第31話「燃え尽きる前の蠟燭」

 灼華御前こと、志村しむらあかねの人生は最初から詰んでいたと言ってもよいだろう。


 彼女の両親は一言で言えば親になるべき人ではなかった。


 両者はお互いに未成年に交際し、その際にあかねを妊娠してしまい、彼らが通っていた学校を退学処分させられた。


 父親は責任を取ることを嫌い、母親を置いて娘の出産にすら立ち会うこともなく、入院している間に姿をくらました。

 母親は両親に助けを求めたが、非常に厳格な家であった彼女の両親は孫の存在すら認めず、絶縁されてしまった。


 娘の出産に借金をした挙句、絶縁されたあかねの母親は水商売でしか娘を養う手段はない。小さなアパートの中で彼女たちは暮らしていた。


 だが、そのような状況であっても母親は自分の親としての責務を果たそうとは特に考えなかった。自分を養ってもらうための旦那探しとして、幼い娘をアパートに置いて夜遅くまで出ていくことも多かった。


 そんな生活の中でまともに子育てをしてもらえなかったあかねがグレるのも時間の問題だったし、中学生になった頃にはもう立派な不良になっていた。


 親の愛情なんてまともに受けず、周囲に頼れる人も手を差し伸べる人がいなかった彼女にとって、周囲との人間関係は「利用することが出来るか出来ないか」という極めて打算的なものでしかないし、そもそも自分のためにしか行動しない。


 そんな、物心ついた頃から蔑ろにされてきた彼女にとって、ある疑問を抱かせるには十分だった。


“どうしてアタシは人間なんかに生まれたわけ? こんなんだったら最初から猫とかにでも生まれた方がよかった”


 同級生を恐喝し口封じした上に金銭を盗んだ。

 それを咎めた教師は、意図的に痴漢冤罪をかぶせて破滅させた。

 気に入らない同級生の男を奪い、その財産を言葉巧みに搾り取った後に捨てたりもした。


 自分を正当化し、なにをしようとも自分の境遇を改善しようとか反省をしようとも微塵も考えたことない。なにしろ、


 だが、ある意味神様はよく見ていると言えるのだろう。


 中学校の卒業式の日、彼女の犯行を咎めたことをきっかけに彼女に冤罪を被せられた教師により、帰り道を狙ってワンボックスカーで轢かれたのである。






 目が覚めると、“彼女”はそこにいた。いや、正確には物心がついたと感じた時に思い出したとも言うべきか。


 自分の体が違うものになっていた。自分の体が、まるで猫の獣人のような姿をしていた。

 あまりにも意味のわからない状況に流石の彼女も困惑した。違う世界にいるばかりかヒトの姿すらしていなかったし、言葉に出来なかったが不思議な力を宿していたのだから。


 だが、そんな状況下であってもわかることはある。


 この世界でなら、自分の人生をやり直すことが出来ると。





 自分が目を覚まして場所……いや世界の名前は「トヨノハラ」と呼ばれる遥か遠い昔の日本によく似た世界だった。

 そして“彼女”は「妖」と呼ばれる、その世界の人間の敵対する存在になっていたのだ。どうしてそのようなことになったのかはわからないが、そういうものだと納得することにした。


 というよりしっくりきた。なにしろ、地球でははぐれ者でしかなかったし、この時から既に人間嫌いになっていた彼女にとって人間じゃない姿であっても、特に問題がないと感じていた。


 それこそ自分以外の者たち……人間は虫けらと呼ばんばかりの振る舞いを続けた。自由気ままに、かつて地球では出来なかったこと、自分を縛るものなんて何もないと声高らかに上げ、「妖」たちを束ね、人間たちを相手にした盗みを数多く働いた。


 だが、ある日を境に転機が訪れる。


 それは、彼女の噂を聞きつけた一人の人間の退魔士……、焔涯が女の住まう山に押しかけ、悪行を食い止めるためにやってきた。


 そして……、どういうわけか彼女はその退魔士に一目ぼれをしてしまった。勇ましく挑んでくるその姿に、ほとんど理由なく一目ぼれだった。……余談ではあるが、元の世界で彼女の母親が父親と結婚した理由は一目ぼれで付き合い始めたその日にいたしたのである。血は争えないとはこのことであろう。


『御山に住まう妖女よ。今までの悪行を悔い改め、神妙にお縄につかれるならば、命は取らぬ。選ばれよ』

『はい、喜んで!』


 ……このように、あまりにも後先をほとんど考えずにそんなことを言ってのけたのである。


 男はあまりに女が素直に言うコトを聞いたために、女の話を聞こうとした。


 彼は誠実な男だった。一度刀を抜いて殺意を放てば無慈悲に妖を斬る武人だった。その武勇は人界において知らぬ者はいないと謳われるほどのものであり、この頃の彼女がもし殺し合ったとしたら敗北していたであろう。


 女は男に自らを「灼華御前」と名乗った。知識についてはこの異世界で効率よく、上手く盗みを働くためにこの世界での知識を知るために盗んだ書物を読み漁ったりすることで世間を知ったりすることが出来た。

