任務完了

駒井 ウヤマ

任務完了

 男には三分以内にやらなければならないことがあった。

「はあ・・・はあ・・・」

 息も絶え絶え、酸欠で視界にはチカチカと点滅し、そして右手で抑える腹部からは絶え間なく紅い液体が溢れ出る。その液体は腹部から、そのまま太腿を伝い軍靴を満杯とし、重い足を更に重くしていた。

 しかし、彼にはやることがあった。それだけを心の支えにし、男は引き摺りながらも歩を進める。

「はあ・・・」

 チラ、と時計を見る、時間は無い。霞む目で捉えたタイマーの残り時間は、残り二分。だが、もう大丈夫だ、男の求めていたものは今、その眼前にあった。

「は、はあ!」

 ドサリ、と男は体を椅子に預ける。しかし、ゆっくりしてはいられない。男がここまで来た道のりは、引き摺った足から垂れた男の血液が道標として残されている。きっと、追手の連中はそれを頼りに男の居場所を容易く突き止めることだろう。

 なんとも残酷な、ヘンゼルとグレーテルではないか。

「あ・・・あ・・・」

 男は残された体力気力を総動員し、上体を起こす。その椅子の前に置かれた机の上には何とも無機質で、それでいて単純な物体、真っ赤な掌大のボタンが鎮座していた。一応、それ以外にもモニターや操作用のコンソールは備え付けられている。しかし、モニターはこれまた真っ赤な字で『自爆シーケンス:発動』の文字が表示されているばかりで、コンソールは操作を受け付けず、又、男がそれを行う必要も無かった。

「よ、良し」

 モニターの文字を確認し、軽くボタンを触り起動出来ることを確認した男は、軽く安堵の息を吐く。それと同時に口から零れ落ちた血が周囲を更に朱に染めるが、そんなことは今の男には寸も考慮に入れる必要性を感じえなかった。

 男に残された任務は残り一つ、男に委ねられ、油断により満身創痍に至らしめてしまったこの鋼鉄の貴婦人を虜囚の身とさせることなく、名誉ある戦死を遂げさせること。それには、同じく満身創痍の男が適任だったし、それでなくとも男は生きて還る気はサラサラ無かった。

「・・・ん」

 男は手を握り、ボタンの上に置く。残された時間はあと一分。

 何故だろうか、ゆっくり進んで来て、緩慢な動作をしているはずなのに、男の中で流れる時間と実際の時間には驚くほどに相違が無い。

「おい、こっちだ!」

 男の呼吸音と艦内部に流れる警告音以外の音が、彼の耳朶を打つ。そして後ろの通路、男が通ってきたそこからはバタバタと乱雑な足音が複数こちらへと迫って来ている。

「お、遅いな」

 男はニヤリとほくそ笑んだ。男の艦を襲撃し、男の部下を殺し、男の艦を自走不能とした憎き敵が、最後の最後で男に後れをとる。それが今の男には堪らなくおかしくて、堪らなく嬉しい。

「いたぞ!いたぞ!」

「こ、コイツ!?」

「止めろ!い、いや、撃て!撃ち殺せ!!」

 背後に迫る侵入者たちが、ガチャガチャと銃を構えてこちらに向ける。この段に至ってまだそんな悠長なやりとりを行う連中を嘲笑いつつ男、マクシミリアン・フォン・ヘッツェンドルフ艦長は有らん限りの力を振り絞り、その拳を振り下ろした。

「任務・・・完了、だ」

 そうマクシミリアンが独り言ちるのと、椅子の背もたれを貫通した弾丸が彼の肉体をズタズタにするのと、暴走した熱核反応炉が大爆発を起こしたのは、奇しくもほぼ同時だった。


 西暦3084年10月、新生オーストリア帝国陸軍旗艦、ヴィクトール型陸上戦艦カイゼリン・エリザヴェト、轟沈。

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任務完了 駒井 ウヤマ @mitunari40

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