ショート!
左原伊純
第1話「君が井原友樹くん?」
「絶対勝つぞ!」
普段ならもう少し威勢よく、「おー!」と返ってくるが今回はかなり弱々しかった。
「しっかりしろ! いつもとやることは同じだ!」
相手は市内最強の遠園中央少年野球チーム、通称中央。ユニフォームの赤が既に強そうだ。
友樹たち、東チームは最弱だ。ユニフォームは袖だけが緑でそれ以外は白。
「レベルが違ってもやること自体は同じ! まずはやってみよう!」
友樹の声は野球少年らしくなかなか勇ましい。それでもチームメイト達はしなっとしている。
普通に励ましても無理だと分かった友樹は、ふっと思いついた。
「じゃあ、俺がファインプレーを見せてあげる!」
その途端に下級生が顔を上げ、同級生も友樹に顔を向けた。
友樹は猫目を細めてにこりと笑う。
プレイボール。東チームが先攻だ。
チームの平均身長の違いに怖がる下級生をなだめつつ、友樹は相手ピッチャーを静かに観察する。
一番打者は五年生だ。震えている。
「大丈夫だ! 打て!」
相手の投球モーションが何秒か数えつつも、友樹は下級生を力一杯応援する。
三球三振。戻ってきた一番打者に「どうだった?」と聞いたが、
「凄かったです」
「そうかぁ」
ちっとも参考にはならなかった。
あっという間に三者三振。三人とも緊張しすぎだ。軟式の少年野球なので変化球はないのだが、皆は明らかなボール球まで振っているのだ。
「友樹、頼むぞ」
同級生のピッチャーに頷き、友樹はショートの位置につく。ピッチャーの背と打席に入る打者を見る。友樹は自分の位置の土をならす。
やっぱりこの場所が好きだ。監督にピッチャーをやらせられた試合もあったが、友樹はショートでいたい。
後輩を励ましていたときは明るかった瞳が、守備位置につくと威嚇する猫のように鋭くなる。
ピッチャーの怖気づいた球が中央の一番打者に捉えられた。かんっといい音が響く。
音と同時に一歩踏みだした友樹だが、打球は三塁線を越えたファールとなった。ボールの勢いがいいと感じた友樹は、一歩後進した。
第二球、またしても小気味良い音を響かせバットがボールを飛ばす。打球は三塁側のマウンド付近で大きくバウンドした。
友樹は前に走りながらバウンドに合わせて捕球し、止まることなく身を翻し一塁へ投げた。送球が、ファーストが最もキャッチしやすい位置に来た。
東チームがわーっと湧く。顔が明るくなる。対照的に中央チームは友樹の好守に目を見開くほど驚いていた。
一回が終わり、ゼロ対三。
二回表の打順は四番友樹から。
打席に入った友樹はとても静かで、仲間たちの声援も耳に入っていないようだった。
今までと違い、ボールをしっかり見ぬく友樹に手応えを感じたようで、ピッチャーの球速が増した。それをものともせずバットを振りぬき、友樹の打球はライト前ヒットになった。
ピッチャーのモーションが何秒かは既に分かっている。クイックの秒数を数え、隙をうかがううちに五番が見逃し三振となった。
六番打者への初球で友樹が盗塁し、一死二塁になる。
だがそこまで。六番、七番と凡退し、東チームは二回もゼロ点だ。
そのまま試合が進み、四回表が終わってゼロ対十七だ。どん底ムードの仲間たちになんて声をかけていいのか、友樹は迷う。
チームで一番うまいというだけでキャプテンになったが、やはりキャプテンには向いていなかったのかと、友樹は気にしていた。
友樹はタオルで汗を拭う。柔らかな髪がくしゃくしゃになる。丸い頬に伝う汗を拭き取った。
友樹は中央チームのショートを見た。背が高くしなやかな体で、はっきりした眼差しだ。彼が見事なダブルプレーを決めてから、東チームの士気はますます下がった。
「みんな、俺ももっといいプレーするから」
友樹は声を張った。明るい顔を作った。皆が顔を上げる。まだ弱々しい。
「俺がもっとアウトにするから!」
皆の顔が少しは明るくなった。
言葉で皆を笑顔にすることはできなくても、プレーを見せることはできる。
四回裏。マウンドに皆で集まる。四回裏を守り、五回表が終わればコールドだ。最後のマウンド。
「大丈夫。打たれたっていい。俺が捕るから」
