第25話 真実【2】
エリザベスは一度目元を指で押さえ、溜まった涙を潰すようにして拭う。
そしてヴァルゼルとセルラルドの何も言えないもどかしそうな微妙な表情を一瞥すると、顔をカロムの方に向けた。
「あの子、あの子たちにはきっとヘリヴラムの血に含まれる遺伝子が半分ずつ渡ったのでしょう。剣をまともに握ろうともしない少年だったから、彼女の下っ端の役を与えられたと聞きました。そんな貴方でも、剣術を怠らず努めたジェラルトに膝をつかせた」
「……私は、傷を負っただけです。膝をつかせたのはもう一人、貴女をここに連れてきた少年です」
「上辺の物事だけ見ればそうなのかもしれません。しかし貴方は腹を負傷し、彼が無傷。刃の出た剣を持っていたのは、貴方で、鞘に収まった剣を手にしていたのは彼。それだけ見ればどちらが立ち向かったのか、想像は難しくありません」
エリザベスは眉尻を下げてながら、優しく笑う。
「遺伝の強さとは怖いものですね。有能な力を持った者に、それ以下を持った者はどれだけ努力しても無駄、ということでしょうか」
「……私は有能ではありません」
苦い表情を浮かべてカロムは自分に有能という言葉は当てはまらないと、否定した。その様子を見て、エリザベスは目をぱちりと開く。二、三度瞬きをすれば、「ふっ」と吹き出した。
「そうですね。全て先祖から受け継がれた血のおかげ。本人が有能、無能の話ではありませんでしたね。けれど、それを分かっている貴方は偉いと思います。……歳を重ねればそれを分からなくなってしまう者もいるのです。……自身こそが有能だと、自信過剰になってしまう人間がね」
エリザベスは名指しはしなかったが、それが誰を指しているのかは全員が分かっていた。
(本人を目の前に、そんなことを言えるとは)
カロムは対象とされた本人、ヴァルゼルの方を横目に見る。歯を噛んで、渋い顔をしている。
(自覚があるだけ、マシか)
チラリと流した生気の灯らない目をエリザベスの方へと戻す。
「元々、古い記録……歴史書によればヘリヴラムの血は、剣術や知性に長けた血、とは称されていません。時代が移り変わる中で、誰かが言葉の形を変えたのでしょう」
「では、何と言われていたのですか」
「《英雄、勇者の血》……なんて呼ばれていたそうですよ。他人が傷つくことを嫌い、そのためならば自身すらも投げ出す。言い方を悪くすれば自己犠牲ですが……」
淡々と説明をするエリザベスを前に、二人は言葉を詰まらせる。彼女の言うことは、ルチアーノをジェラルトの向けた矛先から助けたカロムのことを表しているようだった。
しかし、この場にはそれを知る者は、二人以外にはいない。少し気まずそうな表情を互いに浮かべた。
気まずい二人を余所に、エリザベスの語りは続いた。
「それを本能として持ち、それに答えるように神から剣術の才をもたらされ、知性すら与えられる。ヘリヴラムの人間こそが、兵士や英雄に向いているとされていましいつからかた。それがいつからか、胡坐をかいたヘリヴラムの人間が、地位や身分だけを取り、戦うことを止めた。それで今のギルス国の方針が出来上がったのです」
彼女は冷静であったが、それはヴァルゼルに対する嫌味を大いに含んでいた。
しかし、それが二十年間隠された腹いせ、恨みとしてはとても軽いものだと、カロムは思った。
「血や遺伝子が優秀であっても、自身がそれに追いつかなければ、国を救うどころか家族も見殺しに出来てしまう。そう考えれば、英雄や勇者などの言葉は使うべきではないですね」
その言葉を最後に、エリザベスは固く口を閉ざした。彼女は心の奥底に溜め込んでいた闇を吐き出しただけに過ぎない。
カロムは少しだけ気が晴れたような顔を見せたエリザベスを一目見てから、「ふぅ」と息を吐いた。
「……ここから、どうするかは貴方次第です。ヘリヴラム王。ここにいる者は今更二十年前のことを公の場に知らしめたいなどと考えていないでしょう」
「っぐ……」
ヴァルゼルは苦しそうに唾を飲み込んだ。彼の拳に力が加わり、少しだけ震えていた。
「公にしたいのならすれば良いし、隠しておきたいのなら民を欺き続ければ良い。どちらを選んだとしても、貴方の、貴方がたの、したことの罪の重さは変わりません」
カロムは重しを乗せるような言葉をヴァルゼルとセルラルドに吐き捨てる。
「……もしも、本当に貴方が、ジェラルトを愛する息子と僅かにでも思っているのならば、せめて明日の国王交代日は先延ばしにすることを勧めます。彼に負担をかけたいのであれば止めませんが」
カロムは静かに一度瞼を伏せてからそう告げれば、ゆっくりと瞼を開いていく。開ききる前に、エリザベスとシャロンの顔を一度視界に捉える。
「……どうか、自分たちのしたことをなかったことにだけはしないようにしてください」
最後に一言告げれば、カロムはヴァルゼルに背を向け、特に意味もなく縛られた両手を見せつけるようにして、彼は部屋の扉へと近づいていく。
それに続くように、ルチアーノも扉まで行けば、ドアノブを掴み、静かに扉を開き、二人同時に廊下に出る。
扉が閉まり切る寸前の隙間から、カロムはシャロンをちらりと見た。
彼女はただ、車椅子の肘掛け部分を指でくるくると弄っているだけであり、カロムを見る素振りは一度も見せなかった。
「良かったの? 実の母親と一言も話さなくて」
部屋を出れば、ルチアーノはカロムの背にある彼の両手に絡んでいる紐を解き始めた。そして、ポツリと独り言のような声で問いかけた。
「別にいいです。実の母親と言っても、俺もあの人も互いの顔も今日まで知らなかった。あの人に関しては、今も顔も知らなければ、存在すら覚えていないかもしれないですね。……血の繋がりだけがある他人。それはヘリヴラム王も、ジェラルトもそうだ。父親や、義兄弟なんて風にも思えない」
「言わんとすることは分からなくはないけれど」
しゅるりと紐が外れれば、カロムは数回自分の手首を擦るようにして撫でた。
「俺はカロム=ヴィンセント。今も昔も変わりません。一般国民のヴィンセント夫婦の子供。剣術も怠る問題児の無能者。それでいいんですよ」
曇りが晴れたような清々しい表情を浮かべて、カロムはそう言った。
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