第六十二
西王・白羅の後を追った旣魄だったが、次に気付いた時には、彼女は昊帝を罵り、その首を斬り落としていた。
大きく肩を怒らせる西王の前で、昊帝の遺体はどろりと溶けたかと思えば、瞬く間に見る影もなく崩れていった。
その異様な様子に、驚いたのは旣魄ばかりではないようであった。
剣で貫かれただけで、ああなる訳がない。西王の剣が、何か特殊な術を施したものでもなければ。だが、もし剣に理由があるのならば、持ち主である――今彼女が使っている剣が、本人のものであればだが――西王がああも驚きはしなかっただろう。
その後、西王は突如現れた「何妃」なる人物と言葉を交わしていた。
何妃が現れた時、西王に何か仕掛けたようだった。
黒い邪気の塊のようなもの。
何妃の手から放たれたそれは、西王の鎖骨の辺りにぶつかり、飲み込まれるようにして消えた。
見覚えのある光景に、旣魄は眉を顰めた。
あの廬梟の巫師が、妃に掛けたのと、同じ術のように思われた。
西王と言葉を交わしていた何妃の姿が、瞬き一つで一変した。
見かけは人の姿ながら、頭部に狐の耳と九つの尾が、異様な気配――妖力を放ちながら揺らめいた。その目が怪しくも赤く、底光りして、嬲るように細められた。
「――まあ、あの小娘は、月寵子としての最も大切な力が欠けていたようですし。――とんだ無駄足でしたわ。また、一から探し直しですわね」
西王は、「また一から探し直し」という言葉に怒りを爆発させた様だった。一方の旣魄は、「月寵子としての最も大切な力」という言葉が耳に残った。
何妃という人物は、月寵子の持つその力を狙っているらしい。
「――武名の高い西王に、何の準備も無しに挑むものですか。そうでしょう?」
血を吐いた西王に、何妃がせせら笑う。と、僵尸の群をけしかける。
これまたあの廬梟の巫師と同じ手だ。
西王は、何妃の披帛で腕や首を拘束されていながらも、剣を揮い、僵尸を斬り伏せていった。焦れた何妃が、その首を強く締め上げた。
呪詛の影響が強く出始めたのだろう。顔色は蒼白になり、手にした剣も、乾いた音を立てて床に落ちた。
「嗚呼、お労しや。西王殿下。……そんなに真っ青になって。お苦しいのでしょう? あなたの大切な白虎をお呼びになったら? ――呼べるものならね」
余裕たっぷりに笑う何妃を、西王が睨んだ。
先程から、西王は、何度か自分の白虎を呼ぼうとしている素振りを見せていることに、旣魄は気付いていた。
が、呼ばなかったのではなく、呼べない、というのが実際なのだろう。
妃と同じく。
何かを求める様に口を動かすのだが、声にはならず空気だけが漏れる。
柳眉がもどかしげに寄せられる。
妃の様子を見て、旣魄の青龍である浧湑が言っていた。
妃は、自身の白虎の名を忘れているのだ、と。
同じ事が、西王の身にも起きているのだとしたら。
西王の身がふわりと浮いたと思えば、壁に激しく打ち付けられる。飾り棚が崩れ、棚ごと重たい壺や置物などが落ちてきて背に重たくのしかかる。俯いて咳き込むその姿が、妃の姿となぜか、妙に重なって見えた。
披帛がまた、蛇のように蠢き、西王が先程取り落とした剣の柄に巻き付くと高く上がって何妃の手に収まって手足に斬りつける。
先程まで
雪白の髪とその瞳以外、顔立ちや雰囲気などが、西王と妃が似ているという訳でもない。
それなのに、何故だろう。
妃を前にしているように思うのは。
何妃が剣を振りかぶる。
止めを刺すつもりか。
しかし、ここで西王は死なない筈だった。
旣魄はそれを、史書の記述で知っている。
知ってはいるのだが。
「――!」
無意識に、旣魄が踏み出そうとしたその瞬間、何かに睨まれたような感覚がした。
遥か遠くから、こちらを見据えるような。
その視線に貫かれたかと思った瞬間、体を覆っていた薄い膜が剥がれ落ちるような感覚があった。
突如目の前の光景に、現実味が増した。
ずしりと重い感覚が手に生じる。
見れば、皦玲皇子が落としていった刀――“
拾おうとしたところで、地面に吸い込まれるようにして消えた筈の。
何妃と西王に視線を戻す。その瞬間、――銀の眼と、金緑の眼が合った。
「――き、はく?」
驚いた様子で西王は、小さく彼の名を呼んだ。
(――矢張り……)
姿は違うが、間違いなく彼女だと。
旣魄は、迷わずその刀を、その人に向けて投げ渡した。
まるで吸い込まれるように、刀は、その手に収まった。
* * *
九尾狐・墨紫を倒そうと気力を振り絞る白羅だったが、彼女が操る僵尸たちに阻まれた。
