第30話「何かを言われることには慣れているの」

 連休中は練習前の朝のミーティングで、鶴岡シニアの動画を皆で見る。続いて秋田鹿角シニアの動画。念のため喜多方シニアの動画も。

 そして、姫宮がいる滝岡シニアの動画をじっくり見る。


「三回戦を勝たないとベストエイトになれない。こないだみたいにならないようにね」

「はい!」


 全員の覇気のある返事が小さな室内に反響した。


 朝のミーティングで滝岡シニアの話をいつもよりたくさんしたせいだろうか。

 青空の下、キャッチボールをしている草薙の元気がなさそうに見える。滝岡シニアとの再戦に向けてやる気に溢れる遠園シニアだが、それは姫宮との再会を意味する。


「あの、草薙さん」


 休憩時間に声をかけたときには、草薙はいつもどおりの冷静な空気に戻っていた。いつも、といってもまだ一か月間の草薙しか知らないのだが。四月の割に暑い日だ。グラウンドは乾いていて色味が薄く見える。


「どうしたの?」


 淡々とした問いかけに、友樹は気を遣ったことを言える余裕を削がれた。草薙の感情が見えない。


「いえ、あの」


 何か前置きをしてからのほうがいいと分かっている。分かっているのだが、それすらも余計なことのように感じた。


「姫宮さんのことで聞きたいことがあります」


 草薙がやや、まぶたを上げた。


 本当は凄く緊張しているのだが、友樹はそれを出さないように努めた。聞く側がおどおどしては駄目だろう。


「何を聞きたいの」


 草薙は再び淡々とした様子に戻った。


「岩手県一年生大会の決勝が滝岡シニアでしたね」

「そうだよ」


「やっぱり姫宮さんも出ていましたか」

「もちろん」


 うーん、と友樹は腕を組みそうになったが草薙の前なのでこらえた。草薙の感情が一切見えないので、とても聞きにくい。


「それが何か?」


 促してくれているのか、これ以上聞くなと言っているのか、曖昧だが、この流れに乗るしかない。


「その時も姫宮さんは色々言ってきたんですか?」

「そうだよ」


 やはり。福山の怒りかたと檜のうんざりした様子から、初めて言われたわけではなさそうだと思ったのだ。


「その時になんて言い返したんですか?」


「何も言わなかった」


「え?」


 友樹は驚いて、言葉が続かなかった。その様子を、草薙がグラブを撫でながら見た。


「何かを言われることには慣れているの」


 草薙がグラブを叩いた。


「ほら、休憩終わり。また続けるよ」

「はい!」


 走ってキャッチボールの位置に戻った。あれ以上は何も言えない。


 友樹にとって草薙の送球は好きな軌道だった。捕ったときのグラブの音がいいのだ。女子の中では強い肩をしているのに、肩だけに頼らないきめ細やかな技術で投げているのもいい。


 力ではないものが武器になるとき、友樹は野球への愛を改めて感じる。身体能力が必須なのに身体能力ありきではない野球のバランスを愛している。


 キャッチボールが終わった。友樹がいい気分でドリンクをごくごく飲んでも、草薙はいつもと同じで感情が読みとれない顔だ。草薙さんはあまり楽しくなかったのだろうかと、今はあまり思わない。

 もう慣れたのだ。拙いキャッチボールはしていない自負があるのだから、心配などいらない。


 草薙はきっと、悪くなく思ってくれている。


「あの、草薙さん」


 キャッチボールをして体を動かして心が緩んだせいだろう。


「どうして姫宮さんに言い返さなかったんですか」


 友樹の中に甘さができていた。


 草薙の視線を浴びて、はっとする。

 ステップし過ぎて乱暴な送球をしてしまったような気持ちになる。ボールが手から離れた直後にしまったと思っても、もう遅い。


 失言したかもしれないと、友樹はすぐに血の気が引いた。先輩に対して、無遠慮に踏みこみ過ぎていた。


「何かを言われることには慣れているって、言ったでしょ」


 それは多分、答えになっていないのだ。草薙は送球すらして来なかった。

 友樹は既に乱れていた。


「言えば、あんなことを言うのを止めてくれるかもしれないじゃないですか」


 一旦調子が狂えば、リズムはなかなか戻らない。また失敗を重ねたと、自覚はしているが、もう滑りだしてしまった。


「何も言い返さないから言われるんじゃないんですか」


 ついに草薙は眉をひそめた。


「何を言っても無駄な人はいる」


「お父さんとお母さんですか」


 草薙が目を大きく開き、硬直した表情になったのを見て、友樹はまたしても、さっと血の気が引いた。


 一体俺はどうしてしまったのだろう。心臓がうるさく鳴りだす。


 新藤から聞いていた、断片的な、草薙が両親に野球をするのを認められていないという知識が、よりによって今、漏れ出てしまった。頭の片隅にあったはずなのに、急に出てきた。


「大志から聞いたの?」


「いえ」


「そう。まあいいよ」


 草薙はさっさと背を向けた。


「私にトスを上げてちょうだい」


「はい」


 それは、もう黙れと言う先輩の命令だった。


 一年生同士のティーバッティングよりも遠くの位置からトスを上げる。緩やかなトスのボールが、バットにぶっ叩かれてネットに食い込まされる。スイングの軌道は一切の無駄が削ぎ落されていて、最短の線を描く。金属音は破壊的。


 きっと草薙を怒らせた。友樹は無言でトスを上げ続けた。


 練習の終わりの後片づけで、ボールのカゴを倒してしまった。溢れ出たボールは放射状に転がっていって、一つ一つ片づけないといけない。


 草薙に対して言葉があふれた。元に戻るか分からない。

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