第8話「女子が野球をするのがそんなに珍しい?」

 ぼけっとしていた友樹は大志から小突かれた。


香梨かおりさんがどうした?」

「知ってるの?」


 かなり驚き、声が大きくなった友樹に、大志はどこか得意そうに、にやりとした。


草薙くさなぎ香梨さん。俺たちのリトルの先輩なんだよ。俺なんかたくさん一緒に自主練したんだぜ。お前とは違うのさ」


「女子が野球をやってるなんて凄いなあ」


「そういうことを言っていると追いつけないぞ。ほら、見ろよ」


 バットが力強く鳴ると同時に動きだす草薙の一歩目の反応のよさ。捕球する体勢が綺麗だ。

 友樹はどういうわけか、彼女の動きを引きよせられるように見てしまう。


 午前中は基礎固めが続く。


 草薙は二軍の中で平均以上に足が速かった。

 肩の強さは二軍の平均より僅かに下だった。

 だけど捕球と送球の間が誰よりも短く、肩の頼りなさを補ってあまりある。


 ベースランニングと投手の癖を盗むことが上手で、走塁と盗塁に長けている。

 総合してみると、とても頼もしい内野手だ。


 二軍の中ではトップクラスといえる。

 それらをたった半日で分かるくらいに友樹は草薙を見ていた。観察といってもいいほどだ。


「そんなに女子が野球するのが珍しいか?」


 お弁当の時間に、大志が眉を寄せた。


「初めて見たから」


 友樹が最も接する女性は母。友樹にとって野球は強い人が勝つもの。友樹にとって野球をする女性は異文化の存在だった。


「遠園リトルにはいたぜ。中学でソフトにいっちまうけどな」

「軟式にもいた。やっぱソフトにいく」


 意外と野球をする女子はいるみたいだ。草薙に対して過剰に驚くのはよくないのかもしれない。


 大志と茜一郎の弁当は空で、友樹は残り半分。こっそり見ると、草薙は二年生の男子二人と話しているところだった。弁当は既に空。

 友樹は危機感を抱いて、残り半分をかっこんだ。


 午後は一軍二軍混じってシートノックやシートバッティングなどの守備練習をする。


 気が抜けないが実践同様に動き回れる楽しい練習だ。体と胃が苦しくても、やはり楽しいものは楽しい。ボールを追いかけている間だけは平気だった。


 草薙のスナップスロー(内野手が主に使う投げかた。短い距離を素早く投げたいときに使う)は本当に綺麗で、全く力みがない。


 なぜ自分が草薙を観察かのように見ているか、友樹には分からなかった。ちらりと見えた草薙の顔は可愛いのか怖いのか、友樹には判断がつかなかった。


 今週の送り迎えは大志の父がしてくれる。


「今日は大丈夫そうだな?」


 友樹が吐いたから気遣ってやれと、茜一郎が大志に話しており、大志はエチケット袋を用意していた。無事にエチケット袋を使わず、コンビニに到着だ。


「自主練で体力がついたかな」

「香梨さんを見てたからだろうよー」


 大志は愉快そうにした。


「そんなに分かりやすかった? 怒られる?」

「怒られるよ」

「えっ」


 大志はそれ以上は何も言わずに、にやにやしているだけだったが、友樹は怖くなってきた。


 よく考えたら先輩の女子をじーっと観察するのはまずい。


 もちろん、練習の合間に観察していたので常にではないのだが、それでも気づかれた可能性はある。落ち込む友樹を見て大志は笑いをこらえていた。


 帰宅して、野球ノートを書く。四十冊目はもう、あと三ページになった。学ぶことが多すぎてページが何枚あっても足りない気がする。


 一年生大会の動画を見る。彼を見る。やはり二軍にはいないだろう。


 動画を見ていると草薙を急に思いだした。女子だということを気にするのは悪いだろうか。普通だろうか。


 翌日。大志の父に送ってもらい、遠園シニアのグラウンドに到着した。晴れているが、少し肌寒い日だ。

 二年生との試合の緊張を煽るような天気だ。

 ダイヤモンドをスキップするのは苦しいが、体が温まるので寒い日にはありがたい。


 一試合目が一年生対二年生だ。

 二試合目が二年生対三年生。


 二年生の負担を考えて、一年生対二年生は五イニングまでだ。二年生対三年生は通常どおり、七回まで。


 自分が戦えるのも楽しいが、上級生同士のバチバチ勝負も楽しみだ。あの人なら上級生にも勝てるのではないかと、友樹は早くプレーを見たくて気持ちが焦る。


 駐車場兼練習場に集まり皆でキャッチボールをしていると、ふと、隣に草薙が現れた。ただ隣に並んだだけなのに友樹には現れたと感じられた。


 彼女と目が合った。切れ長の目だ。二重で、怖いだけでなく可愛さも混じっていた。


「女子が野球をするのがそんなに珍しい?」

「えっ」


 目が合ったということは、草薙に気づかれるほど見つめていたということだ。


「すみません」

「まあ、いいけど」


 草薙がグラブの中のボールを見事なスムーズさで右手に持ちかえ、そのまますぐ体幹の力を使い柔らかく投げ返した。


「驚かれるのは慣れているの」


 あっさりと、淡々と言った草薙の様子を見ると、本当に慣れているのだと伝わってきた。


 友樹は一気に罪悪感がわいた。

 これまでも、変わったものを見る目で見られてきたのだろう。

 シニアに所属するだけで人目を引いてしまう。

 実力のためではなく。それはきっときつい。


「俺のチームに女子がいなかったから。すみません」


 言い訳はよくないかもしれないが、それでもしないよりはいいと思った。


 そして友樹は慌ててグラブの中に入れっぱなしだったボールを茜一郎に投げ返した。練習を疎かにしてはいけない。


「悪気がないならいいよ」

「はい。すみませんでした」

「気にしないで」


 そう言い、草薙の手から柔らかな流れで放たれたボールが、他の男子たちと同じ距離の相手のグラブにいい音を立てた。


 その音のよさに、友樹の気持ちが切りかわった。


 この人の実力は性別関係なく見るべきだと改めて分かったからだ。

 女子だからではなく、手本として見ることになれば何も問題はない。そう気づくと気分がよく、友樹の送球の力が増した。


 あっさり許してくれるなんて、草薙は優しい人なのかもしれないと友樹は思った。

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