具体的に目指すべき姿

 前回のエピソードで「単純な異世界ファンタジーは飽和状態なので、ミステリーやホラーと掛け合わせること」を提案しました。「言うだけなら簡単だ」という声がありそうなので、私ができうること、もう少し踏み込んだ話をします。



 具体的にはどういうラノベミステリーが良いのか。私見ですが、殺人より日常的な謎を扱う方が良いと考えます。殺人を扱うと話自体が重くなりますし、ある程度のトリックが必要になります。トリック自体は既出のアイデアに少し捻りを加えればいいのですが、これがかなり難しいです。これができる人は公募に軸を移してください。ミステリー好きとしてのお願いです。



 では、日常的な謎はどうやって思いつくか。私が思うに、謎とは思いつくのではなくだと考えます。


 例えば通勤や通学であなたは道を歩いているとします。その時、何に意識を向けるか、これが重要です。


 例えば後ろから誰かの足音が聞こえてきたとしましょう。この時、私はどのような人物の足音か考えるゲームをしています。カンカンという音ならば「ハイヒールの音だ」と仮定し、歩くスピードが早ければ「若い女性に違いない」と推理します。

 しかし、これが当たることは少ないです。そんな時はがっかりするのではなくを突き詰めます。推理したからには何か根拠があるはずです。それが外れたということは何かしらの思い込みがあったに違いありません。そこを突き詰めるのです。



 話は変わりますが、みなさんは当然シャーロック・ホームズをご存知かと思います。ここにも日常の謎が潜んでいます。ホームズは初めてワトソンに会った時、職業からなんでも言い当てました。ワトソンは不思議に思うのですが、ホームズは観察によって言い当てているわけです。観察するという行為は漫然と見るのとは違います。先に挙げた「足音当てゲーム」も観察の一種です。


 ですから、日常の謎は思いつくのではなく見つけるものだというのが私の主張です。



 この創作論は「ラノベ界の現実を数値で分析する」のが目的でした。しかし、暗い話だけでは面白くないでしょう。そこで次回からは「創作に関するあれこれ」を書くつもりです。どれくらいのスパンで書くのかは未定ですから、首を長くしてお待ちください。



追記

 日常ミステリーのラノベについて具体例がないか考えたところ米澤穂信先生の『氷菓』にたどり着きました。

 「氷菓はラノベじゃない!」という反論があるかと思いますが、『氷菓』は角川スニーカー文庫より刊行されています。その後、角川文庫からも出ているのでややこしいですが、米澤先生がラノベ系に応募しているのですから、少なくとも米澤先生自身はラノベである、と定義、認識されています。


 また、私が主張した日常系ミステリーは米澤先生が既に書かれているのですから、私の主張は約20年遅れていることになります。『氷菓』の発売は2001年だからです。


 しかし、前のエピソードで触れたタピオカのように、流行って廃れたあとに10年、20年経ってから再度流行ることもあります。日常系ミステリーが再び流行ってもおかしくないと思います。

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