第33話「悔恨を超えて」
2025年 4月8日
江取家本家の敷地内はその魔術事情から、その多くが森林地帯となっている。
彼らの扱う魔術、もとい呪術は犬神。西洋における降霊術に相当するものであり、動物霊を使役して他者に呪いをかけるという呪術である。
そしてその性質上、犬神の呪術はその動物霊の基となる犬を飼い、年月を経たら殺し、自身の使役する動物霊として使役するというものであることから、江取家には供養のための墓が数多く存在している。犬神の術者は呪詛返しによる犬神の影響を防ぐために墓を作るのだ。
だがその犬神となった犬たちの霊は退散することなく、作られた墓に留まり続け、元の主の命令のままに土地の霊脈に縛られた地縛霊としてあり続ける。
元がそういった負の想念によって成立している霊体である以上、怪異に変化してしまうことだけは避けられない。故に江取家は本家周辺の霊脈管理・制御を外部の人間に触らせるということだけは絶対にしないのである。
「……なんなのだ、これは!? 一体、父上は正気なのか!?」
江取家本家の墓所森林手前の入り口にあたる「
「うーん、これはちょっと危険ね。霊脈の流れにとてつもない異常をきたしているわ。とてもじゃないけど、割と無謀かも」
修道服に身を包み、左手に自分の得物である太刀を入れた竹刀袋を持った
「ここまでの怨念……。こんな汚染された魔素が外部の霊脈を通してに流れ出たら、動物型の怪異たちが大量発生しかねないぞ。龍脈で一体何が起きているんだ?」
多々見頼孝は退魔としての性質が出始めているのか、普段の青年らしい雰囲気はなく、老練とした武者としての殺気だった雰囲気を醸し出していた。
「恐らく、最深部の本堂にある龍脈の制御陣を父上は解除したに違いない。この敷地にある内因結界は、呪いが外に出ないよう内側に押し込めることに特化した結界だ。それを解除したとなると、もうこの寺だけでは押し留めきれない。遅かれ早かれ決壊する」
「つまり、寺の向こうは押し寄せる呪いの海状態で防波堤的なこのお寺も限界……。決壊寸前のダムってわけ。対呪詛防御を持っていない人間が足を踏み入れたら、あっという間に汚染されてまともに戦えなくなるだろうし、これじゃ機関の連中を中に突入させることなんて出来ないね」
公則の言葉を基に柚希は冷静にこれからの流れを思案する。
留方寺は犬神となった犬たち動物霊を供養するために作られた寺であり、墓所である森林地帯に滞留する汚染された魔素が外に漏れないようにするための防波堤……森林地帯を覆う内因結界の要石としての役目を果たしている。
それが江取家現当主によって龍脈の制御陣が解除されたことによって、浄化されないまま漂っていた汚染された魔素が霊脈の流れに乗って外部に漏れようとしている。それを一つの寺だけでは耐え切れなくなってきており、このまま放置しておくと結界内に溜まりこんでいた呪いが外に漏れ、一般人の生活圏内に怪異の大量発生が起きてしまう。
「公則さん、一つ質問があります」
「な、なんでしょうか?」
案を思い付いた柚希は公則に言った。
「あくまで仮の話です。私個人の見立てですが、貴方は呪術師としての腕前は優れていると見ました。それを踏まえた上で質問をします。――――――江取家の龍脈の制御陣、貴方ならいかがなさいますか?」
「……それは」
彼女の口から出た言葉は公則を試すようなものだった。
江取家直系の血筋である公則は多くの失望、多くの諦観を向けられ、江取家から自ら遠ざかった。いつまでも自分に自身を持つことなんてないし、死ぬまでないとも言い切れる。
今でもそれは変わらない。逃げられるものならいつでも逃げたい。ここまで事態が大きくなってしまった以上、自分に出来ることなんて何もない。
それでも―――――。自分の力を見込んで、自分なんかより遥か上の立場にいるはずの、年下の人間が自分に問うている。
「……できる。江取家直系の僕なら、制御陣に干渉することが出来る。だが―――――」
口から出たのは、自信のなさげな回答。制御陣への干渉も子供の頃にやった時以来、触れることすら出来なかったが、干渉そのものは出来ないとは言っていないとも言える曖昧なもの。