 同時に自分のように低級の妖を率いるような上位の妖が存在し、様々な悪事を働いているということも、この時点でよく知っていた。


 そのため、女は「聡明で狡猾な妖女」の自分を演じ、男に様々な知恵情報をもたらした。


 その内容は端的に言うと他の妖たちを売るというもの。自分にとって利益のならない、あるいは邪魔でしかないものたちに関する情報を提供し、供に皆殺しにすることにした


『あい、わかった。だが、ゆめゆめ忘れることなきよう。悪行にはいつか報いを受ける時が来る。それがしと共に来て討伐の手助けをするというのならば、その全てを行動で示されよ』


 女の魂胆を見抜いていた男は釘を刺すように言った。当然、女もそれに同意した。


 それ以降はある種の冒険の連続だった。

 元々一人で妖を討伐する任務を請け負っていた男はとにかく実直でよく無茶をする男だった。そのため、鎧を着ていても傷は絶えなかったし、過去には命を落としかけたことすらあった。


『なぜ、そんな無茶ばっかりしているワケ? 無茶ぶりにも程があるでしょ。フツー、仲間一人や二人ぐらいはいるもんじゃない?』


 そんなことを女から聞いた男はこう言った。


『某は一応武家の者だがな。当主のめかけの子なのだ。そのような卑しき出自だが血が入っている以上、最低限の扱いをするということでこうしている。そんな、周囲にとって世間体の悪い存在である某に死んでほしくて仕方がないのだ』


 返って来た言葉は、あまりにもあっさりとした、あまりにも残酷な内容だった。


 ……そして、この男の口から聞いた過去が事実であることも本能的に理解し、女は自身の過去前世と重ね合わせる。


 無責任な人間の両親によって生を受け、まともな愛情を向けてもらえなかった者同士。


 微妙に違うかもしれないが、お互いに共通することがあると知って、女は無自覚に男に対して入れ込むようにもなった。


『ふぅん。じゃあ、アタシがアンタを英雄にしてあげる』

『……何故に』

『だって、マジでムカつくじゃん。そんなクソみたいな連中のせいで使い捨てにされるなら、自分たちがいつでも使い捨てに出来る立場になればいいじゃない。アンタはそうはなれないかもだけど、せめて上に立っちゃえばいいじゃないの』

『――――――そうだな』


 自分にとって他人とは利益の得るために利用するだけの存在だったのに、彼の過去を知った時から彼に与して彼の成功を支えることが自身にとって大きな利益になると考えた。


 その気持ちが、この世に自我を受けて初めて抱いた、他者への愛情であることを彼女は後に知ることになる。






 灼華御前と公に名乗り始め、焔涯と共に妖討伐の旅に出た彼らは様々な功績を残した。


 町を蹂躙した妖の一団を討伐し、更には人界征服を企んだ大妖を共に討伐をし、更には朝廷に反逆を試みようとした反逆者たちの粛清などをした。東方への長い旅路の果てに、かつて灼華御前との間で大きな因縁を抱えていた妖も二人で討伐することに成功した。


 市井の人々からもその武勇を称えられ、朝廷が座す都も人界に利益をもたらし、長い妖による戦乱を鎮めた無視することは出来るはずもない。焔涯と灼華御前は英雄として迎えられることになった。


