第39話「破釜沈船の覚悟にて刃を構える」

 走馬灯のように浮かんだかつての記憶はそこで途絶えた。


 自分の人生だったはずなのに、自分のものではないように見えて、まるで現実味がない。


 今の自分を構成する、ライコウ自分の記憶。異世界トヨノハラにいた頃の、怪物と化した自分と妹との最後のいくさの記憶。


“……なぜ、今になって……”


 そんなものを見てしまったのだろうと他人事のようになる。


 出来の悪いスローモーションのように首めがけて振り下ろされる片手斧の刃が目に映る。このまま何もしなければ、恐らく自分の首は無様に斬り落とされ、絶命するだろう。


 それは仕方のないことだ。今回、自分は負けた。敗者は潔く死ぬものだ。


“……ああ、でも”


 ある老人の言葉を思い出す。


“己のするべきこと、優先順位を間違えるでないぞ?”


 つい昨日の事のように思い返す、彼の言葉。


「間違い、か……」

「!?」


 小さな呟きがこぼれ、半ば無意識に手に持った妖刀で、自身の首に向かって振り下ろされた片手斧を弾いた。


「貴様……。まだ動けるのか?」


 片手斧を弾かれたバーサーカーは小さく驚き、後ろに軽く下がって警戒する。


「……なに。まだ手足が動くんだ。ちょっと、昔のことをふと思い出して、今死ぬのは惜しいって思ったワケ」


 先ほどの老成した口調ではなく、外見相応の若者らしいもので彼はそう言った。


 妖刀を杖のようにして立ち上がり、吐血しながらも真っすぐにバーサーカーを見据える。


「死に際になってあんなものを見るなんてな……。自分で思っていた以上に、未練があった……。いや、ありすぎたって感じか」

「異世界にいた時の記憶を見ていたのか? 随分と呑気なことを言う。そのまま見ておれば、安らかに死ねたであろうに」

「いや、それがな。思っていた以上に安らかに死ねるような感じじゃなかったんだ、これが」


 彼の表情は先ほどまでの暗い、殺意に満ちたものではなく、どこか憑き物の落ちたような、この場に似つかわしくない爽やかなものだった。


「やはり解せないな。この世界での自分はかつての自分が見る夢と断言していたであろう貴様が、今更なぜ闘志を燃やす? そこまでの熱意をもって戦う理由が貴様にはないはずだが?」


 数日前に弦木家襲撃の時に戦った際、頼孝の口からそう聞いていたバーサーカーは疑問を投げかける。


「……そうだな。こうしてこの世界に戻って来た時、オレはあの世界で無くしたもの、切り捨てたもの、後悔や未練を忘れないために今生を夢だと思うことにした。でも……、振り返ってそうじゃないことに気づいたんだ」

「なに?」


 頼孝の言葉にバーサーカーは更にわからなくなる。


「未練も後悔を飲み込んで過去に生き続けるなんて、それは死んでいるだけのようなものだってな。……だが、“オレ多々見頼孝”の人生というものはまだ続いていることに、今更ながら気づいちまった」

