紀第十二 鳴動、そして

第六十三

「――殿下!! 殿下。しっかりしてください」


 茫然自失の白羅が顔を上げれば、こちらを覗き込んでいたのは、――珍しく表情を変えた史清虚し・せいきょだった。


「清、虚……どうしてここに」

「尋常ならざる気配を感じまして……参ってみましたらば、この状況ですから……。随分、派手になさいましたね」


 早くも、いつも通りのじとっとした目で見られて白羅はうっと肩をすくめる。


「……さっき、私にこのを渡してきたのは、……そなた?」

「皇上の御遺体の傍に落ちておりました。役に立つやもと」

「ということは、これが黄龍の神剣――“御剣ぎょけん”ということ……?」


 黄龍の牙を鍛えてつくられたというそれは、邪を払い、地面を穿てば恵みをもたらすという。

 しかし、使う者を選ぶ剣だと聞いたことがある。その真の名は、扱える者だけが知るという。故に、一般には“御剣”とだけ称される。


 なぜそれを、白羅が使えたのだろう。


「おそらくは。ひとまずどうぞ、お持ち下さい」


 考えの読めない目で渡された鞘にその刀身を収めてから、白羅はまた、駆け出す。


「殿下!」


 戻ってみれば、素光は驚くべきことに、まだ息があった。あれだけ傷つけられながらも。

 

「……白羅……様、……は……」


 白羅は後を追ってきた清虚に視線をやって距離を置くように命じて、素光の問いに答える。


「仇は討ちました」

「そう、ですか……」


 その頬を伝う血の涙は既に乾き始めていた。


「……はく、羅、様……お願いが、……」

「……私に、あなたを見送れと?」


 決然とした声に対し、途方に暮れたような声で尋ねれば、小さく彼女は頷いた。


「頸を。……それで。……こんな姿、……に、見せ、られません……」


 弱々しい微笑み。

 こんなになっても、血塗れでも。彼女はやはり、美しかった。

 彼女の苦痛を少しでも減らすためには、より無いと。


 何も言えないままに歯を食いしばって、彼女の首を、御剣でもって落とした。己の風衣で無残に傷つけられ、血にまみれた体を覆い、その首を拾い上げ、固く閉ざされた瞼から流れ落ちる血の涙を拭った。


「――素素!!」


 足音がして、衛官を引き連れた巍脩が現れた。

 白羅が腕に抱えたものが何か気付いて、絶句する。


「白羅……貴様、素素を――……よくも……!!


 頂点を突破した怒りに、最早巍脩は顔を蒼くしていた。


「確かに。……皆、私が殺した。あの皇帝外道も、皇后殿下いもうとも、そなたの愛する素素そそも。あと、ほんの少しでも……そなたの来るのが早ければ、彼女の死に目には会えたであろうに。――青龍の。本当に、そなたは遅い。だからそなたは、最愛の情人こいびとも、無二の知音しんゆうも、何も、守れぬのだ……!」


 憎しみに満ちた目と目が合った瞬間、堰を切ったように飛び出したのは、この男を最も傷つける言葉だった。


 拳が飛んできて、口の中を噛んだ。


 自分は、巍脩に恨まれたいのかもしれなかった。

 罰して欲しかったのかもしれなかった。己の罪を。


「……白羅!! 貴様……!!」


 その声は、怒りに満ちているのに、悲鳴にも似ていて、胸が痛かった。殴られた頬よりも何よりも。


“――すまない”


 余りに罪悪感が深すぎると、却ってその言葉は出てこなくなるのだ、と思った。

 そんな言葉一つで、到底、この窒息しそうな程の罪悪感を表現し尽くせない。

 そして、この男はどんな言葉も欲してはいないだろう。弁解も。弁明も。出来る筈が無い。


 沈痛な表情で黙りこくった白羅に対し、なおも怒りの冷めやらぬ巍脩が剣を抜いた。


 白羅は、体が動かなかった。

 巍脩になら、斬られても仕方が無いと思った。

 だが予想した衝撃は無く、高い音が響いた。

 飛んだのは、巍脩の剣だった。


「無礼な」


 それを弾いたのは、白羅の前に音も無く出てきた清虚の剣だった。


「――この御方は、御剣を皇上より託された、皇位を継承すべき御方にございます。刃をお収め下さい、東王殿下」

「――何?」


 清虚の言葉に、白羅自身も何のことかと首を傾げそうになった。が、彼が白羅に御剣を持って行くよう言った所以に気付いて口を噤む。


「この女は先程、自分で皇上や皇后殿下を弑し、我が婚約者までも殺めたと言ったんだぞ!?」

「おや。西王殿下は、何から何まで、ご自身の責任として自らをお責めにならねば気の済まぬ御気質の御方。――たとえそれが、殿下ご自身にもどうにもできぬことであったとしても。長年親交がおありの東王殿下がご存知ないとは、意外です」


 涼しげな声音で言い放った清虚を、巍脩は睨んだ。

 沈黙がしばし、場に満ちる。


 清虚の背ごしに、巍脩の怒りの視線を受けて、ふと思った。


 ――誰かの背に庇われるなど、どれくらい振りだろうか、と。

 白羅は王位を持ち、大陸の西の君主である。その根本は武人であり、その力は専ら、妖魔を打ち払い、民を守る為に揮われた。

 妖魔を掃討するのにも、白虎の守護を持つ者として、常に先頭に立って来た。

 大雅をその手で死に至らしめ、愛した人には軽蔑され、守ろうと思った妹を失い、憎い皇帝を激情に駆られるままに弑し、また素光に止めを刺し、冷え凝って固くも脆い氷の様になっていた白羅は、そのまま巍脩の前に立っていたならば、ほんの僅かの呼吸さえもままならなかっただろう。戸惑いとありがたさ。そして、そう感じることへの罪悪感がまた白羅を俯かせた。


 やがて、巍脩は素光の遺体を抱え上げ、背を向けた。


「俺は、お前を認めない。――絶対に」


 白羅は、その背に掛ける言葉を持たなかった。



――――――――――――


お読みいただき、ありがとうございます。

♥やコメント、お星様などなど、ありがとうございます(*´艸`)♪


清虚は、第五十五で初登場した、白羅の側近の一人です。

とはいえ、西家の長老達の意を含んでの人選だったので、

白羅は、長老達への反発と、読めなすぎる清虚自身に対する苦手意識から、

仕事以外では白羅は距離を置いていましたが……です。笑


さて次話は、皓月視点に戻ります。

気を失う前、皓月は盧梟の者達に囲まれておりました。

目覚めた皓月の状況はいったい、どうなっているのか?


お楽しみに!


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る