 そしてその日のうち、焔涯の実の父はある日突然、何者かによって焼き殺されてしまい、混乱する数日後には近い家臣たちもどこからか現れた盗賊団の類に襲われて死亡した。

 その真相を知る者は非常に数少なかったが、心当たりのある者はすぐに察しがつき、やがて家の当主となった焔涯に物を申すことが出来る者は誰もいなくなった。


 そして灼華御前は異例の正室として迎えられることになった。妖と人との間には長い寿命の差があったのだが、それでも良いと焔涯は言った。


 その結末はまさに幸福の絶頂期とも言えただろう。血塗られた経緯で得た幸福であろうと、彼女にとってはこの時初めて、生まれて良かったと心の底から思えたのだ。

 もしも、自分の愛する者が先にいなくなってしまうとしたら、自分はその時に共に最期を迎えたい。そう心から願えるほどに。


 それが、異世界で手に入れた、他の何かに替えることなんて出来ない、一番の利益。


 ――――――ただ、どれほど違う世界であろうと、因果応報という言葉と概念はどこにでも存在しているもので。


『我が一族の仇! 死ねぇ!!』

『な――――――』


 ある日、ヒトの姿で買い物をしている時、自らの手で粛清した者たちの遺族に襲われ、その胸に魔性殺しの刃を突き立てられたのだった。





『――――――――――はっ?』


 目が覚めた時に見えたのは、長い間寝起きする度に見えた綺麗な木目の天井ではなく、どこか見覚えのある文明的な蛍光灯のある真っ白な天井だった。


 自分の体が思うように動かせず、少し身じろぎしただけで痛みが走るが、困惑で頭が冴えてしまうほどに視界に見える天井は白いのに黒く見える。


『あ―――――。起きた、起きたのですね!』


 その声が聞こえて視線を向けると、看護師が自分を見て安堵し、先生とやらを呼びに行った。


『ありえない。いいや、違う。待って。どういうこと、なの。うそ、うそうそうそうそうそ』


 左に目線を向けると半開きの窓から聞こえてくる車の走る音。

 右に目を向けると見慣れきったデジタルテレビと生命維持装置。


 ありえない。だってさっきまで、幸せな日々を異世界で送っていたはずなのに。自分はちょっと刺されて倒れてしまっただけで、本当は屋敷の中で療養のために眠っている所で。


 そうやって、ありえないと現実逃避をしている所に現実医者はやってきて告げる。


『ああ、良かった! さん、お体の方は大丈夫ですか?』

『あ、あぁ、うそ、いや……。いや、いや、いやあああああああああッ!!!』


 ―――――――――彼女は、異世界から元の世界地獄に戻ってきてしまっていたのだ。







 ◇◆◇






 葛城結人の高密度に圧縮された彼の「渦巻斬」を飲み込み、彼の「界域」ごと焼き尽くそうとした。


 しかし、彼は突然「界域」を解除した。普通であれば、その手段を取るということは灼華御前しゃっかごぜんの生命体の魂を焼く炎を街に広げてしまうことになる。


 だが――――――結人は、この状況をこそ望んでいた。


「最初から……コレを望んでいたと、いうの……?」


 ……それは燃え尽きる前の蝋燭ろうそくだった。


 彼女の体は自らが行使した総極の臨界を超えたことで、内側から静かに燃え、胸元に刺さった矢と突き刺した短刀によって、大量の血が流れ出ていた。


 もう指一本すら動かせない、燃える体から流れる血の量と


「……ああ。俺とお前の相性は最悪だからな。今の俺の術じゃお前を八つ裂きにすることは出来ない。だから、ガラじゃないが周りを頼りにさせてもらった」


 灼華御前の前に現れた結人自身の格好もひどいものだった。


 着ていたスーツも燃え、両腕は焼けて肉が焦げる臭いが蔓延している。魂を防御していたとはいえ、その分肉体の方にダメージが来ていた。


 常人から見れば、結人の状態は立っていることすら精一杯の状態であることは見てわかるほどで、実際結人は口からも血を垂らしていた。灼華御前に短刀を突き刺した時点でもう結人自身の肉体も限界を迎えていたのだ。

 つまり、短刀で殺しきれなかったら結人も死んでいた可能性が高かったのである。


 そこで、事前に環菜と作戦を練った。


「『界域』を展開して必ず隙を作るから、もしも『界域』を解除したら確実に撃てってな。これでダメだったら、俺の方が消し炭になっていたよ」

「く……そ……」


 初めから自分が大きく負傷することを前提とした作戦。自分を省みず、ダメでも必ず勝機が彼らにあった作戦。


「なん、で……。なんで、よ……」

「ん? なにが?」


 灼華御前は血を吐きながらも呟き始める。


「なんで、みんなアタシの邪魔を、するのよ……。一度だけでもいいから、この世界で、生まれて良かったって、言わせてよ……。せっかく幸せだった、異世界から、いきなり戻して、幸せを奪うなんて……。こんなの、こんなのあんまりすぎる……!」

「……」


 消えかける命から漏れる小さな慟哭。


 誰も助けてくれず、誰も手を差し伸べてくれなかった世界。不慮の事故でいつの間にか飛んでいた異世界で手に入れた幸せだった世界。


 どちらが彼女にとって幸福だったのかは言うまでもない。それはれっきとした事実であり、その点だけで言えば彼女に同情する余地はあったのかもしれない。


「バカ言うな。自分の幸せ利益のために他人の幸せを無条件で奪うことしか考えていなかったヤツが、幸せを願うもんじゃねえだろ」

「は……? アンタに、アタシの、なにが……!」

「わかるわけもないし、わかりたくもない。人の命は一生に一つしかない。人生もたった一度しかなく、一度っきりの人生の中で幸福を積み重ねていくもんだ。少なくともみんなそうやって生きていくもので、最期に幸せだったと言ってベッドの上で死ぬのが幸福な人生ってヤツだ。他人から奪うことでしか幸福を感じなかったお前に、そんな都合の良い願いを言う権利なんかない」

「……」


 結人の鬼気迫る表情と自身の全てを否定するその言葉に、灼華御前は言葉を紡げない。


「だったら……、幸せになれなかったアタシたちが、幸福を願う権利はないって言うの……!? アタシは、生まれてくることすら望んでもらえなかったのに、幸せを望むことすら出来ないの……!?」


 精一杯の敵意を込めて、灼華御前は言った。


「少なくともお前にはない。それ以上は知らんし興味もない」


 そう言って、結人は人差し指を銃の形にして灼華御前に向けた。


「あ……。あぁ……」

「じゃあな。いつか俺も、そっちに逝くからな」


 それ以上、言の葉は必要ないとして、結人は彼女の額と胸に糸の魔弾を撃ち込み、トドメを刺した。


 炎が消える。

 後に残ったのは焼け焦げた体を晒す、女の骸と肉の焼ける臭いと、どうしようもない虚無感だけだった。

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