紀第七 夢渡りの路

第三十六

 太陽が、雨上がりの九天そらに照っていた。洗われたが如き清新な朝の光のもと、三騎の馬が駆けて行く。前を少女が、その後に、同じ年頃の少年が。少し遅れて、彼らより二、三歳ほど年長の少年が。


「おい! 俺の前に出るな、白羅はくら!」

巍脩ぎしゅうのろいだけだろう!」

「なんだと……?」


 高い位置で結い上げた豊かな雪白の髪を彩るのは、繊細な刺繍を施した翡翠色の絹帯。白い風衣をはためかせるその横顔は涼やかで、凜とした雰囲気だ。雪白の睫毛に縁取られた金緑の目は、やや少女にしては鋭い印象で、華やかさには些か欠けるが、どこか人目を惹きつけるものがあった。


 一方、その後ろを往く少年の、癇性の強そうな青い瞳は、聊か真っ直ぐに過ぎた。が、成長途中ながら既に窺える恵まれた体格と、秀麗な顔立ちは将来を期待させうるに十分な丰采ふうさいである。


 遠慮の無い少女と少年のやり取りを、二人の後ろを進む年長の少年は、ははは、と時折声を立てながら悠然と眺めている。


 その少年は、前を往く二人よりは簡素な意匠の衣装を纏い、どことなく緩く着崩したような風情だが、だらしないという風でもなく、少年の豪爽な雰囲気によく合っていた。太陽の下で一層輝きを増す、炎の如き朱色が一際目を惹く長い髪を、項の辺りでひとくくりにして、背中に流している。その肩に、小さな朱い羽の小鳥が飛来して止まった。


「長らく妖魔の討伐で樞都すうとを離れていた北王殿下がお帰りになるのだもの。早く都に入らねば!!」

「……そんなに焦らなくたって……北王府に招待されているんだろう?」

「勿論。――だけど」

「だけど?」


 少女は力強く頷いた。白い頬が、ほんのり白桃のように色づく。


「北王殿下が凱旋されるお姿を、この目に収めないと」

「……あ……そ、うだな……」


 金緑の瞳を陶然とさせながら、大真面目に零した少女に、少年は怒りも萎えたようで、おざなりに頷いた。


「相変わらず、羅妹は北王殿下が好きなんだな」

「当然!! 強くてお美しくて、帝師のお一人でもあらせられる。その上――」

「あ~わかった! わかった!! お前のいう通り、急ごう」


 長くなりそうな雰囲気を察して、強引に先を急ぐことを促した少年に、少女は少し不満げだったが、内容には異論が無かった。素直に頷き、また駆けだす。少年たちも続いた。


 馬を駆る声が、高らかに蒼穹へと登る。

 耳から頬へとすり抜ける風が心地よかった。


「二人とも、止まれ!!」


 ふと、最後尾の少年が声を上げる。そのまま馬から降りて適当な所に繋ぐと、草をかき分けて草むらの中へと入っていった。

 少女と少年は、顔を見合わせ、年長の少年に従った。

 

 その背に着いて歩いて行くと、程なくして、横転した車が現れた。途中で道を逸れて、正面の木に激突したらしい。雨で地面がぬかるんでいたのも災いしたのだろう。大きく地面がえぐれている。


 御者台の男は惨殺されていた。時間が経っている様で、血は既に乾き始めていた。夏も近いこの時期には些か分厚すぎる外套を身に着けている。衣に施された紋様や形は、この辺りでは見なれないものだ。


「――? なんだろう、このにおい。あんまり嗅いだことのない……」

「ああ、そういえば」


 不快なにおいではなく、爽やかな香りだ。それが、かすかに周囲に漂っている。


 血が点々と落ちている先を見れば、もう一人、華やかな衣を身に着けた女性が倒れていた。こちらは、首が持って行かれた挙げ句、奇妙な事に爪が全てがされた無残な姿だ。少女――白羅は思わず顔を背けた。


「下がれ」

大雅たいが

「雅哥。妖魔の仕業かな?」


 厳しい顔つきで、年長の少年――大雅が御者台の男の様子を窺う。


「少なくとも、妖魔では無いな。妖魔が殺したのなら、もっと食い荒らされていたはずだが……この傷は明らかに刺し傷だし、爪も綺麗に剝がされている。人の為業だろう。足もとを見てみろ。足跡が沢山ある。複数人で襲いかかったんだろうな」

「一体誰が、何のためにこんなことを……」

「わからん」


 ことり、と馬車の中から物音がした。


 大雅は警戒しながら、腰に佩いた長剣に手を掛け、横転した車に近寄る。


「巍脩」


 呼びかけ、戸を開けるように促す。

 緊張した面持ちで、そっと近づき、少年――巍脩は後ろに立つ大雅に目で合図を送る。


 一気に開け放った巍脩が目を見開く。その横で、剣を構えた大雅も、同様の驚きをひとみに映した。異様な反応に、大雅の後ろから白羅も顔を出した。

 

 散らばったいくつもの衣の下で、一人の少女が震えていた。


「おい。大丈夫か?」


 やっとなんとか絞り出した巍脩の声は、軽くかすれた。少女が顔を上げる。


 その目も、髪も、顔を押さえた指先の爪も、月の光のように淡く輝く銀色をしている。


「何があった?」


 大雅が尋ねるが、少女は泣きそうな顔で首を振るばかりで声を発しない。

 そのまま、糸の切れた傀儡のように倒れ込んだ。白羅が近づき、様子を窺う。


「気を失ってしまっただけみたいだけど。どうする……?」

「――遺体は埋めるしかないだろう。でなけりゃ獣やら妖魔の餌になるだけだ……あとはこの子は毉者いしゃに見せたほうがいいだろう。羅妹、運んでくれるか。お前の馬は俺が連れて行く」

「わかった」


 倒れた少女を抱えて、己の白虎を呼び出す。その身は忽ち空へと昇る。

 遙か眼下に小さくなった馬を見下ろし、空をかけた。


――この少女は、一体何者だろう。


 今はかたく閉じられた瞳の銀。柔らかに光を反射する髪。真珠のような爪。


 これら全て、初めて目にする筈なのに、懐かしい様な気がするのは。


 ――そう感じているのは、だろうか。あるいは、別のだったろうか――?


   * * *


 誰かに手を触れられているような気がして、皓月は目を開いた。少し、体が軽くなっている。それから、一気に飛び起きた。


 傍らに、見なれぬ少女が膝を着いてこちらを覗き込んでいた。否、そのように見えた。見えた、というのは、少女の目が布で覆われていたからだ。見えていないのかも知れないし、何か理由があってそうしているのかもしれない。首には素朴な意匠の珠瓔くびかざりを幾重にも連ねている。


 皓月の手に触れているのは、その少女だった。


 警戒を顔に浮かべながら自分を見つめる皓月に対し、少女は小さく口元をほころばせた。それではっとする。服装からして、明らかに廬梟ろきょうの者であるのに、少女は例の面をつけていない。


「そなた、は……」

「わたくしは、黎駽れい・けんの妹・黎湘雲れい・しょううんと申します。颱の皇太子殿下」




――――――――――

お話、後半戦始まりました。

今回は、少し話の流れを取りづらいところだったかと思います(汗

次第に分かってこようかと思いますので、しばしお付き合いいただければと思います。

次は、皇太子(旣魄)の方に戻ります!!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る