ピッチャーが友樹にしっかりと頷いた。友樹はとことん内野の深い位置に構えた。
打球がピッチャーの横を抜け、三遊間に来る。深い位置にいた友樹はサードの横を突き抜けた強い打球へダッシュし、逆シングルでキャッチ、ジャンプすることで素早く体を反転させ、一塁へ投げた。ファーストの胸の前に寸分の狂いなく球が走った。
「ワンナウトー!」
友樹の叫びに東チームが盛りあがって、応える。
次の打者のセンター前に抜けようかという打球を、友樹が横っ飛びでキャッチしてアウト。ユニフォームに土を付けた友樹に東チームが盛りあがる。
「行くぞー!」
チームメイトも叫ぶ。
「行けるぞ!」
叫べるようになったチームメイトに友樹は全力で応えた。
二死走者無し。
左中間の浅い位置にボールが飛ぶ。曇り空の下、レフトが打球を見失い慌てたが、必死に背走してきた友樹が捕球した。そのまま転んだが、すぐに落球していないと審判にグラブを掲げた。
三者凡退に抑えられた最強の中央チームは驚いて友樹を見ていた。
「打ってこい!」
友樹はチームメイトのヘルメットを叩く。
「はい!」
負けは決まっていても、もう恐れはなかった。
最後の打者の空振りを見ながら、やっぱり俺はキャプテンには向いていないなと友樹は思った。プレーでしか皆を元気づけられない。もっとキャプテンらしく皆を鼓舞できたなら、もう少し早く皆を元気にできたかもしれない。
「ありがとうございました!」
試合後、みんな笑顔だった。
「やっぱ友樹はすげえよ!」
「そうかな」
友樹は野球が終われば野球少年とはまた違う、穏やかな声で話す。
「もっと強いチームにいけばよかったのに」
友樹は黙った。
確かに、そう思ったことは何度もある。
「でもこれからも続けるからね」
中学に入ったら野球部に入るし、高校でも続ける。行けたなら大学でも。友樹の中での決定事項だ。
「これからも続けるから、このチームでのことは無駄にならない」
「そっか」
もっと強いチームにいっていれば、もっと無駄にならないことがたくさんあったのでは。その追及をせず、友樹たちは納得していた。
〇
粉雪の降る日だった。友樹は公園で一人だけで野球の練習をしていた。
「君が井原友樹くん?」
友樹一人しかいない公園に、見たことのない大人が入ってきた。この地域にはいない身長の高い男だった。若く、体が引き締まっている。
友樹は軟式用のグラブを脇でしっかりと挟むように持ち、男から一歩距離を取った。友樹の顔が強張る。
しかし男はあっさりと、友樹の気持ちを考えないように距離を詰めてきた。
「遠園東少年野球チームの井原友樹くんだろう?」
「え?」
男はにこりと快活に笑った。見た目からして二十代のようだが、少年のように楽しそうな笑顔だ。
「中央少年野球チームの監督さんに話を聞いたんだよ」
「中央の?」
「あの試合の話をね」
男は希望のある顔で友樹を見つめた。
「それにしても、一体何の練習をしていたの?」
よそ者の若い男は好奇心を滲ませて聞いてきた。
友樹は右手にボールを持ち替えることをせず、グラブから直接ボールを滑り台の上の方にトス(下手投げ)していた。滑り台を転がり落ちてくるボールをグラブでキャッチし、またしてもグラブから直接トスするという、『グラブトス』の練習をしていた。
「面白いね。グラブトスなんてリトルでもシニアでも見たことないや」
そう言った男から友樹は露骨に目をそらした。
本当は、行けるものならリトルに行きたかった。この男はそれを知らないだろうが、あまりにも遠慮なく言われて腹が立った。
「……どなたですか」
友樹の声に僅かにとげができた。
「ああ、ごめんね」
男は少し申し訳なさそうに苦笑した。
彼はダウンコートのポケットから金属製の名刺入れを出し、友樹に名刺を渡した。マイナス七度のせいで名刺はよく冷えていた。
『遠園リトルシニア守備走塁コーチ 浅見渚』
友樹はすぐに顔を上げて浅見の顔をまじまじと見た。
「遠園シニア!」
「そう。君を誘いに来たんだよ」
浅見が手を差し出す。寒さのせいで赤くなっているが、大きくて頼もしい手だった。
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