊下側から扉を閉める音を聞きながら、俺は一人で部屋の奥へと進んで、中央に置かれたソファーへと腰かけた。対面には一人の紳士が既に座っており、礼儀作法を無視した俺を咎めることなく笑顔で俺を迎い入れる。


「お久しぶりですね。お待ちしておりました」


 彼は朗らかな笑みを俺に向けながら、優雅にティーカップを傾けていた。


 *


「私が手ずから用意した紅茶をどうぞ。我ながら中々の出来でして」

「結構だ」


 喉を潤したい気分ではあったが、何が盛られているか分からないものをそう容易に飲むものか。即答した俺に彼は「そうですか、それは残念です」と少しも残念そうにせずに一人で紅茶を楽しみ始める。俺はジッと彼を見つめた。誰が見ても明らかに仕立てが良いと分かる洗練されたスーツに、手の先から足の先まで無駄のない上流な仕草。俺は彼の地位を具体的には知らないが、何も聞かずとも彼が政治の上層に位置する人間だと察せられる。そして勿論、俺が以前彼と対面した時に持ち掛けられた取引から、彼が上層も上層、政府の頂点に近い人間であることは明らかというものだ。

 彼と顔を合わせるのは本日で二度目だ。


「名演技でしたね」


 ティーカップを置いて穏やかに世間話を始める紳士に、俺は無表情を保ちながら口を開く。


「先程のやり取りを見ておいでで?」

「えぇ、ここの窓からね。双眼鏡とは便利なものです。声まではさすがに聞こえませんでしたが、会話は全て私の部下に書き取らせましたから内容も把握していますよ」


 彼はそう言いながらそばに置かれていた書類の束を軽く振って見せた。俺が大広場で警官に抵抗している間に、彼の部下は速やかにここまで移動して彼に報告書を提出したのであろう。


「計画は事前に貴方から聞いておりましたが、貴方の演技力までは知りませんでした。変装の腕も目を見張るものがある。今もまるで、ホルスト氏本人と対面しているように思えます」

「貴殿にこうも手放しで褒められるとは驚きだ」

「貴方は私をどうお思いで? 満足した結果を得られたのですから当然のことですよ。貴方に依頼して本当に良かった」

「まだ全ての計画が実行された訳ではないというのに気が早いお方だ」

「最後の手も既に手配済みではありませんか。これで完遂と言って差し支えないでしょう」


 彼はそう言って報告書とは別の紙を取り出し、湯気を立てるティーカップの横にそれをパサリと置いた。それは数枚に渡る紙束であったが俺は事前に目を通している上に、そもそもその内容は俺が主導して書かせたものであるから今更読み返す必要はない。俺はその紙束を手に取ることなく、一番上に乗せられた表紙部分だけに目を向ける。

 ——『慈善家と呼ばれたホルスト卿の明らかとなった本性』

 改めて紳士に視線を戻すと、彼は心から満足そうな表情を浮かべていた。


「明日にはこの記事が世間に発表されるのでしょう?」

「わざわざ俺の方から用意せずとも、間違いなくどこかの記者が記事にするだろうが」

「少しでもホルスト卿を擁護する記事であれば我々が検閲で弾きますから、こうして我々にとって都合の良いことしか書かれていない記事を用意するのは当然のことです。貴方が内容を考えたこの記事の発表は、我々が責任をもって後押ししましょう」

「貴殿の手に掛かれば直ちに国の隅から隅へと行き渡りそう故、誠に頼もしい限りだ。——それにしても」


 俺は一呼吸置き、出会った当初から上品で優美な印象を崩さないこの紳士に続ける。


「既に死んだホルスト卿をここまで徹底的に貶めたいとは驚きだな」

「おや、人道に反すると非難なさるおつもりかな?」

「まさか、人道を解さぬ振る舞いは生憎こちらの専売特許でね。金になるのならば如何なる仕事も大歓迎だ」


 俺がそう言うと、彼は「悪道に関しましては、そちらの方が一枚上手のようですね」と笑った。

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