「オーケー! それならそれでよし! 多々見君、早速突入準備をするわよ!」
「ちょっ!? まだ僕は完全に出来るとは言っていないぞ!?」
二つ返事というべき早さで納得した柚希に公則は激しく困惑する。
「いやいや、干渉出来ないわけじゃないんでしょ? 貴方以外の江取家の人間があちらに取り込まれていないなんて保障はありませんし、万が
「だが……、僕は……」
公則の脳裏に浮かぶのは、子供の頃の記憶。
彼は呪術師としての腕前は兄と特に変わらず、どちらかと言えば優秀な方ではあった。だが心構えだけはどうしても出来なかった。
それゆえに早い段階で江取家の次期当主候補として名前にすら上げられず、周囲からは常に蔑まれていた。本人はそれで良しとしたし、これ以上悲しい思いをしないで良いのなら、それでよいと考えていた。
卑怯者、未熟者、なんだと言われてもいい。だからこそ距離を取っていたし、表向き一般人として経営には携わり、今の妻にも出会って、子供が出来て育てて巣立っていき、最後には妻と共にゆっくりと余生を過ごすつもりだった。
それでも頭の中に浮かぶのは、子供の時に受けた仕打ちの数々と一番辛かった頃の記憶。それが、見えない足枷となって、彼の決断を鈍らせている。
「公則さん」
そんな彼に、頼孝は声をかけた。
「オレは、オレはアンタの決断を尊重する。こんな事態、普通の人間なら誰だって逃げ出したくなるし、ほんのちょっと魔術とか使えるっつったって、怖くて逃げだしたくなるって時はある。今回ばかりは、ちょっとばかり
頼孝は外見不相応の口調で語る。
彼の言う通り、今回はあまりにも事態が重すぎて公則個人の手でもどうにも出来ないというのは百も承知だった。それは言わずとも事実だ。
「だけど、いつだって決断しなかったから失って後悔することもある。今がそうだとしても、後で自分が納得できればいい。少なくとも……
「――――――」
まるで、既に違う人生を経験したかのような言葉に公則は息を呑み、かみ砕き、納得した。
そして不覚にも――――――、全身の血が熱くなったような、そんな錯覚を覚えてしまった。
「……ああ、そうだったね」
後悔や失念に晒され続けた日々の中でも、大切だった記憶だけは薄れない。
それを燃料に、彼は静かに服の下に隠していたペンダントを取り出す。
「決断しなかったから後悔をする、か。確かに、その言葉は僕にとってはちょっと重すぎるね。……うん。今度こそ、僕は逃げないでもう一度前を向くことにするよ。例え……この子が許してくれないとしても」
取り出されたペンダント……犬の牙を加工して作られたそれは、いつまでも光を反射させるように艶を見せ、公則の手の上で輝く。
「我が身を祟りて形を成せ。
決意と思いを胸にペンダントを握りこみ、呪文を唱えた。
すると、ペンダントに宿っていた人魂のようなものが出てきて、それが公則の目の前にふわりと浮かぶと、その形を顕現させる。
現れたのは、狩衣のような装いをした霊体の犬獣人に似た姿をした式神だった。
「……ユメマル」
そんな、黒の柴犬の顔をしたゆらりと揺れる式神……もとい犬神に対して公則は溢れそうな気持ちをこらえながら、真っすぐに見る。
「許してくれとは言わない」
静かに歩み寄る。自分の全てを彼に委ねるように。
「虫の良い話だとわかっている。君を殺したあの日から、僕は君に何度謝れたら良いのだろうと考えていた」
子供の頃から抱えていた思いと後悔を懺悔のように口にする。
「でも。今度はもう間違えない。これが最期になろうとも、今度だけは絶対に間違えたくない。だから……力を貸してほしい」
その言葉と共に、式神の手の届く位置まで公則は近づく。
狩衣の袖から見える両腕の爪は振るえば公則の首は即座に飛んでいるだろう距離。
だが……。式神……ユメマルは首を横に振った。悲しくも、どこか嬉しそうな顔をして公則に右手を優しく差し出した。
「……ありがとう」
差し出された手を取る。霊体であるにも関わらず、微かに触れたその手は、子供の頃一緒に育って触れ合った時のように、とても温かった。
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