僵尸に傷つけられれば、己もまた僵尸と化すのである。それを思えば、下手に近づけなかった。
追い込まれて、小さく息を吐く。
このままでは――。
“このまま、死ぬつもりか”
どきりとした。
まさにいま、頭の中に過った言葉だった。そんなのは御免だ。
だが、この声は、誰だったか。――思い出せない。いつも呼んでいた筈なのに。
嬲るような高笑いを挙げながら、披帛に巻き付かせた己の剣を操り、墨紫は腕へ足へ、頬へと斬りつけてきた。
大人しくやられているなど、柄では無い。何が何でも一矢報いてやる。否、絶対に倒してみせる。腹の底から湧き上がるのは、怒りだ。
何に対するものか、一言では到底言い尽くせぬ。
この戒めさえ解ければ、あんな女、すぐさま斬り捨ててくれようものを――。
荒く息を吐きながらも、敵を射貫く眼だけは決して逸らさない。
“――ならば、立て”
脳裏に蘇る声。
いつも傍にあったあの声。
あのとき、自分は何と答えたのだったか――。
“――貴女は結局のところ、ご自身で道を切り拓いてしまうのですね”
別の柔らかな声が全身に響いて、突如鮮明に浮かび上がって来た。
(……あの、声……)
不意に霧が晴れたようになって、急に現実感を伴って“場”が迫ってくる。
剣を振りかぶる墨紫の肩越しに、ふと、銀の眼と眼が合った。
突如目の前に現れた銀色の姿に、思わず眼を見開く。
「――き、はく?」
その名を呼ぶ。
と、彼は手にしたそれを己に投げて渡してきた。
己の手にぴったりと収まった、手に馴染む感覚。
歴戦の友に再会したような。
「――!――」
限界まで見開いた目の縁が震える。
「――
確かめる様にそう呟いて動きが止まる。
何かがカチリと合わさったような感覚。全身を吹き抜けていく風を感じた。と、同時に、重たく体を戒めていた鉛のような感覚が遠のく。
皓月は、笑った。
己を拘束する戒めを、その刀で以て千々に断ち切る。
はらり、拘束する力を失い、ただの布きれに成り下がったそれが宙を舞い落ちる。
「――月靈!!」
(――やっと呼んだか)
声に応じて月靈が飛び出し、立ち塞がる僵尸の動きを風でもって弾いた。素早く墨紫に駆け寄った皓月は、鋭く斬りつけ、白羅の剣を振りかぶったその腕を切り落とした。
「……おのれ……小娘が……」
失われた片腕のつなぎ目から血をしとどに流し、憎々しげに墨紫が睨む。が、全く恐ろしくない。何かが自分の中から一部欠落したような不安感が無くなったからか。或いは……僅かに微笑む。追い打ちを掛けようとしたところで、墨紫が大きく下がった。
落ちた片腕を拾い上げ、怒りに表情を歪ませて、墨紫の姿が掻き消えていく。
だが。
『――逃がさぬ』
地から響くような声がしたかと思うと、足下の影が歪む。それが墨紫の影を押さえた。
「――なっ!?」
戸惑いの声を上げた墨紫の足が床の中に沈む。まるで、泥の中へ沈んでいくように。
「まさか、……黄龍……!? おのれ、こんなところで……!!」
抵抗する墨紫の残された手から術が飛び出すが、全て泥に呑み込まれる。
その間も、沈んでいくのは止まらない。
完全に墨紫が地面の中に沈み、暴れ回っていた僵尸たちがバタバタと倒れていく。
終わった、と白羅は剣を地面に放り出し、膝を着いて、深く深く息を吐いた。
――――――――――――
【補足】
お読みいただき、ありがとうございます。
ここで、皓月にかけられていた呪いが解けました。
詳しい説明は次章にて。
混乱しそうなところだけ先んじて説明しておきます。
ここで、白羅から、主体が皓月に一度切り替わり、また白羅に戻っています。
誤植ではありません。
皓月は、夢を通して、白羅の過去を、その意識を共有する形で“視て”いました。
基本的に白羅が経験した過去ですから、その意識の主は白羅でした。
が、とある存在の介入により、旣魄がその夢に現れ、
それに引きずられる形で皓月の意識が一時的に表に出てきたような形になっていたのでした。
なお、夢の見え方について、皓月が主観視点、旣魄が客観視点なのは、
男女の差✕性格の差によって生じた違いです。
ただ、今後の展開にとって、皓月が主観視点で見ていたのは結構、(否、かなり)重要だったりします。
さて、次話から章がまた切り替わります。
いよいよクライマックスといったところです。
次章「紀第十二 鳴動、そして」も宜しくお願い致します!
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