「随分と本末転倒だな。どんな心境の変化だ」

「そう思うだろ? オレもわからない。だが、そうなったんだからしょうがないさ」


 気楽そうな笑みを浮かべながら、頼孝は妖刀の柄を握りこむ。


 剣道で言う所の中段の構え。初心に戻るように、頼孝は浅く呼吸をして静かに妖刀を構える。


「ゴチャゴチャ言う前にお前も構えろよ。決着はまだついていないんだろ? オレはまだやれるぞ」


 覚悟も何もかも決めたかのように、頼孝はバーサーカーに言った。


「……面白い。さっきので死ぬようであれば興ざめもいい所だった。第二ラウンドといこうじゃねえか」


 バーサーカーも腹から血を流しながら、戦いの愉悦に浸るように不敵な笑みを浮かべ、片手斧を頼孝に向ける。


 周囲に冷たい空気が流れる。狂戦士が自身の体に刻むルーンが全て起動し、彼の周囲には氷の結晶のようなルーン文字が浮遊する。


「“我が血脈に大神オーディンの加護あり。我が武勇は戦士の誉れなり”」


 口から出た言葉と共に人狼の体が膨れ上がり始める。両手、両足に嵌められていた枷に似た装飾品アクセサリーのようなものが壊れ、その肉体を変容させる。

 骨が軋み変形する物々しい音と共に体躯が増し、2mを遥かに超える巨躯となって見下ろす。


 手に持つ片手斧は刻まれたルーンの起動と同時に氷をまとい、今の彼が振るうに相応しい全てを打ち砕く両手斧と化す。


「“我が身は巨いなる獣の理ありき!” 異廻術イデア―――――――、戦狼大言ヒルドルヴ氷原外皮デュールヘズナル!」


 咆哮と共に、獣の狂戦士、あるいは怪帰者フォーリナーとしての在り方を表す、自己改造型の異廻術イデアを発動した。


「……自己改造でルーンの呪いを内側で自己完結させることで肉体の復元を優先とし、簡易的な領域の展開を可能とするものか……。地脈と同調することで更に氷結の影響力を増すというアイデアかな、これは」


 見上げるほどに巨大化したバーサーカーの姿を見ながら、頼孝は冷静に分析する。


 今の彼の精神はライコウではなく、多々見頼孝としての彼に変化スイッチしている。本来であれば動揺するはずだったが、負傷による危険意識と自己暗示によって動揺しないようにしていて、比較的落ち着いている。


「この姿になっタ以上……、もうヒトには戻れネェ……。正真正銘、これが最後の戦ダ……」


 鼻息を荒くして、今にもはち切れそうな全身の筋肉と威圧感を見せながらバーサーカーは言った。


「そうか。なら、本当に仕切り直しだな。こっちはこっちで最後は退屈だったなんて言われたら色々と立つ瀬がないんだよな」


 自分は足止めを任された。今も自分の成すべきことを成そうとして、走り続けている人がいる。


“そうだ。オレはきっと……”


 かつて異世界で自分が失望と諦観の中で捨ててしまったもの。

 良しとしたはずなのに見失ってしまったもの。


 -----かつて自分が心から守りたいと思えた、人々の笑顔。


「なんだ。初めからちゃんとあったじゃないか。オレが、なんのために異世界に行ったのか」


 頑張り続ける“誰か”のために、力を持った者として生きること。


 それが、異世界で一度生涯を終え、再びこの世界に戻って来た理由なんだと頼孝は納得した。


 ……そのように最後まで生きられたのなら、そうしたいと思った幼い過去


「……ここで死んだら、あっちの世界の寝床で目覚めているとか、そんな都合の良いはねえだろうな。だから、今度はちゃんと前を向かないと」


 過去を向いて悔い続けることをやめることは出来ない。

 でも、心は後ろ過去ではなく、明日を向いている。


 だからこそ。


「オレは、今度こそ自分の過去から目覚める」


 決意を胸に、妖刀の柄を強く握りしめる。


 体内の魔力の循環具合も少しは戻って来た。周囲の汚染された魔素では体内の魔力変換の効率も悪いので補給は期待できない。


 本当の意味で背水の陣。これ以上の長期戦は不可能。


 しかしそれはバーサーカーも同じだ。異廻術イデアで変身したバーサーカーは周囲の霊脈と接続し、魔素を強引に自分に補給しているが、頼孝はライコウとしての経験からそれは過剰に魔力を供給することで暴走状態に入っていることも把握している。


 長期戦に入った所で生粋の魔術師というわけでもないバーサーカーでは、器である肉体の方が持たない。ルーンによる呪詛で肉体を復元させることが出来たとしても、汚染された魔素を変換した魔力を使用している状態では体内に呪いが蓄積されていき、内側から壊される。


 どちらも互いに限界が近く、どちらかが先に倒れるかの戦いとなる。


「フゥゥ……、その意気や良シ! 我が名は、ラグヴォル。かツて『霜の民』の王にして大神・オーディンに認めラレし狂戦士ベルセルク……。此度の戦にて、数多の流血を持っテ、我が本懐を果たさん……!!」


 名乗りと共に、狂戦士は咆哮を上げ、斧を持って大きく構える。


「そうか。決死の覚悟で戦うのはお互いに同じ。今度こそ、ここでお前を斬る!」


 狂戦士を見上げ、頼孝は雷を迸らせ、地面を蹴った。

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